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とはいっても、織田信長(1534~1582)の肖像画は中学校の日本史の教科書にも掲載されているので、皆さんも知っていることでしょうが、現存する信長の絵画(肖像画)としては最も有名なものです。

一番上の写真がそれでありますが、現在も愛知県豊田市の長興寺に保存されています。国の重要文化財です。この絵は中国伝来の竹の紙に描かれているのですが、「紙本著色」という技法で紙の裏からも彩色してあります。作者は、狩野派の狩野元秀で、信長の家臣であった余語正勝が信長の一周忌にあたる天正11年(1583年)6月2日、報恩のために長興寺に納めたものです。

上から2番目の写真は、信長の菩提寺である京都の大徳寺に伝わっているものです。実はこの肖像画は曰く付きの絵画でありまして、元々は彼の狩野永徳が描いた「絹本著色」なのですが、2011年6月の京都国立博物館の調査において、完成後に描き直しが判明した代物です。1854年5月の制作で、これは信長の三回忌に当ります。この法要の責任者は豊臣秀吉でありました。※「つづき」にてさらに詳しく

上から三つ目の写真は、本能寺の変の翌年(一周忌)である1583年、秀吉が奉納した「木造織田信長公坐像」(重要文化財)です。位牌所である大徳寺山内に建立された総見院本堂に安置されています。

最後の写真は、大徳寺総見院初代住持、古渓宗陳(1532~1592)の賛があり、信長の一周忌(1583年)のために制作された肖像画です。平成26~27年度(2014~2015)の解体修理で織田家の家紋「木瓜紋」が明瞭となりました。信長が安土城内に建てた捴見寺伝来品であり、現在は神戸市立博物館の所蔵です。

実は、私奴の所有する絵画のなかに安田靭彦(1884~1978)画伯の描いた「織田信長像」があるのですが、よくよく眺めていましたら、色んな空想が芽生えてきましたので、ここに紹介しようと考えたのであります。乞うご期待。

つづく。

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