一言では表現できないどころか、わたしのような分際では、不得要領の最たる文章となるのは必至であります。そこで「芸術」をググってみると、
■ そして今は ― 広辞苑
【美術】(西周によるfine artsの訳語)本来は芸術一般を指すが、現在では絵画・彫刻・書・建築・工芸など造形芸術を意味する。アート。クンスト。
【芸術】①〔後漢書〕技芸と学術 ②(art)一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踏などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみをさす場合もある。
ということになります。
詩も芸術の範疇ということですから、小説もそのひとつということです。辞書の広辞苑が芸術かと問われれば、少々疑義がありますが、自分では説明できないことを解説するという点では、これも広義の芸術かもしれません。
私なりに今まで考えてきたことを、ここにまとめてみます。私のなかの「芸術」とは、脳みそに発生した心象や感性を創出、具現化できるということでしょうか。そしてこのことが重要なのですが、それが観る者、聴く者、読む者に、感動や衝撃を与えるものでなければなりません。「鑑賞的価値」に耐えうるものでなくてはならないのです。さらに砕くなら、鑑賞者がその鑑賞対象(芸術)に対してなんらかの対価を支払うかということです。これが芸術の価値ということであり、需給のバランスや嗜好によって決定されるのです。
(芸術家が自分以外の芸術家の作品をどのように理解し評価するのかに関しては、私のような凡人の知る由もないところですが・・・・・・)ここが重要なのですが、凡人の脳では発生し得ない心象や感性を湧出し、それをキャンバスや音や文字などのツールをつかって具現化してくれるのが芸術家であり、その作品が芸術ということでしょう。全てではないにしろ、その多くは天性の成せるものでしょう。だから芸術に対してその対価を支払い、芸術家に憧れ羨望を超えた敬愛の念を抱くのです。
以上、私の現時点での「芸術論」を振ってみました。