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1月23日(金)-北大路魯山人の凄み-

 魯山人(1883-1959、京都)は元来書家であるが、陶芸家や料理家、画家、料亭経営などでも名を世に馳せた芸術家である。特に陶芸家として有名で昭和30年(1955年)に人間国宝に指定されるも辞退した経緯がある。人間国宝を辞退するとは、余程の変人であろう。余談だが、贔屓の洋画家・熊谷守一(1880-1977)も文化勲章を辞退している。守一は岐阜出身で、世に出るまでに相当の苦労を重ねた。小生は「ファーブル画家」と呼んでいるが、蟻が歩き出す第一歩は決まって左の第2脚であることを発見し、好んで蟻をモチーフとした。文化勲章や芸術院会員、文化功労者は昇天するまで毎年、国から相当の「金子」を頂戴できるのであるからして、辞退とは「高尚なギャグ」に他ならない。
 本論に戻ると、真の「魯山人の凄み」は人間国宝を辞退したことではない。実は小生ら専らの「酒愛好家」が毎夜の如く世話になっている「ぐい呑み」、「しょうゆさし」、それに「箸置き」を考案したのだ。「ぐい呑み」は広辞苑では「大ぶりの深い杯(猪口)」とあるから、湯呑かコップと杯の中間で、最初の一杯を「キュゥ」とや(飲)るのに殊の外向いている。「しょうゆさし」は、それまでの和食が料理人しか味付けできなかったものを、席に居ながらにして好みで味の微調整を可能にした優れものである。最後の「箸置き」は従来、お膳の縁(へり)にかけていた箸を、これを使うことでお膳なしのカウンターやテーブルでの食事スペースを格段に拡大させた、「偉業」である。
 今日は華金、「ニシタチ」放浪に、行くか。頃合の北風と寒波、久しぶりの本酒(ポンシュ)の燗を「キュゥ」とではなく、魯山人に最敬礼して「グイ」ッと、呑むか。太田和彦張りに「燗は、45度でね。」、なんて気取ってみるか。

追:酒の燗は、30度が「日向(ひなた)燗」、35度が「人肌(ひとはだ)燗」、40度が「温(ぬる)燗」、45度が「上(じょう)燗」、50度が「熱(あつ)燗」、55度が「飛切(とびきり)燗」という。ついでに、冷酒は5度が「雪冷え」、10度が「花冷え」、15度が「涼冷え」という。

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