今日は童謡にもある「うれしいひなまつり」。この歌は1936年(昭和11年)の作で、詞はサトウ八チローという。
和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳=じょうし)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年(1873年)1月1日の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行うのが一般的である。・・・・・日本での起源は、流し雛の風習から本来は祓い神事の人形であったと言われ、「雛祭を過ぎて飾っていると嫁に行き遅れる」という言葉もここからきている。平安時代に既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として・・・・・。これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、・・・・・。(以上、ウィキぺディアより抜粋)
其れはそうと、今日は両親の51回目の結婚記念日でもある。小生の相棒も最近年、これを記憶していて、今朝も「今日はお母さんたちの結婚記念日ねェー」と、さり気無く宣(のたま)う。以前、お袋が自らの結婚式について話してくれたことを思い出す。ちょうど52年前の今日、両親と仲人に付き添われ隣の集落から松明(たいまつ)を灯(とも)して山道を歩き、今の家まで嫁いできたそうだ。今の時代と違ってその日がはじめての「お家訪問」で、その後直ぐに近親者のみでの「小宴」があったが、明かりは「唐辛子」のような小さな電球で薄暗く、肴は「鰯の煮付け」だった、と記憶している、という。今とは違った大家族で、祖父母の外に親父の弟・妹(お袋と同じ年齢~10歳年下まで)が6人、曾祖母を含めて計11人も同居していた。新婚旅行なぞできる御時世ではなかった。(お袋本人直談)
僅か半世紀前、されど50年の歳月。戦後12年目の日本の田舎は、全てがどう転ぶか分からない時代であったはずである。結婚式がこの有り様であるから、「雛飾り」なぞとんでもないことであったろう。両親は大恋愛で結ばれたが、親父の父(小生の祖父)は結婚に猛反対であった。しかし皮肉にも、晩年は実娘よりもお袋に随分と信頼を寄せていた。
結婚記念日は「桃の節句」なのに、生まれた子供は男子ばかりである。今度帰郷した折には、「小宴」で「ちらし寿司」と「蛤の吸い物」も並んだか、それとはなしに聞いて見るか。やはり止めておこう、多分に当時を想いだしたくないであろうから。
(「親仁ギャグ」は写真の文を参照)