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4月13日(月)-「憩いの銀座」

 大学を終了し、晴れの獣医師となって「花の御江戸」へ出たのが、25年前の3月末であった。24歳の時である。新研究室員が最初に任される「仕事」はというと、テレビでよく見かけるかの「上野の桜見」の場所取りである。小生もやらせられたひとりである。東京の雰囲気にまったく慣れていない時分の「場所取り」に、他者との気後れを痛感した。それでもあの独特で威容な「大祭」に酔いしれたのも事実で、いまだ記憶に新しい。
 動物病院は春から初夏が忙しい。フィラリア予防や予防注射が集中するからだ。診療体制の変更と延長もあり、ラジオ収録の準備があり、おまけに今年は娘の大学入学がかさなり、追撃ちをかけた。この「親仁ギャグ」も随分とサボってしまった。先週の6~8日、2泊3日で上京し、久々に「東京見物」ができた。
 「花の御江戸」・東京は日本人にとって、特別な「街」である。鮨や天麩羅をはじめ食の名店あり、数々のデパートあり、美術館あり、名所・旧跡あり、寄席あり・・・・・、東京は愉快だ。その中でも「銀座ぶらり散歩」はこの桜咲き散る時分、まことに爽快である。小生も上京の折には必ず銀座をぶらりと散策する。時間があれば銀座2~8丁目界隈を3周も4周もする。もちろん徒歩である。
 最初は2丁目、中央(銀座)通りの「トラヤ帽子店」。新作のパキラを求め、その場で被(かぶ)れば脚も軽やかになる。この「トラヤ」はいつも5分も居れば用が足りるから、出鼻(端)として助かる。
 しばしの銀座物色の後、小腹が空いたら7丁目、中央(銀座)通りの「ビアホール・ライオン」が好い。この4月で75周年というから、1934年(昭和9年)の創建で、内外観も味も「昭和浪漫」あふれる名店である。池波正太郎(1923-1990)のエッセイにもたびたび登場する、なんといっても「ビールの泡」が旨い店だ。「ソーセージ・セット」、「ナポリタン・スパゲティ」、「キャベツ酢漬け=ザウアークラウト(Sauerkraut)」が所望だが、脂の少ない「ステーキ」も噛み応えがよろしく、肉本来の味がする。弄(いじ)り回して食味を喪失させた創作料理を良しとする、かりそめな料理人は是非「ライオン」へ足を運んで改心してもらいたい。銀座だからとは言っても、いつも満席で驕(おご)りのない心地よい慌ただしさが心を鎮めてくれる摩訶不思議な空間だ。
 ほろ酔い気分で散策を再開する。不景気の為か、一頃の銀座と違って裏通りの人と車の数量が少ない。仕込み中の時間帯なのに有名鮨店も戸を閉め切っていて、いつもの活況が伝わってこない。画廊もそうだ。バブル時の銀座の画廊数は400~500店とも言われ、バブル崩壊後は半減した。今は、もっと減っているであろう。7丁目の「ギャルリーためなが」も今年で40周年という。「ベルナール・ビュッフェ展」が開催されていた。「ためなが」といえば、あの荻須高徳の鑑定で有名だが、ビュッフェ(仏、Bernard Buffet、1928-1999)とも家族ぐるみでの親交があったことをはじめて知った。100号を超える大作も数点あり、堪能できた。銀座に画廊が犇(ひしめ)く時代の再到来を夢見たい。
 今回の最後は7丁目、外堀(西銀座)通りの「銀座 和蘭豆(ぎんざらんず)」である。ここは亡き岳父とよく咽喉を潤した場所だ。小生の定番はアイスコーヒーか顔にも似合わないクリームソーダである。夜にもなると和服姿や視線を逸(そ)らしたくない美貌・美脚の「夜の蝶」が拝見できるから嬉しい。しかしだ、皆にスケベーな殿方が(いや失礼「夜のダニ」のほうが言い当てていようか)付着しているから悔しい限りだ。
 二十数年前、超貧乏学生だった小生は3年9ヶ月で1回だけ銀座に行ったことがある。内科研究室の先生の結婚式が確か帝国ホテルであり、帰りしな恩師の教授に「ライオン」でビールを奢ってもらった。それだけに銀座は懐かしいところであり、憬れでも目標でもある。  
 

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