昨日の甲子園の決勝戦は、WBCでのイチローのセンター前ヒットを凌ぐ歓喜を味わえた。日曜日に月曜日分の内視鏡1件と手術2件を済ませて、夕方から大阪へ出発。月曜日は8時半にホテルを出て、阪神電鉄に乗り20分で甲子園球場に到着。決勝戦といっても月曜日なので10時頃までに着けばそんなに並ばなくても大丈夫だろうと考えたのが、大誤算。8時50分で長蛇の列。既に約700人は並んでおり、開門は10時の予定という。その後も続々と増え、開門が9時半に早まる。9時50分にはバックネット裏の座席を確保できたが、念願のテレビに映る特等席は無理であった。又聞きでは、どうも6時ごろから並んでいたという。
「阪神甲子園球場」は阪神電気鉄道株式会社のEC(electronic commerce)事業の一つであり、場内で食べ物や飲料を買ってもらうためか、一旦場内に入ると出れないシステムになっている。試合開始は13時。3時間余りの時間をどう使うのか、次なる試練が待っていた。ビールを飲んだり、「かちわり」で暑さを紛わせるしかない。12時30分、ようやくシートノックが始まった。
そして、いよいよ13時、試合開始だ。一回裏、中京大中京は4番・堂林のセンター右への2ランで先制。当りはつまったかに見えたが、一番深いところのスタンドまで飛んだ。今日ビデオで見返すと、やはり同じだ。四回表1死一塁、日本文理のピッチャー・伊藤のセンターライナーを岩月が好捕。美技や超ファインプレーではすまされない、超スーパープレーであった。音がするや否や、一直線に全速力でバック。振り向きざまのジャンプ一番、左手と右足を一直線に伸展させてキャッチ。ビデオではそのバックするシーンの「走り」を捉えていない。六回裏の2死満塁からの6点。2点はしょうがないものの、その後のピッチャーゴロを一塁手のベースカバーが無く3点目。続く柴田がレフトオーバーの走者一掃の二塁打で3点追加。四回の岩月のプレーと六回の4点がなければ、・・・・・。勝負事での「たら」、「れば」は禁物であるが。
そして九回、最高のドラマ。7回が終わると、「勝負が決した」と思われた。満員のスタンドは1割程度の空白が出きた。九回表、日本文理は堂林に2死ランナー無しの窮地。しかし、それからが粘りの、怒涛の連打で5点をもぎ取った。多分、スタンドの3分の1の観客は、否(いや)もしかすると半分は小生みたいな「どっちつかず」なので、日本文理の応援団を合わせると6~7割の観衆が、日本文理を応援していたと思われる。実際、中京大中京のアルプス以外は日本文理への声援であったように見えた。一球、一打で「ワァー、ワァー」、しまいには「ゴォー、ゴォー」に変化。ビデオで感じる臨場感は、球場の10分の1程しか伝わっていないように思える。そして今大会の最終打者・若林の打球は目に留まらぬ三塁ライナー。球場では糸を引くように三塁手・河合のグローブに吸い込まれたが、ビデオではボールが見えない位の、まさに一瞬の痛烈な三直。これがあと数10センチずれていたなら、試合は振り出しとなり、スタンドの観衆は益々熱狂したに違いない。
ABSのアナウンサーが「これだけの観客が閉会式まで残ってくれたのは近年ない」と言ったように、あわやの大逆転劇の余韻にひたったままの終幕であった。最後に大会歌の「栄冠は君に輝く」に乗って選手がグランドを一周。そして「蛍の光」が流れはじめると、自然と涙が流れた。
- (1番歌詞の続き)「風をうち 大地を蹴りて 悔ゆるなき 白熱の 力ぞ技ぞ 若人よいざ 一球に一打にかけて 青春の 賛歌をつづれ ああ栄冠は 君に輝く」(2番歌詞)「空を切る 球の命に かようもの
- 美しく におえる健康 若人よいざ 緑濃き しゅろの葉かざす 感激を 目蓋にえがけ ああ栄冠は 君に輝く」(3番歌詞)。作詞・加賀大介、作曲はかの古関裕而である(1948年発表)。副題は「全国高
- 試合終了直後の堂林選手のインタビュー。バックスクリーンの大型画面に映しだされた、感極まって涙を啜る同選手。手前は実際の光景。小生、実は甲子園は2回目。1回目は2年前の選抜大会
- 2年生の時、背番号15で出場。一回戦は群馬の「桐生第一」に勝利した。写真は試合中の満席のスタンド。今回で甲子園の楽しみ方や勝手を大分会得できた。次回から、少なくとも数日は観戦
- 甲子園名物「かちわり」氷。席の両隣には岐阜・大垣からのお孫さん連れのおじさんと栃木出身で神奈川在住の同年輩の男性であった。すっかり仲良しになって、評論に華が咲いた。閉会式