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9月9日(水)-「重陽の節句」に思う-

 9月9日は古来中国で重用された「重陽の節句」である。縁起の良い奇数で一番に大きい数字の9が並ぶのでそう言うが、その実は収穫を祝ったり、不老長寿や繁栄を願うものだ。日本でも平安時代以前は、農山村や庶民の間で田畑の収穫の時期に「栗の節句」とも呼ばれ栗ご飯などで祝ったという。平安時代になると、菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、グミの実を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催された。また、菊に関する歌合せや、「菊合わせ」という現代で言う菊のコンクールも盛んに行われた。
 水曜日の今日、本院と「宮崎犬猫病院」は休診である。昨夜は交通事故で皮膚と筋肉が広範囲に欠損した犬の治療を手伝いに夜間へ出向いたためか、今朝は少々疲労が残る。それでも入院の血液検査と注射が待っているので、気は抜けない。12時前に、第一食を求めて街方面へ出立。県庁の前をちょうど12時2~3分ごろに通過。そうするとどうだろう、半袖ワイシャツ姿のいかにも公務員と思われる3~4人の男衆グループが、蟻の子を散らしたように足早でどこかへ向かっている。小生の「第一食」と同じだと、一目で理解される。
 いつぞや「院長コラム」で書いたが、県庁内での11時半を過ぎてからの「出前」や「お茶くみ」の騒々しさには、閉口する。今も同様かは知る由もないが、今日の光景を見るに、何とも情けなく、腹立たしい。どこの部署か知らぬが、県庁舎から2~3分で外の歩道を歩いているということは、12時の10~15分前から仕事の「切り」を見極めている事になる。さらに勘繰れば、それより早い時間から、「店の選択」をしている事になる。足早なのは「同じ狢(ムジナ)」に先を越されない為か。
 「お茶」や「腹ごしらえ」をしないと業務の効率が上がらないのは、誰しも同じことだ。しかし、競歩のごとき速歩で「飯屋」を目指す「県庁キャリア」の形相は見過ごせない。とても「あすのMIYAZAKI」の改革を思案しているとは見えない。何とも悲しき「県庁行政」の「斜陽」を垣間見る、昼時の虚しさである。
 民主党政権発足まであと1週間である。自民の解党的凋落ぶりや官僚の「駆け込み」天下り、人事院総裁の辞任、郵政公社社長の更迭、高速道路の段階的無料化、・・・・・。「鳩山のハネムーン」が3ヶ月か100日かは知らぬが、目覚ましく「激震的」変革の気運を感じる。これは永田町1丁目1番地や霞ヶ関だけの問題でなく、即、知事や議員、県庁や市役所・役場の役人にとっても「平成事変」である。鳩山一郎の孫にして、「脱官僚」が他人事ではなく、現実味を帯びてきたのである。「高みの見物」どころではない。
 県庁の役人さん、「昼飯」ぐらいは「ゆるり」と食える方策を考えてみては、どうですか。始業時間を部署でずらすのも一案。終業時間を遅らせてその分昼休みを2時間にすれば、同僚や隣の部署の人間とも歓談できるし、何よりも「速歩」と「速飯」で胃腸に負担を掛けることもないでしょう。これで朝夕の通勤ラッシュも緩和され、大淀川に架かる「橋」も作らなくて済む。「速歩で昼飯」を考え「ながら業務」での効率低下も無視できないでしょう。「一石四鳥」とは正しくこの事でしょう。
 民間や庶民から見た「役人」さんは、まだまだ「ぬるま湯」ですよ。小学校や中学校ではないのだから、役所内の規則・規律は自らが創造し、「庶民」のための公僕として、その能力を十二分に発揮し、尽力していただきたい。これが「庶民」の切なる思いです。そして、「ニシタチ」で堂々と飲んで語らう姿が見たいものです。「補正予算見直し」に対する、「マンゴー知事」の「基金凍結なら訴訟も」発言。そんなことを言っている場合なのか。県庁という自城の、本格的な「脱官僚」への備えは出来ていますか、と問いたいものだ。「総理総裁指名」問題以来、「政治の勘」が鈍った迷走知事の手腕再起に、もう一度托するとしましょうか。
 菊は、中国では縁起の良い花である。日本では、葬儀の祭壇に菊が供えられるためか、祝花のイメージとは程遠い感がある。真の政(まつりごと)は「祭りごと」ではない。「ふざけ(腐酒)」た政治や行政はもう御免を蒙りたい。庶民の要望を「聞く」だけで、実行力ゼロの政治屋なぞ退散願おう。後の余生、ほんまもんの「菊酒」を呷る日を嘱望して、毎日の生活を精進するしかない。

<菊の豆知識>
 菊の野生種は存在せず、中国で1500年前に交配によって生まれたとされる。花言葉は「高貴」。鎌倉時代に後鳥羽上皇がことのほか菊を好んで印として愛用し、その後も継承されて、慣例のうちに菊花紋、ことに「十六八重表菊」が天皇・皇室の紋として定着した。西洋では、日本の発展した観賞用菊が渡って広まり、墓参に用いられた。日本でもこの影響を受けて葬儀の際の献花には菊が用いられるようになった。

 

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