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11月23日(月)-飲酒の善し悪し-その3・音痴の戯言

 小生は生来焼酎を好む。公言を躊躇(ためら)うが、小学生の頃から親父に焼酎を許された。大晦日(田舎では「歳の晩」と言う)や正月は宵のうちから焼酎を注がれ、酔っぱらう間もなく、こてんと寝た。想えば、煩(うるさ)い餓鬼を早く寝かせる手だったのであろう。然るに、小学校高学年では二日酔いを知り、中学では親父や祖母の晩酌の伽(とぎ)をした。高校では下宿のオジさんと杯を交わした。大学入学時の獣医学科のコンパでは一気飲みで意識を失い、翌日の早朝気が付いたら研究棟の薄暗い一室で寝かされていた。
 「酒の功過」は今始まったことではないが、「善」と信じて毎夜杯を傾けるのは、アルコールが「大脳皮質」を麻痺させ、「大脳辺縁系」を優位にさせる働きをもつからである。ホモ-サピエンス(Homosapiens、新人=現生人類の学名)は発達した理性を持ち合わせ、それを司るのが大脳皮質である。そこがアルコールで麻痺してしまうと、本能の司令塔である大脳辺縁系が頭を擡(もた)げる。愚痴ったり、人の悪口を言ったり、人の話に耳を傾けなかったり、大声を出したり、罵ったり、暴言を吐いたり、喧嘩を売ったり、立ちションをしたり、猥談に耽ったり、・・・・・・・・・・するのは大脳辺縁系の成せる業(わざ)である。泣き上戸も、笑い上戸もその範疇にある。「酒癖の悪い親仁」も人それぞれで、色々あるということだ。
 大脳皮質の機能がある程度温存された状態、つまり適量の飲酒であれば、大脳辺縁系にも適度の抑制がかかり、「罪の領域」まで行く過ぎることはない。この「植物系的飲み方のスタイル」「上品な酒呑み」として、信頼を勝ち得るのであろうか。小生はそんな酒飲みなんぞに、頓と興味がない。上品な酒豪が幾人存在するかは知らぬが、小生の周囲にそのような人物はいないことを信ずる。呑んで多少の不平不満ぐらいは吐いて、出来れば猥談に花を栄(さか)すようでなければ、呑む価値もなければ、飲ませ甲斐もないというものだ。時には他人の迷惑も考えず、「下手なド演歌」のひとつやふたつ、歌わなくてはなるまい。
 そこで、唐突だが、小生贔屓の酒に纏(まつ)わる歌の歌詞を書いておくか。

「男と女昭和編」/阿久悠・作詞/みなみらんぼう作曲(1978年)
1.暗い酒場の片隅で ひとりしみじみ酒を飲む 何をそんなに悲しげに 影をすすっているのやら 酒は心を軽くして 口を重たくさせるもの それじゃ見かけの辛さほど 苦いお酒じゃなかったの 男三十超えたなら 深く刻んだ皺もある
2.邪魔をしないと誓うから 横へ行ってもいいかしら 縁と言うやつ変なやつ 興味もったが身の不幸 そうねそうかもしれないわ なぜかあなたが気にかかる ひとり飲むのもお酒なら 二人飲むのもまたお酒 これが固めと言うじゃなし 寒い夜更けが嫌なだけ
3.おまえ女でおれ男 なかに定めが横たわる 歌を歌っていいかしら 私かってに歌うから 浮いた歌なら白けるし 暗い歌なら辛くなる それじゃこうして夜更けまで 口も利かずに飲んでるの 飲めば心が話すもの しゃべりゃ心が黙るもの 暗い酒場の片隅で 二人しみじみ酒を飲む 暗い酒場の片隅で 二人しみじみ酒を飲む

 この歌は学生時代によく歌ったが、何時しか遠い昔にカラオケ本から消えた。名曲だと信じている故・阿久悠氏の両親は宮崎県川南町出身である

「知床旅情」/森繁久弥・作詞作曲(1960年)
1.知床の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちの事を 飲んで騒いで丘にのぼれば はるかクナシリに 白夜は明ける
2.旅の情けか 飲むほどにさまよい 浜に出てみれば 月は照る波の上 今宵こそ君を
抱きしめんと 岩かげに寄れば ピリカが笑う
3.別れの日は来た 知床の村にも 君は出てゆく 峠をこえて 忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん 私を泣かすな 白いカモメよ 白いカモメよ
 
 先日他界した森繁久弥・文化勲章受章翁は、生前、「知床旅情」を自ら歌った時、2番の「飲むほどに」を「酔うほどに」と、「今宵こそ君を」を「君を今宵こそ」と、そして3番の「白いカモメよ」を「白いカモメを」と変えている。同じく3番の「知床の村にも」を「羅臼の村にも」と歌うこともあるようだ「私を泣かした」のが「気まぐれカラス」か「白いカモメ」かの問題だが、「君」が森繁翁自身か、それとも知床・羅臼の美女か、共演の女優さんかも、今となっては知る由もない・・・。翁の好みが「気まぐれカラス」系か、「白いカモメ」系かの興味は残るが・・・。翁の冥福を祈る。

 「歌は世につれ、世は歌につれ」と言うが、歌詞と現実は正反対。
それが歌と言うものだ。

-つづく- 

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