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2010年2月3日(水)-「相撲」に思い、「相撲」から思う-

 今日は「節分」。入院を診るだけなので、気が楽だ。気になる医学書があったので、清武の医学部の医学図書だけを扱う書店に出向いた。自分でページを捲って選べるのがよい。イオンやカリーナの書店も医学書が並ぶものの、やはり医学部の方が整理が行き届き、利用し易い。
 その帰り、「家系ラーメン・ガツン」に立ち寄らない手はない。そこで読んだ「スポニチ」の二宮清純・唯我独論「朝青龍 力道山の悲劇に学べ」。二宮氏は「朝青龍よ、酒をなめてはいけない。誰か力道山のことを教えてやってほしい。いつか取り返しのつかない事件が起きそうな予感がする。そうなってからでは遅いのだが・・・。」と結んでいる。小生も力道山の最後については、映画も観たのである程度は承知している。今回の泥酔暴走に関して、「力道山の最後」と類似点があることを病院のスタッフにも話していたので、二宮氏に共感した。
 「節分」と「力士」がどこでどう結びついたのか知らないが、節分と言えば力士が○○寺の境内で豆をまく。風物詩である。ところが今年は朝青龍問題で「節分」がかすんでいる。「」が蔓延らなければよいが。
 相撲と言えば、貴乃花親方が大方の票読みを裏切り、新理事に選出された。貴乃花親方の角界改革案の筆頭格は「小・中学校での相撲の取り入れ」だそうだ。小生が小中学の頃は庭先や学校の砂場、田圃などでよく相撲を取った。学生ズボンは青草の汁にまみれ、股が破れて家人に叱られた。小学6年の正月3日、村の庭先でその家の3つ年上の先輩を相手に相撲をしたら、倒されて踵を骨折した。3か月間、松葉杖で通学した。家からバス停までの2kmは松葉杖での徒歩、残りはバスを使った。相撲での苦いが懐かしい想い出である。
 もう一つの想い出は「西の富士」。中学卒業と同時に「角界」入りした、小中学の同級生だ。中学では学校の中庭や運動場の砂場で、彼を含め4~5人で相撲を取った。彼は小学では剣道、中学では柔道部に所属し、高校は熊本の鎮西高校に出願した。しかし、「横綱・北の富士」が直接田舎(現・美郷町南郷区)を訪れ、勧誘して入門が決まった。村中が前代未聞の歓喜に酔った。彼は醜名(四股名)からわかるように大いに期待されたが、十枚目で通算2場所11勝19敗、23歳の若さで廃業した。
 さらにもうひとつ。亡き祖父は明治45年の生まれで180センチもあるがたい(=図体)のいい男であった。徴兵検査の歳頃になると村の神社で相撲大会があったそうだ。村では大行事でそこで優勝しようものなら、まさしく「男」を上げた。祖父は優勝し、親から誉められたことを、死ぬまで誇らしげに語っていた。
 それほど相撲は国民に浸透し、親しまれていた。しかし、何故か衰退の一途をたどっている。時代が豊かになり、サッカーなど他のスポーツも台頭した。大鵬関のように北海道の炭坑や造林の仕事で育んだ強靭な足腰と腕力がない。今や、「千代の富士」や「北の湖」のように何キロもの雪道を通学することはない時代だ。「心・技・体」のどれもが総崩れの状況である。
 政権交代後の政治の不安定、トヨタのプリウスのブレーキ問題、JALの割安航空券、そして朝青龍騒動に角界改革問題などなど。これらは今始った問題ではない。どうしようもなくなって表面化し、その深刻さを露呈している。このままだと、日本の全てが総崩れする。経済が上手く回っている場合はよいが、今はそうではない。政界や角界を「対岸の火事」と思っていようものなら、とんでもない。「自浄能力」は我が身に課せられている。相撲界は「平成の貴乃花改革」に耳をそむけるようなら、「モンゴル」はじめ外国人に乗っ取られたも同然だ。日本人は「日本人の強い横綱」を見たいのであって、自己保身的で、大した仕事もしないくせにを貪っている人間の内輪揉めなど、まっぴら御免である。

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