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今週の親仁ギャグ・2010年4月25日(日)~5月1日(土)

●昨夜のダブル・世界タイトルマッチ。長谷川穂積がフェルナンド・モンティエに4回TKO負けした。残り10秒の拍子木が鳴ってからの悲劇であった。左フックを喰らってよろめき後退してからは怒涛の回転パンチを浴びた。顎が割れたのは2発目の左だった可能性が強いかもしれないが、長谷川がその左腕をロープに巻き付けたのがまずかった。逆に言えば、長谷川が倒れないように打撃を連発させたフェルナンドの技が凄かった。結果的に長谷川サイドの作戦負けだ。パンチ力は相手が上回っており、打たれ強かったということだが、打たせない・打たれないのがボクシング。言わずとも、リターン・マッチは戦法(作戦)を変えるだろうが、意識が飛ぶ(失神)前のダウンやクリンチの術を会得・体得すれば「鬼に金棒」だ。進化した長谷川が楽しみだ。5月1日。

豆鉄砲で連射・乱射されているのにソッポを向いてオトボケの宰相首相になるのが目的で、首相になった途端、国家国民のために命を賭すことを忘れ、大きく羽ばたけなかった小・鳩。結局は、庶民の気持ちを解せない「お坊ちゃま宰相」であった。この半年、決して無駄ではなかったことを信じて、新たな再出発だ。4月30日。

●「鳩山の一郎」。「一郎の鳩山」。いや、「2代目・鳩山一郎」だ。1代目・鳩山一郎(1883-1959)は「鳩君」の祖父で、1954~56年の首相だ。縁と首は、切っても斬れない「鳩君」と「一郎」今週で2人とも実質の政界引退は確実となった。焦点は次の総理大臣と普天間移設場所。いや、次期総理大臣と「アメリカとの対等関係への針路変更」。4月30日。

●ドラマによれば、1600年9月15日の関ヶ原の戦いで、三成は戦場から伊吹山に逃走した。9月21日、捕縛。22日、大津城で生き晒し。27日、大阪・堺を引き回し。10月1日、京都・六条河原で斬首刑。家康は捕われ身の三成に対面し、言葉を交わさずその場を去った。秀吉に忠誠を誓い、死の寸前まで豊臣家の再興を窺っていた三成。下剋上で側近さえ疑心した戦国時代、家康は、三成の豊臣家に対する忠誠心を美徳として、心から羨ましく感じていたのかもしれないそうであれば、「三椀の訓」が光る。4月30日。

●「三献茶」。実はこの逸話が記載されている資料はいずれも江戸時代のもので、かつ三成の息子が記した寿聖院「霊牌日鑑」では三成が秀吉に仕え始めたのは18歳の時に姫路においてとあるから、この逸話、実は偽話である可能性が高いとのことだ。4月30日。

●「偽りの逸話」。「逸話」は広辞苑によれば「ある人についての、世人にあまり知られていない、興味ある話。エピソード。」とある。今週は家康で始まった。関ヶ原の西軍大将は石田三成(1560-1600)である。「三成の逸話」はやはり「三杯の茶(三献茶)」であり、小生の記憶では「三椀の教(訓)」と理解している。秀吉が鷹狩りの帰りに咽喉の渇きを覚え近江国長浜の観音寺に立ち寄った際、そこの寺小姓であった三成が一杯目は大振りの茶碗に温めの茶を、2杯目は中振りの茶碗に中等度の温度のものを、3杯目は小振りの茶碗に熱めのものを差しだしたという話である人間、何事にもその位気を使いなさいということだ。4月30日。

●「働きの割に給与が多い」。これが庶民の公務員に対して距離を置く理由の一つだ。具体的には40歳の大卒の会社課長。朝9時から夜9時まで働き、土曜日出勤も珍しくない。クレーム処理で夜間や休日の呼び出しも有る。有給休暇はまずない。県庁マンに比べたら、1.5倍の実働時間。年収はどちらも600万円。この課長、このまま65歳まで働いて退職金を1,500万円もらえるか微妙だ。10年後に会社があるかもわからない。これが現実である。この現実を公務員にも当てはめるための「国家あるいは地方公務員法」の改正が必要なのだ。念のため記すが、何も「馬車馬」のように働けというのではない。行政システムを簡素化して今まで3人でのんびりとこなしていた業務を2人でもそつ無く出来ないのか、それを可能にしなさいというのが、庶民の切な思いである。天下りに至っては論外であり、人格をも否定したくなる。庶民の常識と公務員の常識の解離が問題だ。4月29日。

来年度の国家公務員・新採用を半減財政改革には職員数と予算の削減が最も効果的。独立法人の廃止・縮減に対する抵抗の大鉈はこれしかない。「独法仕分け」の原則は全廃、必要なものは民営化あるいは地方に権限移譲(勿論予算も)。まだまだ、生ぬるい政治家の庶民感覚。だが、選挙の票取のために過急すると官僚の旧(もと)の木阿弥になる。最長4、5年はかかろうが、「原則は廃止」でいかないと国民は納得しない。4月29日。

●「必殺仕分人」の第2弾・前半最終日。独法仕分け49縮減と35廃止復活なしでいつから実施されるかが問題である暴れん坊将軍いや失敬暴・蓮坊女史の実力判定は今からだ。4月28日。

反対に潰れる店仕入れを疎かにする(素材が新しくない・地物に拘らない・旬を気に掛けない)仕込みに時間を掛けないメニュー(献立)を毎日書き変えない「突き出し」がいつも似たり寄ったり飲み物が出るのに時間がかかる料理の出てくるのが遅いスタッフの愛想・形(なり)振り(=みなりとそぶり=服装と態度)が悪いトイレをはじめ店内が不潔酒類に全く拘りがない、マスターは物静かでも構わないが個性を感じない・・・・・、店側の粗相に対して「大将」が出てこないで下っ端に処理させる。4月28日。

「ニシタチ」が寂れたという。実感するところだが、「客引き」が減って歩きやすくなったのも事実だ。そんな中、西銀座通りにあるふく膳」はいつ行っても満席かそれに近い。これには頷ける話があるので紹介する。「ふく膳」はビル1階の奥右にあるが、入口の引戸(やりど)を明けると右側に「タオル」が数枚置いてある。「ちょい書き」に「お足元の悪い中、ご来店頂き有難うございます。雨に濡れた顔やお着物などに、タオルをどうぞ! 使用後はカゴの方へお入れ下さい。」とある。繁盛している店は何所かが違うのだ写真有。4月28日。

●オバマも平和を願い、鳩君もその名の通り平和を望んでいる。ならば、鳩君の言・行動は「在日米軍基地全面撤廃(排除)」しかない。オバマもその意志決起を待っているのだオバマの本音は意外に日本贔屓かも。4月27日。

今日は(も?)酔っぱらった。我が大将・鳩君は本当に愚帝なのか。オバマもアンポンタン大統領なのだろうか。これは誰も思っていないかもしれないが、酒を飲んでいてオバマの本心が読めてきた気がする。鳩君の本音も、オバマの本音も同じだ。日本は米国の属国(支配)からの脱却を希求し、米国(少なくともオバマ)は日本の真の独立を願ってはいないのか。日本自国の自己防衛論議の湧沸はいつぞや!オバマの口からはそれを語れないのだ今日も子の刻になってしまった。4月27日。

●「織田がつき 羽柴がこねし天下もち 座りしままに 食うは徳川」という狂歌があるが、それよりも知られているのが「時鳥」である。「なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府」。「鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤」。「なかぬなら鳴まで待よ郭公 大権現様」。この川柳は江戸時代後期の肥前国平戸第9代藩主・松浦清(1760-1841)の随筆「甲子夜話」にある。これらは家康に対してかなり無礼な狂歌や川柳であるが、現代にもこういった人種は五万(巨万)といる。4月27日。

家康の主な戦(いくさ)。23歳(1564年)、「三河一向一揆を平定し、三河全域を支配」。29歳(1570年)、「信長とともに姉川の戦い朝井・朝倉氏を破る」。31歳(1572年)、「遠江(とおとうみ)侵略を進める武田信玄を三方ヶ原の戦いで迎え撃つも大敗」。34歳(1575年)、「信長・家康連合軍、武田勝頼率いる武田軍を長篠の戦いで破る」。41歳(1582年)、「甲州征伐スタート。信長より駿河を与えられる。本能寺の変により、信長急死。家康、堺から伊賀越えで急きょ三河に帰る」。43歳(1584年)、「信長の息子・信雄(のぶかつ)と連合し、羽柴秀吉と小牧・長久手の戦いで合戦。約半年後に休戦、講和」。49歳(1590年)、「秀吉の小田原攻めスタート。家康は先鋒隊として出陣。北条氏滅亡。家康、秀吉の命により関東に国替え(江戸入府)」。59歳(1600年)、「天下分け目の関ヶ原の戦い」。64歳(1605年)、「秀忠に将軍職を譲渡。秀頼、家康の上洛催促を拒否」。66歳(1607年)、「駿府城にて大御所政治スタート」。73歳(1614年)、「大坂冬の陣で豊臣方と合戦するも、講和」。74歳(1615年)、「大坂夏の陣豊臣氏滅亡」。75歳(1616年)、「鷹狩りに出た先で倒れ、およそ3ヶ月後に駿府城にて死去」。(同下を参考というよりはほぼそのまま)。4月26日。

●きのう、ケーブルで「関ヶ原」(TBS系1981年1月2~4日放送、原作・司馬遼太郎)をほんの少しだけ齧(かじ)り見た。主人公は「徳川家康」と「石田三成」家康は1542年三河国岡崎で生まれた。6歳の時、今川義元の人質として駿府に向かう途中、家臣の戸田康光に欺かれ織田信秀に売れれた8歳で父・広忠が近臣に暗殺された。同年、今川家軍師に奪還され今川家の人質になった。14歳・元服。16歳で結婚し、17歳で初陣。19歳、桶狭間にて、織田信長の奇襲により義元敗死、今川家から独立して岡崎城に入った。21歳で信長と「清州同盟」を結び、「家康」と改名。25歳、徳川姓に改めた。・・・38歳、第3子・秀忠誕生、信長の命により、長男・信康を自害させ、正室・築山御前を殺害した。・・・(週間江戸①・「家康江戸に入る」から、デアゴスティー二発行、2010年2月)。壮絶な人生だ。天下人・鳩君! 貴殿は命を賭して、国政にあたっていますか。4月26日。

●今日25日は夜間当番の日。正直、いつもは「暇でありますように」と祈る。ところが今日は当り日であった。日曜なので通常の診療は4時半で受付終了。それからが戦場と化した。「胃捻転のアイリッシュセッター」、「交通事故のシェパード」、「熱中症のプードル」、「椎間板ヘルニアのM.ダックス」、「M.ダックスの咬傷」、「パピヨンの玉葱盗食」、「眼瞼腫脹のチワワ(アレルギー?)」である。今日の受付は9時半で終了だが、電話はまだ鳴っている昼間のスタッフ2人も自ら何も言わずに最後まで手伝ってくれた。感謝!感謝!感謝! 4月25日。

●今日もあと1分で「夜九(ここの)つ」。夜中だから「子(ね)の刻」。夜中も「夜のなかば。宵の後で、暁にならないころ。夜半。」(広辞苑)と長い。気象庁の時間細分図」では夜中の「0時から3時までを未明」としている。4月25日。

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