●11日の昼飯は「キビナゴの刺身」。愚妻が近くのスーパーで買ってきて、自分で手開きして拵えてくれた。キビナゴは鹿児島の郷土料理であるが、県の魚ではない。鹿児島県の魚は「トビウオ」なのだ。鹿児島本場の「菊花造り」とまではいかぬが、新鮮なため味は確かだ。キビナゴはニシン目ニシン科キビナゴ属とされるが、ウルメイワシ亜科との見解もある。仲間にはニシン、マイワシ、サッパ、ウルメイワシ、コノシロがいる。語源は鹿児島南部では「帯」のことを「キビ」と言うからであろう、とされる。キビナゴの好物はアミエビで、食後はそのため腹が赤くなり、これが鮮度と味を落とす。アミが消化されて色が消えるのが午前3時以降のため、この頃から漁を始めるのだ。「華金」はやはり「ニシタチ」である。いつもの「一八」の突き出しは、これまた「キビナゴ」であったから、2度喜んだ。6月12日。
●「当店は、うどん・そば一杯につき○円を口蹄疫義援金として寄付します」。これには目が点となり、あいた口が塞がらなかった。市内のある有名老舗店のレジ前に貼られた紙。何度も読み返したが、やはり1円に間違いない。そこで、帰宅後スタッフに聞いてみた。「うどん一杯でなんぼの義援金かねぇ~」。応えは30円?10円?10円?10円?10円?・・・だ。いくらなんでも1円はなかろう。代が変わって日も浅いようだが、商売のセンスが疑われるどころか、ゼロだ。創業○○○年の老舗がやることではなかろう。これは宮崎の商売の象徴だ。次が無い。なんせ驚いた。6月10日。
●きのうの酒肴は「トビウオ」だ。勿論、刺身が一番。きわめて淡白だがモチモチ感がたまらない。DHAやEPAも豊富で、腐りかけた脳ミソにも効果がある。初夏から夏が旬。ダツ目トビウオ亜科トビウオ科ハマトビウオ属で、世界に60種近く、日本には28種が知られている。サヨリが近縁種で、シイラやマグロ、イルカなどに追われ海水中の速度が20kmになると、150メートルまたはその倍以上(最長で400m)の距離を滑空する。滞空時間は最大20秒間、高さは海面から数メートル(最高で10m)にもなり、速度は60km/hrにも達する。滑空時水面との接触回数は1回が21%、2回が10%、3回が8%である。ものによると、「空中を飛ぶため内臓が小さく、鮮度が落ちにくい。脂質が比較的少なく、タンパク質に富んでいる。身は水っぽいので刺身には向かない。・・・・・」とあるが、これを書いた人間は余程時間の経った腐敗寸前のトビウオを喰らったのであろう。「無味の味」と称して河豚を絶賛した魯山人に「宮崎のトビウオ」を評してもらいたいものだ。飛んで翔びまくった「無脂の魚」・トビウオ君が美味くないはずがない。6月10日。
●鰻の旬は産卵で河から海へ下る秋であるが、最も食されるのは「土用の丑の日」前後の夏場である。今ではもちろん養殖が主だが、そのもとであるシラスウナギは100%天然に依存している。12月から4月までの期間に河川や海岸線で採ったシラスの長さは6cmセンチ程で、重さは0.2gである。それから6ヶ月から1年半養殖して市場に出回るのだ。昨夜の「鰻と胆」は、今季のシラス不漁のためか、鰻身(うなみ)と胆が一緒の串に刺してあり、かつ胆は2個であった。今年は特に目ざとく「胆に銘じて」鰻胆探索(まんたんたんさく)に精を出さねば・・・。6月9日。
●鰻の胆のどこがうまいか。それは苦味にある。であるから、きもは肝ではなく苦味の宝庫である胆嚢の「胆」である。6月9日。
●きのうの酒宴のメインは「鰻と胆(=きも=肝)」。暑くなり土用の丑の日が近づくと鰻の胆が出回るから、焼酎呑みにはたまらなく嬉しい。北大路魯山人の「春夏秋冬・料理王国」(中公文庫)の「知らずや肝の美味」の冒頭に「魚類の肝にはなかなかうまいものがる。鳥の肝にもあるにはあるが、魚のうまさには遠く及ばない。獣の肝には、これといううまいのはない。魚の肝で特にうまいのは鯛、鱧、皮剝、河豚、鮟鱇、鰻、鱈。」とある。巨匠と好が合うと何故にか嬉しい。6月9日。
●今日は、1週間で最も楽しみの「WOWOWエキサイトマッチ」がない。BS-TBSの「吉田類の酒場放浪記」。今日の酒場での吉田さんは、ご機嫌で泥酔だ。左の頬には何か食い物の欠片をつけ、眉毛はハの字で、口元も緩み、発する言語はシドロモドロだ。吉田さんには「今宵の酒場」が多くて、羨ましいかぎりだ。吉田さんの立ち寄る「居酒屋」を見ていると、小生の第二の人生は「居酒屋親爺」に決まりだ。宵の口は過ぎたが、まだこの時間は「宵の中(うち)」。ダジャレ親爺の営む、小生命名の「山の下」へ出向かない訳はない。それじゃ~。6月7日。
●新内閣人事。何でも誰でもよいから、現在の「鬱積した日本」から早く開放してもらいたい。まず、鬱積している不満や不安が何なのか、どうすれば吹っ飛ばせるのか、その道筋を示して貰いたい。マスコミもそこを突かないと空虚だ。マスコミは、面白可笑しくでは視聴者も逃げる。評論家も思っていることを明確に述べて「何ぼ」のものだ。政治関連の番組も飽きた。ということで、昨夜は「ダリヤメ」の後、「鬼龍院花子の生涯」をテレビで見た。昔、映画で見た「絶世の美人で大女優・夏目雅子」を想い起した。阿保な政治番組を見ているよりはよっぽど増しだ。6月7日。
●昨日は「もも焼き」をガブリに、加納の「とりの家」に出向いた。若大将の曰、「捌きの庖丁は牛刀を使っているが、もう3分の1の長さにまで短くなった。玉鋼でできているので、研ぎには4~5時間かける。そうすれば、20日間は切れる。」。我々が庖丁を砥ぐのとは訳が違うのだ。「とぐ」は広辞苑で「研ぐ・磨ぐ」であり、「刃物などを砥石ですって鋭くする。」とある。我々の砥ぐは擦って錆を取っているに過ぎない。鶏を捌く包丁(牛刀)は、職人にとって「日本刀」の感覚である。勉強になった、ビール1杯と焼酎2合のダレヤメであった。6月7日。
●経済が好転すれば会社の社長の懐が潤う。税収が増えれば公共事業に金が回り、公務員の定数削減にもマッタがかかる。戸籍上だけの離婚で生活保護を受給している人も今まで通り。身過ぎの種がないと不貞腐れているヤンキーも今まで通り、親の脛が齧れる。「こんな今」はこれから幻想であるということを、国民はもう悟るべきだ。1,000兆の借金は誰かが得をして返せる額ではない。国民一人一人、一人残らず誰もが犠牲を払う覚悟をもって、議論しなければ空虚なだけだ。6月6日。
●1,000兆に達しようかという「国の借金」。「イラ菅」の政治信条は「強い経済・強い財政・強い社会保障」と「最小不幸社会」だ。「経済を活性化し、税収を増やし、財政を健全化し、社会保障を充実させる政治で、誰にでもある国民の不幸を最小のものにする」。小生にしても、完璧なまとめだ。6月6日。
●総理大臣が変わると出現するのがファースト・レディー。基本的に(小泉・元総理などは別)総理の数だけいる。マスコミは構わず取材するが、今回は(も)チャンネルを変える。First LadyかFast Ladyか知らぬが、あまりペラペラしゃべり過ぎてWorst Ladyにならなように注意すべきだ。「あげまん」のつもりが「さげまん」になっていることに周囲が気づかせることも必要だ。6月6日。
●「首相は国民が育てなくてはならない」。なるほどいい意見だ。ついでに、「国民投票」で選んで、そして育てたいものだ。マスコミも評論家も猛反省すべきだ。面白可笑しでは、それは犯罪に近い。6月6日。