●尖閣映像流出事件の最大の問題は、事件発生の早い段階でイラ菅がビデオを全く視ていなかったことだ。神楽坂あたりで何時間も飲食するくらいだから、その時間は十分にあった。少なくとも全閣僚や幹事長などの幹部を含めて視ていれば、当然、公開を決断したであろうことを信じたい。公開によって、中国漁船と中国政府の非を国際社会に訴えられ、船長も釈放することもなかったし、もちろんビデオ流出問題もなかった。さらに、中国のレアメタルの輸出制限も起こらなかったであろう。最初に視てイラ菅に言葉で伝えたSengoku官房長官と馬渕国交相の政治センスの無さは責任追及されるべきだ。官房長官はもう、いら~仙。イラ菅を筆頭に、政府は事件発生当初、事の重大性を正確に認識できなかったのだから、根が深い。11月13日。
●チャーチルではないが、日本は「愚衆政治」の断末魔、いわゆるチェーン・ストーク呼吸状態だ。公務員の長(おさ)は誰なのだろうか。総理大臣ではない国、日本。政府=総理が秘密とした映像を流出して罪ではない国、日本。法曹界はじめ、いろんな輩が実しやかに堂々と唯我独尊的にのたまう。これが、罪に問われなければ「愚衆」そのものだ。黄砂ではないが、越年前に解散風が点滅してきた。「橋下新党」しかないな。11月13日。
●愛犬ベルも老いて出迎えは忘却の彼方。酔親仁にはなんとも寂しい。タクシーを降りて玄関まで短足千鳥で20歩。玄関で待ちうけるは正体不明の子木。1ヶ月前に拙庭で見いだし、鉢に放り込んでやった。いまだに正体が知れぬが、山茶かと想い煩う。今夜は雨蛙も迎えてくれた。寒くはないので、ちさな如雨露で湿らせた。何にでも、気が通うのは晩秋の息か。あしたは雨になりそうな。写真有。11月13日。
●一人の公務員の犯罪で総理大臣の座が危ぶまれる事態。総理大臣がそうであるから、全国民にあてはまることだ。職場でのギャグや酒場での無礼行為なども隠し取られてネットで流されようものなら、他人(ひと)ごとではない、ということだ。大阪の橋下知事のいうように、これが許されようものなら、行政はできないということだ。11月12日。
●尖閣映像流出犯、あんたはちょいと卑怯者だな。究極は、石原慎太郎・都知事ではないが、「保安官という一員の判断で戦争をしかけても※、愛国心からであればOKなんだ」と、同等な議論なのだな。あんたは自己弁護しないで黙して語ったら、良かったんだな。43歳か、家庭を思ったか、自己防衛に走ったな。そうしたのだから、あんたはその時点で「愛国者」ではないな。※危険で緊張した尖閣の衝突で、現場の一保安官の独断で攻撃を仕掛けても罪にはならないということにはならないだろう。11月11日。
●「その父賢にして、その子の愚なるものは稀(めずら)しからず。その母賢にして、その子の愚なる者にいたりては、けだし古来稀(まれ)なり」。昨日両親が我が家に来て、一晩泊った。母親に感謝だ。日本の母親ガンバレ! 11月11日。
●命名の重要性。「松園という雅号は鈴木松年(しょうねん)先生が、先生の松の一字をとって下さったのと、絵を学びはじめた頃、私の店で宇治の茶商と取引があり、そこに銘茶のとれる茶園があったのとで、それにチナんで園をとり、「松園」とつけたものである。」(下記の上村松園の随筆集の77ページの「棲霞軒雑記」より)とある。最近、ひょんなことから名前の話になり、小生が名前の由来を聞くと、「一字は爺様(じいさま)の名前からもらい、もう一字は???、分からない」という。電子辞書で調べてあげようと思い、画数を聞くとこれが間違っていた。小生もはじめて見る漢字であったので、興味を掻き立てられて、ついに発見した。いい大人がこの調子だから、生まれてくる子供にも「芸能人」みたいな、訳の分からない、当て字も甚だしい、誰も読めないような「命名」をするのだろう。「名は体を表す」は大げさかも知れぬが、真剣に考えなければ、子供がかわいそうだ。少なくとも、「あんたが生まれた時に○○○が流行っていてねぇー」だけは避けたい。そして、子供が物心ついたら、名前の由来と意味をキチンと教えてあげることだ。そうすれば、子供はその名に恥じないように努力すると思うのだが。11月11日。
●「乳白色のFujita」。拝まれた「アッツ島玉砕」。藤田は従軍画家として戦地に赴き、描いた。戦争画は芸術か、それとも戦意高揚のプロパガンダか、よく問われることだ。戦時中に「アッツ島玉砕」を目前に瞑目して拝み、賽銭を上げる人がいるということは、これは芸術であろう。1949年に日本を飛び出し、1968年に死去するまでの約20年。古びた日本人形にフランス政府から授与されたレジオン・ドヌール勲章をしっかりと縫い付ける位だから、日本への望郷の念の深さは想像に難くない。写真有。11月11日。
●上村松園(1875-1949)の文章を読んで、藤田嗣治(1886-1968)のことを思い出した。「・・・・・単独で会場(青森で催された戦争画=記録画巡回展)に滑り込んで居た作者(藤田嗣治)はそのアッツ玉砕の前に膝をついて祈り拝んで居る老男女の姿を見て生まれて初めて自分の画がこれほど迄に感銘を与え、拝まれたと言う事は未だかつてない異例に驚き、しかも老人たちは御賽銭を画前になげてその画中の人に供養を捧げて瞑目して居た有様をみて一人唖然として打たれた。この画だけは、数多くかいた画の中の尤も快心の作だった。」(「藤田嗣治」・異邦人の生涯、近藤史人著、204ページ)。写真有。11月10日。
●つづき、「芸術を以て人を済度する。これ位の自負を画家はもつべきである。よい人間でなければよい芸術は生まれない。」小生の好きなテレビ番組である「美の巨人たち」(TV TOKYO、BS Japan、日曜7:30~8:00)でも先週、「序の舞」が取り上げられた。「巨人」は芸術に対する向かい方がわれわれ凡人とは違う。つづく。11月10日。
●「私は大てい女性の絵ばかり描いている。しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところものである。その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる・・・・・・といった絵こそ私の願うところである。」(87ページ)。チョイ待ちの本、上村松園・全随筆集「青眉抄・青眉抄その後」が送られてきた。写真有。つづく。11月10日。
●尖閣映像流出犯がお縄になる。もっと早く名乗り出れば「英雄」に違いなかったが、遅きに失した感は歪めない。なぬ、菅総理は当初、尖閣ビデオを見ていなかった。Sengoku官房長官と馬渕国交相だけが見て、総理に報告したという。その間、神楽坂などの日本料理店などで3時間も飲食を繰り返していたという。「夜の帝王」も総理になるのが目的で、国を変えようというのは嘘っぱちであった。それにしても「闇の帝王」Sengokuの国会答弁は「屁理屈」っぽくて、聞くに堪えない。秀才・Sengokuに代表されようか、あまりにも頭が良過ぎても、駄目だな。政治もセンスだ。11月10日。
●MRT「ペット・ラジオ診察室」が始まって20ヶ月目。月2回の録音だが、準備は2、3日前からなので、結構、慌てる。切羽詰まらないと本気になれないのは悪い癖だ。1度リハーサルをしてからの本番。少々のオーバーは戸高アナが編集を上手くやってくれるので助かる。獣医師2年目の相棒も「ペット・ラジオ診察室」で実力をつけている。そういうことで、収録後の「ニシタチ」は最高の気分で呑めるから、嬉しい。写真有。11月9日。
●尖閣問題での「映像流出事件」は国民の支持を得ている。が、「守秘義務違反」とは別問題だ。公務員やその組織が国の方針に逆らって情報を漏らすことは、それも恐ろしいことだ。ただでさえ公務員の不祥事に甘い「公務員天国」の日本。罰すべきは罰せられなければならない。それにしても「首領(ドン)が鈍菅」だから生じた問題。11月9日。
●名乗らぬ、分からずは政治と行政の共犯か。迷宮入りの最悪のシナリオだ。11月9日。
●なぬ、名乗らぬ「尖閣ビデオ」流出者。早く名のれば「英雄」だ。あなたは「犯罪者」だが、あなたを特定しようとする官邸は「売国奴」だ。今日も酔っぱらった。今日のU-21・サッカーは中国に勝った。スポーツは純だ。御苦労さん。今日も疲れた、五十路は辛い。でも、酒量はまだまだ。11月8日。
- 洗礼を受け、レオナルド・Fujitaと改名し、再び日本に帰ることはなかった。死後、遺品整理に立ち会った近藤氏によれば、倉庫の一つの箱の中にあった古びた日本人形にはレジオン・ドヌー
- 「アッツ島玉砕」は1943年作で、193.5×259.5cmの大作。藤田は戦争画のトップ画家であったため、戦後「戦犯」の罪を着せられかねない事態になり、1949年3月10日、フランスへ向かった。その後
- 美人画と言えば、上村松園、鏑木清方、伊東深水。中でも松園は、「松園の前に松園なし、松園の後に松園なし」と言わしめた人物で、女性で初めて文化勲章を受章した。そもそも女性が絵
- 「今日のワンコ」が「心室中隔欠損」のイングリッシュ・ブルドッグと、「今日のテーマ」が「ステロイドホルモン剤」の生理作用。写真の相棒のテーマは「顔面神経麻痺」。本番は真剣だ