●ついでに、誕生日を祝うという習慣は一体いつ頃から始まったのであろうか。日本は長い間年齢を「数え歳」で数えてきたので、正月に家族皆が1つ歳を取っていたのである。正月を祝う事は歳が1つ増えたことを祝したのである。田舎では、大晦日の夜を今でも「歳の晩」というが、何となく(?)「クリスマスイブ」に似ていて、オモシロイ。今の様に個人の誕生日を毎年祝すのは、昭和25年(1950年)1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」による。この風習は欧米を起源とするのだ。12月25日。
●クリスマスにケーキを食らうのはなぜか。クリスマスを祝って食らうからか。クリスマスはキリストの誕生日。ということは、われわれ異教徒の、ましてや一庶民の誕生日でケーキを食らうのは、その真似ということだ。小生が小学校の頃は、一年で1回、クリスマスにしかケーキがわたらなかった。それもクリスマスイブかクリスマスの日の夜、地域の公民館に集まり、直径が10センチ位のデコレーションケーキをもらい、そのまま大切に家に持ち帰り、家族で食らった。クリスマスで世間が騒々しいほど、昔が懐かしい。ちなみに誕生日を祝ってもらうとしたら、当時の我が家は小麦粉いっぱいのライスカレーかねったくり(ねりくり)であった。ふと、おふくろの当時のライスカレーが食いたくなった、イブを過ぎた未明の今だ。12月25日。
●きょうはクリスマスイブか。教会暦の24日の日没から深夜0時までの約6~7時間のことか。クリスマスイブとクリスマスの2夜を祝うから、ケーキ屋さんやおもちゃ屋さんはじめ、商売にはキリストさまさま(降誕祭=誕生)である。12月24日。
●きょうは「天皇誕生日」。現在の今上天皇は125代目で123人目の天皇だが、神話時代の第1代・神武天皇から14代の仲哀天皇までは、その実在が疑問視されている。15代目は応神天皇で、その後の28代天皇の宣化天皇までは生没年や在位期間が不明である。ある程度はっきりしてきたのが飛鳥時代の29代・欽明天皇で、生没年が507年以後~571年で、在位は?~571年である。それ以後は日本史の書物で分かる。今日の天皇記者会見は率直な気持ちが出ていて良かった。12月23日。
●どんげかしてくれんと「い菅」でよ。が、自分がでけんことを人の所為にしようとする悪癖はどこからきた性根であろう。菅総理は、仙石官房長官と同じく、学生運動にのめり込んだ一人だ。全共闘や民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーでもあった。学生運動家が政治家になるなとは言わないが、思うようにならないことを他人の所為にするのはその為か。筋金入りの政治家には程遠いありさまだ。12月23日。
●きのうは、冬至で「柚子湯」の日であった。血行促進効果が高く、古くよりひび・あかぎれを治し、風邪の予防になると伝承されている「行事」だ。更湯(さらゆ=新湯)と柚子湯に入浴後の血中アドレナリン濃度を調べると4倍の差が出たとの報告があるらしい。柚子湯はアドレナリンを減らして血管を拡張させるというのだ。果皮のクエン酸やビタミンCには美肌効果もある。柚子湯は銭湯が登場した後の習慣で、冬至と湯治の語呂合わせで、身体息災であれば融通が利くとのこじつけであるとの説がある。12月23日。
●一気に来た11.5kgの体重減。昨夜は今季2回目のイノシシを喰らう会。赤身は我慢して、脂身の汁を頬張る。鹿刺もそれなりの絶品で最高。神門の野山を駆け回っていた獣だ。山の神に感謝だ。写真有。12月20日。
●どういうことか、きのうの夕刻、最近では珍しい雀の群れ。窓を閉め切った部屋にまで囀りが聞こえてくるではないか。外に出てデジカメで撮ってみた。広辞苑の②に「おしゃべりな人。また、ある所によく出入りして事情にくわしい人。「京-」「楽屋-」」とある。「ニシタチ雀」はちょいと迫力ないな。写真有。12月19日。
●きのうの晩飯は「一八」へ。体重10㌔減の祝勝会だ。とは言っても、愚妻との静かなプチ会食。今季初の「蛤の吸い物」と「カラスミ」。もう一品は「シブ鯛の兜焼」。8時半には店を出たので、今夜も寝つきが悪い。酒量不足だ。大奥がいると御開きが早いのだ。年内にあと2㌔は痩せるぞ。写真有。12月19日。
- の「心」が大事である。この写真は神門の猟師・人呼んで「神門のターザン」が仕留めて送ってくれた猪バラ肉が3キロで、肋骨を外した後が見て取れる。猪は「大寒」の頃の60キロ位の処女
- カラスミは中国製の墨である唐墨に形が似ることから。しかし、字は唐墨とは違うが、辞書で見つけきれない、歯痒さはカラスミのネトネトそのものである。ウニ、コノワタで三大珍味と呼
- ではないか。台湾やイタリアのサルデーニャ島、スペイン、エジプトでも食されるとのこと。日本には江戸時代の初期に中国より長崎に伝来したといわれるが、豊臣秀吉が食したとの文献も
- の黒」とは碁石の話。文久年間に日向市付近の日向灘沿岸で貝が採れるようになり、明治中期にはお倉ヶ浜のスワブテ蛤が市場を独占し上物として珍重された。蛤はその他に顔料や日本画の