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今週の親仁ギャグ・2011年2月20日(日)~2月26日(土)

凄い男と言えば「ノニド・ドネア」。つい先日の2月19日、第16代WBO世界バンタム級王者になった1982年生まれの28歳の男だ。対戦相手は、我らが勇で第26代WBC世界バンタム級を10度防衛した長谷川穂積に勝利したフェルナンド・モンティエル。WBC・WBO世界バンタム級王者のメキシカンの強豪だ。そのモンティエルを物ともせず、モンティエルの出した右フックを顔面に擦る程度でかわし、クロスカウンター気味の強烈な左フックで2回TKO勝利した。マットに沈んだモンティエルの両脚と頭部はバタバタバタと痙攣した。彼こそが、パッキャオ2世と言われるフィリピン人だ。これでメジャー王座3回級を制覇し、メジャー4団体(WBA・WBC・IBF・WBO)全てで世界王座についた。凄い男をいとも簡単に打ちのめす超凄い男が世界にはいる。体重苦のあった長谷川は、現在2回級上のフェザー級王者で、来る4月8日に元WBO世界バンタム級王者でもある1位のジョニー・ゴンザレスと初防衛戦を行う。2月26日。

稲尾和久は別府市生まれ。7人兄弟の末っ子。家業は漁師。当然小さい時から櫓を漕がされた。「薄い板一枚隔てて、下は海。いつ命を落とすか分からない小舟に乗る毎日だったが、おかげでマウンドでも動じない度胸がついた」。「バランス感覚は養われたかもしれないけど、下半身のトレーニングにはあまりなっていないよ」。最終戦の後半は極端な握力の低下で土の上のボールを握って持つことが出来なかったとも語っている。2007年11月13日、満70歳で死去。1958年の日本シリーズはYou Tubeで観れる凄い男がいたもんだ。2月26日。

●第1戦と第3戦、稲尾を擁しても3連敗した西鉄。「どうせ負けるなら稲尾で負けよう。それならファンも納得してくれる。そういう理由での起用であって、あれは戦術ではなかった」とは三原脩監督の弁。もう一つの逸話ではない秀逸の話。2対0のリードで迎えた第6戦の9回、二死一塁三塁でバッターは四番・長嶋。マウンドの稲尾に近寄った監督の「敬遠して次のバッターで勝負するか」との問いに、当の本人は「いえ、長嶋と勝負したいです。一度は諦めたシリーズじゃないですか」。結果はキャチャ―フライ。長嶋は甘いホームラン球だと思い「しめた」と強振。一方の稲尾は「長嶋のホームランコースより球半分ずらした」と語る。つづく。2月26日。

●1958年日本シリーズで稲尾は7戦中で6戦登板した。第1戦は4回ノックアウトを食らい1敗目。第3戦は完投したが0対1で2敗目を喫した。第4戦6対4で完投して1勝目。第5戦は4回表からリリーフ登板して10回裏に稲尾自らレフトスタンドにサヨナラホームランを放って2勝2敗。第6戦は2対0の完封勝利で3勝2敗。最終の第7戦は6対1で完封して4勝2敗。稲尾ひとりで勝ったのだ。つづく。2月25日。

●昭和33年の日本シリーズは西鉄対巨人。3連敗で第4戦は稲尾が先発で完投勝利第5戦は延長に入る接戦で、稲尾が四回からリリーフし、延長十回裏に稲尾自身がホームランを放って勝利し2勝3敗第6戦も初回の2点を先発稲尾が守り抜いて完投勝利し、対戦成績はイーブンに第7戦も稲尾が先発し、6対1で完投勝利。これが「4連投4連勝」の伝説でない神様の話、いや稲尾様の話だ。つづく。2月24日。

●稲尾の同期には畑隆幸というピッチャーがいて、彼の契約金は八百万円で、稲尾は五十万円であった。当時の高卒公務員の初任給が六千円。稲尾は連日、豊田氏や中西太、高倉照幸ら主力のバッティング・ピッチャーを務めた。ところがだ、彼らは稲尾の投球にバットを当てられない。それを三原脩監督に進言したのが「鉄腕・稲尾」誕生のはじまりだ。この時稲尾は、打ち返された強打が自分に当るまいとして、ピッチャー返しが出来ないように丹念にコーナーを突いていたのだ。つづく。2月24日。

昭和33年というのは「鉄腕・稲尾」が「四連投四連勝」した伝説の年だ。豊田氏が初めて稲尾に会ったのは昭和30年の入寮の日だ。寮の玄関に訪ねてきた痩せ細り、ヌボーっとして、風呂敷包み一つしか持っていない稲尾に、「あんたはどこに就職したの? 電鉄はこっちじゃないよ」と。「布団はどうしたんだ」と問うと、「うちは貧乏だから布団はありません」。豊田氏は布団を買い換えたばかりだったので御古を与えた。おまけに空き部屋がなかったので豊田氏の部屋での共同生活となったつづく。2月24日。

この世で(口から)出まかせな商売は政治家(議員)と評論家だ。後者では経済評論家と政治評論家が悪の双壁だ。好き勝手に評論をぶちまけて責任は一切ない。気楽な商売だ。相撲再興問題で、ある著名なスポーツ評論家は「公営ギャンブル」化を堂々と進言する。言って置くが、相撲が神事であることを第一義に考えなくては話が迷走する野球評論家の豊田氏の提案は、「ちゃんこ鍋社会」とも言うべき角力の閉鎖性が生んだ不祥事であることを指摘したもので、素直に甘受できそうな提言だ小生は雑誌の切り取りや新聞の切り抜きをまずしないが、引出しに大事に保管している2008年1月号の文藝春秋の切り取りがある。豊田泰光氏が書いた「鉄腕稲尾 昭和33年の奇跡 神様、仏様、稲尾様は誰からも愛された世界一の投手だ」の文章だ愛ある評論家。2月23日。

●相撲は神事で命懸のガチンコ勝負、ここが重要だ。きょう23日の毎日新聞25面の「大相撲よ」のコーナーに野球評論家である豊田泰光氏(76)が寄稿した文に同(共)感した。掻い摘むと、①力士も相撲の世界だけでくらしているからおかしくなる、②先輩が教えることなんて変なことが多い、③先輩に頼らず自分の目を鍛えないとダメ、④部屋を稽古場にして自分の家から通う、⑤親方は稽古場で教えてコーチ料をとる、⑥自立して一般人と付き合い世間(社会の善悪)を知る。なるほどな話だ。つづく

当麻蹴速(たいまのけはや)は「伝承では垂仁天皇時代の人。相撲の祖とされる。大和国当麻に住み、強力を誇ったが、天皇の命により出雲の野見宿祢(のみのすくね)と力をくらべ、腰を蹴折られたという。たぎまのくはや。」(広辞苑)。日本書紀に出てくる力持ちだが、実在したかは不明。だが、奈良時代、相撲が天皇の命でしかも命懸けだったことは真実のように思えるつづく。2月23日。

●自転車でのちい散策で小さな、いやほんものの春を発見。今日は診療の合間をみて5回自転車を漕いだ。1回5分の散策でも25分の運動になる。糖質ゼロの350ml入り缶ビール1本分のカロリーは稼げる。おまけに温んできた大気を吸い、畔道の山野草の萌芽の青や、紫や黄色の可憐な花が目に入る。チャリを「まなびの」まで伸ばすと、庭や畑の彼方此方(あちこち)で白梅が満開だ。これほどに日本人は梅が好きなのかと驚嘆する。花と言えば、平安の初期まで梅だった。芽吹く前の一葉も無い枝に花が咲く、そこに底知れぬ力強さを観る。明日からは愚妻の「山野草」の本に教えを請おう。写真有。2月22日。

●ネコ目なのに笹が好物のパンダ。大佐の身分で最高指導者のカダフィ。ネットが世界の独裁者を引きずり降ろす今、選挙で当選した途端にブログの更新を止めた宮崎市長の発信力の無さはあさましい限りだ。2月22日。

●4月の統一地方選、宮崎から地域政党は生まれないのか大阪維新の会は議員報酬の3割減を2月定例府議会に提出する。衆議院が解散しても票を入れる政党がない??? なけりゃ創ればよい突貫工事だっていいものはごまんとある。政治はその筆頭のような気がしてならない。腹の探り合いや後だしジャンケンのような手法は、今からの政治には馴染まない純で単純明快が好ましい。2月21日。

●パンダが4000キロを飛んでやってくる。初代パンダは、1972年9月、日中国交正常化を記念して贈られた「カンカン」と「ランラン」だった。「人寄せパンダ」の田中角栄元首相の時代だから、「日本改造論」と「高度成長」(1955~73年)の時期だ。39年も過去のことだけあったて、国勢は真逆の状況で、中国が元気だ。が、チュニジアが発端となったアフリカや中東での反政府デモと強権国家の崩壊、そして最強国への拡散。ならず者国家やGDP世界2位の国への波及も十分にあり得る。パンダは「客寄せパンダ」ではなく、平和の「プロパパンダ」ではないのか。2月21日。

●自転車での買い物で消費するエネルギーはMETSが3だから、ゆっくり歩くのと同じだ。普通速での歩行のMETSは4で、速歩は5である。計算式は、エネルギー消費量(kcal)=1.05×体重(kg)×METS×運動時間(h)。2月20日。

ママチャリは「日本で日常的な用途に使われる主として女性用ととらえられる一般自転車の俗称」だから、定義はない。主婦が買い物に行くための荷籠が付いていたり、幼稚園の送り迎えのために荷台があるものを指すに違いない。ハンドルもサドルも全てが丸みをおび、変速ギアなんぞはない。「チャリンコ」は自転車のことだが、語源は自転車のベル音が「チャリン」からきたとする説、朝鮮語で自転車をチャジョンゴからきたとする説、また二つが合わさったとの説があるとのこと。吾輩の愛チャリのベル音は「リンリン」と鳴り、風鈴か鈴虫のようだから「リンコ」だな。2月20日。

●中学入学の時、親父に新品の変速ギア付き自転車を買ってもらった。現金ではなく月賦か盆暮の支払いであった。片道4キロの通学路の舗装は半分なので傷みが激しかったが、なんとか3年間乗り通し、高校でも数ヶ月労苦を共にした。終に乗れなくなった時、実家に電話でそのことを伝えると、日を置かず田舎から1台の中古自転車が届いた。ママチャリだった。親が腐心して求めたのだろうと勝手に思った。今日は近くの○フ○でママチャリを買った。1万円で20円の釣銭ものだが、界隈の散策には十二分だ。35年前、ママチャリに乗っている男子高校生はいなかった。時代と流行だな。ほろ苦い青春物語だ。2月20日。
 

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