●何よりも何よりも子どもには安全な安心な地域での早めの速めの「教育の再開」が重要課題だ。そして、大人には「労働」を。全国の公共住宅への「疎開」予定者は全国で約5,500人で宮崎は52人というが、少ない数だ。なぜ、本気で「疎開」を考えないのか、ふざけた”指揮官”。全国から寄せられた約580億円の義援金も被災者に1割も届いていない。「集団学童疎開」に使えないものか。放射能障害は「用量依存性」であることを知っているのだろうか。国は何を何をやっているんだ、”患”総理、更迭だ。4月30日。
●では、なぜ日本は「CT王国」なのか。肝腎なのは不必要・不適切なCT検査が横行し過ぎということ。確かに症状も碌に聞かず(問診不足)に、触診もせずに、神経学的検査もそこそこに、「まずはCT」という医者が少なくない。夜間救急でも行こうものなら、CTを撮影されることは覚悟した方がよいくらいだ。下記の筆者である慶応大学講師の近藤誠氏は『「まずCT」「何でもCT」が蔓延するのは、一つには、日本の医学教育レベルは先進諸国のうちで最も劣り、臨床能力がような仕組みになっているからです。また、余りに外来が混んでいて、能力を備えた医者でも、患者の話を聞く時間的余裕がなく、先に検査を受けさせてデータ一式を揃えたい気持ちになってしまう。CT検査をすればするほど、病医院が経済的に潤う医療構造もあります。』。そして、「不要なCTを避けるには」、『子供の場合は、転んで頭を打ったくらいでは、医者には連れて行かない。ましてはCTは撮らない。コブができても、それは表面だけのことで、頭蓋骨の中には影響しない。欧米では、「子どもの頭にコブができて、親が希望しても、CTを撮らないのが専門医の務め」とする時代になりました(Am Famil Phys 2010;81:111)』。小生もしがない一介の獣医師。CTがなくとも知識と想像力、そして指先の感触を駆使して、それなりの診断・治療は可能だ。人医では9割以上で病変部位を特定できないと神経病の専門医ではないのだな。まあ、自分が病院にかかる場合、「CT信奉医」や「CTドル箱病院」には行かないことだな。つづく。4月29日。
●「大型特集 医療の常識を疑え/衝撃レポート・CT検査でがんになる」」(文藝春秋2010年11月号pp144-152)。『日本は、唯一の原爆被爆国なのに、診断用放射線による被曝大国です。これに関しては、2004年2月に読売新聞が、「がん3.2%は診断被曝が原因」「15カ国で、日本が最も検査回数が多い」「発がん寄与度は、英国の5倍」・・・』。『1993年に、日本のCT装置の設置台数は8千台でした。これは、全世界の設置台数の3分の1以上に当たり、・・・設置台数はその後、大幅に増えており、2003年には1万4千台と、10年で倍近くのなりました。その後も増えつづけていると思われます・・・・・』。つづく。4月28日。
●胸部エックス線(集団検・1回)0.05ミリシーベルト(=50マイクロシーベルト)。飛行機で東京-ニューヨーク間往復が0.19ミリシーベルト(190マイクロシーベルト)。一般人の年間被曝限度が1ミリシーベルト(1,000マイクロシーベルト)。CT検査1回で6.9ミリシーベルト(6,900マイクロシーベルト)。下記の6.67ミリシーベルトは胸部レントゲン撮影で134枚分。CTは1回でアウトだ。つづく。4月28日。
●「日本政府(文科省)が設定した子供の許容被曝線量は高過ぎる」(テレビ朝日)。ノーベル賞を受賞した国際的な医師団体の意見、いや提言、抗議、いやいや警告、いやいやいや「是正勧告」? アイラ・ヘルファンド医学博士によると子供が被曝し発癌するリスクは成人の2~3倍・・・、米国の原子力関連施設で働く職員と同じ20ミリシーベルトは高過ぎる・・・引き下げを要求・・・とのことだ。20ミリシーベルトの3分の1は6.67ミリシーベルト。6.67÷1.387=4.81(時間)は、郡山の小中学生が毎日5時間を1年間外で遊んだ被曝量に匹敵するものだ。これは登下校含め、現実に浴びる量として考えられる。つづく。4月28日。
●「汚染対策で校庭の表土除去 福島・郡山の小学校など」(北海道新聞)。「50代女性社員被ばく 東電」(毎日新聞)。前者は「地表から1センチの放射線量が毎時3.8マイクロシーベルトの15の小中学校と、毎時3.0マイクロシーベルト以上の13の公立保育所について、校庭などの表土を除去することを独自に決めている」という記事。後者は「先月まで福島第一原発事故の復旧作業に当たった50代の女性社員が国の規則を超える17.55ミリシーベルトを被ばくしていたと発表した。・・・職業被ばくの放射線量の限度は、通常5年で100ミリシーベルト以内とされているが、妊娠への影響が懸念される女性は3カ月間で5ミリシーベルト以内と国の規則で厳しく定めている」とある。では、郡山の学校の場合、1日1時間、校庭で遊んだ場合の年間被ばく線量(登校日に関係なく365日とする)は、3.8マイクロシーベルト×1(時間)×365(日)=1,387マイクロシーベルト=1.387ミリシーベルトである。つづく。4月28日。
●戦中戦後の疎開の実際はどんな光景であったろうか。震災のテレビは避難所が映るばかりで、働いている人や働ける人の映像が乏しい。船が残っている漁師が港に集まりだしたのも、人間というもの、労働なしには生きる価値がないことを証明してくれる。小生ごとだが、長期の休みをあまり取ったことがないので、働きたくても働けないという環境を実感できない。17年前の開業時も半年間受給できる失業保険を3ヶ月で御免蒙った。前の職場を辞めて、それから土地を探し、半年後には現在地に今の本院を開いた。貯金は無一文に近かった。大学でのアメリカ留学は、愚妻の新車を売って資金調達し、銀行から借りた金は毎月の給料で返済した。6年と3ヶ月勤めた大学の退職金は150万円。金は無かったが、やる気だけはあった。菅直人・元市民運動家率いる政府は、「平成大地震」を明治維新と太平洋戦争に並ぶ「大事変」と位置づけているが、先見の明どころか、神経が乾き切って明日の事さえ見えない。虚脱しかけた日本、強烈なメッセージと働く場所の提供を急ぐべきだ。つづく。4月27日。
●疎開の原義は「戦況に応じて隊形の距離・間隔を開くこと」(広辞苑)であり、軍事作戦行動であった。「日本語では第二次世界大戦中にの本政府が非戦闘員・産業を戦禍から免れさせる政策も含めて言う様になり、現在では一般に戦禍を避けて移動させる政策を指す」(Wikipedia)。疎開には「学童疎開」≪学校毎の集団疎開(学校疎開)もあった。東京での学童疎開の開始は1944年8月4日≫、「建物疎開」(空襲による火災の延焼を防ぐ目的)、「工場疎開」(航空機工場や兵器工場など重要施設の移転)などがある。つづく。4月26日。
●「義務投票制」で罰則が厳しい国はウルグアイ、キプロス、オーストラリア、シンガポール、スイス(1州のみ)、ベルギーなど。罰則適応が厳格でない国はアルゼンチン、エジプト、ギリシャ、ブラジル、イタリア、タイ、フィリピン、メキシコなど(Wikipedia)。いくらキャンペーンをやっても下がり続ける投票率。若者は候補者の名前も公約も・・・何も知らぬ、底知れぬ無頓着ぶり。「義務投票制」にすれば、少しは選挙に関心を抱く筈だ。低投票率ほど利権がらみの候補者が当選する現行の仕組みよりは増しだろう。投票率が50%を割って選ばれた議員は本当に住民の代表なの? 素朴な疑問も何も抱かない「不感症」な人種。何の選挙が、いつが投票日で、投票所は何所か、何も知らない若者。「草食系」を超えた「不感症」と言えよう。この国は正気か。この主たる責任は、選ばれた為政者たる議員の利権政治と怠慢、そして教育にある。4月26日。
●ここまで投票率が低下したら、その原因を探求するのも重要だが、「義務投票制」を導入すべきであろう。「選挙に行け、投票せよ、それが国民の権利だから・・・」は、もはや古過ぎる。小生如き政治が好きな人間でも、今横行している組織や宗教、労働組合、業界など、利権がらみの選挙の生臭さを目の当たりにしたら、投票所へ行く気など失せてしまう。このままだと、この種の輩は増え蔓延るであろう。為政者どもから「義務投票制」の話が出てこないこと自体が、議員自身とその恩恵を受けようとする人種(支援者)の「我欲選挙」である。「義務投票制」を採用している国(一部州)は世界で少なくない。当然ながら、重いペナルティーを科す国もある。先ずは投票所に皆が行くことだ。棄権は、そこで白票を投ずれば済むことだ。つづく。4月25日。
●君子豹変の後が続く。「君子豹変、小人革面」。「君子は時に応じて、豹の毛が生え換変わるように、鮮やかに変化する。これに反して、小人は上の人に従う顔つきだけはする。」の意。清山氏が小人か、有権者が小人かの是非を「くろしお」と「宮崎の勤務医日記」でバトルしてもらいたいものだ。少なくとも小生は媚び諂う「小人」ではなく、堂々と反旗を翻す「小人」でありたい。政治家たるもの、信条や理念(イデア)、信念を貫くのが最も重要であろうに。つづく。4月25日。
●きょうは地方選後半戦の投票日。宮日「くろしお」の紙面と県議・清山知憲氏の「宮崎の勤務医日記」のブログ対決。「君子は豹変す」が是か非かの問題。「くろしお」は、清山氏が無所属で立候補して初当選したが、10日経つか経たないかで自民党会派へ入る意向を示したことについて、その豹変ぶりを非とした。早速、清山氏が自身のブログで反論。「自分の政策の旗を掲げて当選した暁にはその政策の実行可能性と当選者の顔触れから連携できる方々を吟味するのが当然のプロセスで・・・」とし、自身の公約を実現するには「数の論理」を優先せざるを得ないと主張。清山氏はこの故事の本来の意味のように、機に応じて(機を敏にして)鮮やかな判断を是とした。小生も彼に「清き一票」を投じた一人で、結果は「山」となりトップ当選。今回の件では正直、がっかりした。彼はまだまだ若い。10年いや20年先を見据えた政治行動が必要だ。「地域医療改革」は党派を超えた重要課題の一つであるから、彼の主張に同調する議員も少なくないであろう。根回しと得意の文章力を駆使して活動すれば、それほどの難題でもあるまい。聞くところ、4年後は国政へ撃って出るとの噂。彼の鞍替えだけが原因でもないが、今日の投票は棄権。つづく。4月24日。
●戦時中、大分の蒲江から実家に疎開してきた男子小学生がいた。縁故関係はない。数年前から年1回、この夫婦が実家を訪ねて来るようになった。「平成大地震」。戦中・戦後の学童集団疎開などに学ぶことはないものだろうか。つづく。4月24日。