●ちょっこら診療を抜け出して「サンマリン」へ。宮崎日大VS鵬翔の観戦だ。0-1×のサヨナラで鵬翔に軍配。どちらかと言えば投手戦だったが、9回表、日大の最後の打者となった投手が内野ゴロで一塁へヘッドスライディングして脚を傷めた(???)のが痛かった。9回裏の鵬翔の攻撃で1死で走者が2塁3塁の時、日大投手が不調を訴え、30分間の中断。再開後も脚の状態は不良で四球を出し、1死満塁。代わった投手が前進守備の三遊間を抜かれるヒットでサヨナラ。日大の投手はプロが注目する。鵬翔の投手もテンポよくきびきびした同格のナイスピッチング。日大の投手は軽い熱中症もあったように見うけられたが、最後のヘッドスライディングは、投手であるだけにしてはならなかったプレーだ。もう一つ苦言を呈すなら、投球間隔がやや長く、例えばダルビッシュやマー君のような機敏性と闘志が足りないようだ。期待していただけにやや不満足。片や鵬翔の投手は機敏かつリズミカルで、コーナーを突いたキレのあるスライダーは最後まで相手投手を凌いでいた。小気味良い投球は炎天下でプレーする野手にとっても守り易いのだ。明日は休養日。7月23日。
●そして原初の話は、「ブトが群れ飛ぶと雨になる」だった。「台風が東を通過すれば風雨の影響は小さい」、これらは確証があるものもあれば、そうでない「諺」や「迷信」染みたものまで程度はさまざまだ。ただ、気象衛星「ひまわり」や気象庁など何も無かった大昔から、我々の先祖は自然に畏敬の念を抱きながら、観察眼や想像力を駆使して予兆現象を掴んだのであろう。これを決して軽んずることがあってはならない。小生は「天気予報」は見ない質だ。なぜなら、データの出処が同じ気象庁ときているから、気象図は同一でどの気象予報士も言う事は一緒。そして、外れる。THE END. それこそ小中学生の時、ノイズが半分のラジオを聞きながら、地図帳を拡げ、台風の位置を確認していたころが懐かしいものだ。「現在の台風の位置は東経○○○度○分○秒、北緯○○度○分○秒、○○島の南南西○km・・・」という行だ。 7月22日。
●話は戻って、台風が今回のように東の日向灘を通過する場合、中心が真東を過ぎると、風は極端に弱まる。6号が大型であったとは言え、少なくとも19日早朝に判断を遅らせるべきであった。最終判断は教育委員会であろうが、苦言を呈したい。ただでさえ、本県の小中高校生の学力の低下は凄ましい状況だ。休校日の振り替えなど微塵も考えていないのであろうが・・・。ゆとり教育は既に終焉したのだ。教職員も「ゆとり生活」を返上して、未来の日本いや世界を背負う人材を育てるのだな。つづく。7月22日。
●昭和40年代、所は神門。当時も台風や大雨、20センチもの雪が積もれば休校だった。皆、喜んだ。「不弁者」が殆どの家庭。電話があるような裕福な家庭なぞ一握り。休校かどうかは多くの場合、途中まで行かなくては分らなかったのだ。つづく。7月22日。
●昨夜の居酒屋カウンターで、ある男前社長の話。吾輩よりやや年長だが、同輩だ。「台風で19日が休校になり、社員が午前中休んだ。理由は、小学生2人を都農の実家へ預けに行くためだった。」という。いつもは冷静沈着な社長が、酒も手伝ってか憤慨気味。「忙しいのに、この程度の台風で休校にするな。・・・・子供を過保護にしちゃいかん・・・」。至極同感の小生、さらに酒量が枡増すマス。では、小生が小中学校の時分の話をしよう・・・か。つづく。7月22日。
●低気圧が接近してくると片頭痛や関節痛が発症する。気圧の直接的な影響か自律神経を介した血管などの伸縮変化なのか、未解明な医学の謎だ。受ける側に個体差は有っても、歴然とした事象である。世の中にはこんな一見当たり前のことが、未解明もしくは理解されていないのだ。つづく。7月22日。
●台風6号の風雨が一番強かったのは18日の夜遅く。夜遅くだから、21時から24時までの間。これは気象庁の時間細分だ。19日の診療で、飼い主と一緒に来院している小中学生が数組いたので訳を訊くと、「台風で休校、昨夕に電話連絡があった」という。休校になるほどの風雨では丸でない。19日朝程度の天候は台風でなくとも年に10回はあろうというものだ。重要な事は、台風が東の日向灘を通過する場合は、西の九州山地を通過する時に比較して明らかに風雨、特に風が弱いということだ。専門家ではないので明確な理由は知らぬが、素人目には、台風は反時計回りに回転し、自身では動けないので周りの偏西風や気圧差などに影響されて移動するから、台風の目の西側は東側に比べて威力が弱まるのであろう。つづく。7月21日。
●小さい時分、日没後の薄暗がりの頃に「ブト」が群れ飛ぶのを見ては「明日は雨が降る」と、祖父母たちが言っていた。ブトは方言でメマトイのことだが、吸血するブヨ(ブユ)とは異なる。19日の宮日の「ことば巡礼」に「夕焼けに鎌をとげ」という諺があった。昔から「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」の言い伝えだという。不思議に、眼の周りに纏わりつくブトの群が飛ぶ夕暮れの夜半か翌日は雨の事が多かった。つづく。7月21日。
●「ホウレンソウ」に始まり「セシウム牛肉」・・・これから数十年、いやそれ以上、日本人は原発事故という「負の遺産」をどうも背負って生きなくてはならぬようだ。今回のセシウム牛のような事例が芋蔓式に発生するのを覚悟する「とき」なのか。スーパーのレジ脇に放射能測定器が設置されることがないよう祈るが・・・。「負」から「正(生)」への意識転換の「とき」だ。そうでないとやってられない。「Business as usual」の精神で。7月21日。
●セシウム汚染稲わらで飼養されていた牛の肉が鳥取県と沖縄県の2県を除く全国の都道府県に流通していた。宮崎県の肉用黒毛和種飼養頭数は224,100頭、子とり用雌牛は102,900頭。福島県は、肉用黒毛和種が49,900頭(全国10位)、乳用種交雑種が25,800頭(全国7位)、子とり雌牛が20,500頭(全国10位)などとなっている(平成19年2月現在)。福島県は全国トップ10に入る畜産県なのだ。この問題は、①原発の水素爆発や水蒸気爆発の程度が政府や東電が発表しているデータより広域かつ重大であった、②政府と農水省の注意勧告や危機管理体制(意識)が如何にもお粗末であった、③スーパーに並ぶ「国産和牛」表示の限界や流通の複雑さ、などだ。消費者の信頼を回復するには狂牛病と同じく、「目に見えぬもの」は全頭検査しかない。7月21日。
●今日は9時から4時過ぎまでの7時間余り、サンマリンに釘付け。座位でのスキンヘッドの甲羅干しもついでに・・・。それにしても球場内は強風で、選手はフライの処理に相当気を使っただろうが、幸いか不幸にもか、勝敗に及ぶまでのエラーはなかった。頭部全体から首筋まで日焼け止めを塗って出かけたが、帰って鏡を覗くに、茹でダコと間違える程悲惨なザマ。これでこそ、小生の夏。写真有。7月20日。
●きょうの宮崎日日新聞の「窓」に小生の拙文が載る。2回目だ。が、誤文ありだ。「・・・2死球、1死球・・・」はもちろん「・・・2四球、1死球・・・」に訂正すべし。それにしても台風で高校野球は今日も順延。明日はカラッと晴れて、気も晴れて高校野球観戦日和を望もう。7月19日。
●昨夜は「寺子屋」で「レコード鑑賞会」と「カントリーミュージックのライブ」。約20人の「呑兵衛」が集い酔い痴れた。正しく酔って痴を晒した。1つが70キロもあるスピカーが2台。迫力満点の一夜であった。台風の影響も重なって、今夜は「休肝日」。肝臓も脳味噌も「台風一過」の「気分爽快」にならないものか。7月18日。