コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2011年10月30日(日)~11月5日(土)

昨年の口蹄疫惨禍で児湯農協の決算は、「あらゆる努力」で黒字日本のトラクター保有台数は世界一。ハウスの出荷手数料は市場の競り価格の20~25%。農機具(機械)や燃料、肥料、農薬は農協で購入しなければならない。仔牛が競に出れば、価格に応じて手数料を取り、同時に人工授精料も徴収。あらゆる融資は銀行ではなく農協。返済や金利、手数料は天引き。葬式も農協・・・・・22万~24万人の巨大組織で、農家を「生かさず殺さず」。あれだけの口蹄疫惨禍で当該農協に1銭の赤字も出なかったことは、理不尽極まりないであろう。11月5日。

G202015年までに「消費税10%と「APECでのTPP参加」を「国際公約」。公務員が近い将来、年金(共済年金)を受給できない可能性が高まってきたので官僚が焦り始めた例によって、机上だけで算盤を弾いて帳尻を合わせる手法を駆使。1959年に制定され、1961年4月に施行された「国民年金法」。頭初の毎月の保健料は100円。その後徐々に上がり、例えば1792年が550円1975年が1100円1984年が6220円1990年が8400円2008年が14410円2012年が15540円長生きすれば掛け金の10倍以上の給付を受ければ、そりゃ、破綻するわな・・・。20年以上も前から、ちょいと思慮深い人間は、今日の危機を予感ではなく予期していた。政治家と官僚の怠慢だな。自分の尻に火が着いて初めて慌て出した愚かさまあ、今のような不公平な制度と場あたり的な制度変更では、若い世代は年金を払う人間が入る筈が無い。制度は何でも単純が一番。こんな年金制度なんぞ、即刻廃止して、今までの納付(掛け金)額は返してもらおうではないか。その代わり、消費税で社会保障を賄ってもらった方が、平等でスッキリするな・・・・・。11月5日。

●就農者の平均年齢が65歳を超え、後継者もいない農業で、「反TPP」を御題目のように唱える農協幹部。実際は崩壊のステージに入っている医療保険を「世界に誇る国民皆保険」と、これまた念仏のように嘯(うそぶ)く日本医師会何を考えているんじゃ、TPP交渉参加・不参加に関わらず、10年後、5年後、いや明日の日本が元気づく方策(改革案)を打ちあげてくれ!!! それがあんたらの後世に残すべき役目だ現状を把握できない、理解しようとしない職務放棄者どもめ過去の歴史が物語っているように、アメリカの圧力が掛からないと「日本は変われない」のでは情けないではないか。11月4日。

●2日(水)の宮崎日日新聞の社会面・26ページの「獣医師他県と奪い合い 合格者7人辞退 県が追加募集」の記事。『・・・7月に行った採用試験の合格者16人のうち7人が辞退したことに加え、早期退職を希望する職員が複数いるためだ。・・・「初任給調整手当」を導入。待遇改善に力を入れるが、牛や豚など産業動物の獣医師希望者が少ないため、同課(県人事課)は「人材の奪い合いになっている」と話す。・・・5人程度の採用を予定している。」』。宮崎県職の獣医師数は、飼養動物頭数ベースで他県に比べて少ない。それに加えて昨年からの口蹄疫と鳥インフルエンザ惨禍。本来は動物の衛生管理や飼養管理、育種などの業務に携わる筈が、明けても暮れても家畜の安楽死。牛や豚への注射が獣医師免許を持つ者なら誰でもできると思ったら大間違い。それを強いられたら、そりゃ辞退もするであろうに。二股も三股もかけて、他県に合格したら、そりゃ楽な県に動くであろうに。公務員は公僕らしいが、公務員を希望する者、獣医師であろうとも所詮楽をしたいんだよ。獣医大学に合格時、県職の獣医師になろうと思って入学して来た学生なんぞ殆どいないのである。それに獣医師などの技術職は、採用試験で実技を設けるくらいのことを考えないと、「人材」なんて言葉は有って無いようなものなんだな。人事課の人間の脳ミソを入れ替えない限りダメだな。要は、入学時の「初志を貫徹できなかった獣医師」であっても、家畜を安楽死させるのは忍びないことなのだ。疾病を予防し、病気を治して動物を助けることを6年間も学んできたのに・・・なのだ。11月4日。

囲碁の起源はもちろん中国で、占星術の一法が変化・洗練されたらしい。三国時代()の孫策とその部下が打った棋譜が残っているとのこと。5世紀には朝鮮半島へ、日本には7世紀ごろ伝わり、貴族を中心に広く遊ばれ、正倉院には碁盤碁石が収められている。清少納言(平安中期、生没年未詳)や紫式部(同左)も碁を打ったそうな。室町時代(1392~1573年の約180年間)末期からは碁打ちが公家や武将に招かれるなど専業化も進んだ。戦国武将も大いに囲碁を好み、織田信長(1534~1582)は日海(本因坊算砂)に名人の称号を許した。江戸時代には将軍御目見えによる御城碁が行われ、碁会所が生まれた。碁会所の登場は碁が庶民の娯楽として定着したことを意味する。現在の日本の囲碁人口は2007年末時点で推計200万人で、10歳代が9.6%、60歳以上が8.4%という。三国時代:「中国で、後漢滅亡後、魏(220~265年)・呉(222~280年)・蜀の3国が鼎立(ていりつ)した時代。220年魏の建国に始まり、280年晋の統一まで。」(広辞苑)。11月4日。

●悠仁さま(5歳)の「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」。前者は名そのままだが、後者は碁盤の上から飛び降りるという、何とも羨ましい皇室の儀式。なんと平安時代から始まったという。「深曾木」(深除)は「3歳の髪置きののち、5歳までの間に、髪を切りそろえること。また、その祝い。かみそぎ。」(広辞苑)。立ち乗った碁盤は「綾の榧」に違いなかろう。白石は「日向蛤」に決まっている。故・岳父は碁をこよなく愛し、綾の碁盤をひどく所望したが・・・。碁を友とする碁打ちには「深曾木の儀」は如何様に映るのであろうか、ちょいと気になった。これらの宮中行事は一般の七五三に当るらしいが、庶民が真似たら行儀が悪い行事だ。11月3日。

野菜の放射能基準日本が500ベクレル、チェルノブイリが40ドイツが子供4・大人8果物日本が500チェルノブイリが70ドイツが子供4・大人8肉・肉製品日本が500チェルノブイリが200ドイツは子供4・大人8乳・乳製品日本が200チェルノブイリが100ドイツは子供4・大人8魚・魚製品日本が500チェルノブイリが150ドイツは子供4・大人8パン・パン製品にあってはチェルノブイリが20なのに対して日本は500、もちろんドイツは子供4・大人8。なんだ、この国は・・・。11月2日。

●10月26日・水曜日の都城市立美術館の帰路、山之口の「道の駅」に寄ってみた。10年以上も前に一度だけ立ち寄った記憶がある。何を買おうかと物色したが、容易には見つけられないほどありふれた物ばかり。愚妻が林檎を見つけたが、産地をみて「な~んだ、○○産か」とぶつぶつ・・・呟いた。その日か、次の日であったか、○○県の天然キノコ(チャナメツムタケ)から1キログラム当たり1320ベクレル放射性セシウムが検出されたとのニュース。顛末、連れの2人はドライブインに最もありふれたソフトクリームを買う。それのみ。週半ばとあってか、店内は疎らというよりはわれわれ含め4、5人。店構えは広いが、地場産の商品で中身勝負をしないと、赤字は間違いないな。どうせ第3セクターであろうが、誰のための施設なのか、甚だ疑問だつづく。11月1日。

●1898年4月28日に生れた佐伯祐三26歳から28歳までの約2年間(1924年1月~1926年1月)と、29歳から30歳の約1年間(1927年8月から死亡の1928年8月16日まで)の計丸3年間を憧れのパリで過ごした。画業の鍛錬に懸命に打ち込んだのである。師は赤松麟作藤島武二、そしてブラマンク。画家の友人は山田新一里見勝蔵山口長男(やまぐちたけお、1902~1983)、荻須高徳(1901~1986)・・・夫人は画家の池田(旧姓)米子(1897~1972)。一粒種の彌智子が夭逝したため、子孫はなし。画風はブラマンクユトリロを足して2で割って、かつそれを息苦しいほど狂人化したもので、観る者を雪冷えさせるほどの感傷に浸らす。影響を受けた画家は多々あれど、荻須が筆頭であろう。パリの街並みと建造物の壁を鋭い線の筆触で描く佐伯に対して、荻須は同じくパリの街並みを平たいタッチにした。○○と天才は紙一重というが、そこまで苦悶しないと佐伯芸術の神髄は見えないのだ。10月31日。

●朝の9時42分に田舎のおふくろより着信履歴。程なくかけなおすと、小生の誕生日の祝の電話だった。今日で52歳。おふくろは昭和12年(1937年)10月5日生れの74歳だ。いつまでたっても、親とは有難い存在だ。「親思ふ こころにまさる 親ごころ 今日の音づれ 何ときくらん」。吉田松陰(1830-1859)が1859年の安政の大獄で刑死した時の辞世の句。親より早くあの世へ行くのが最も親不幸というが、今の御時世、親どころか、その前の世代よりも先立つ時代だ。吉田松陰のようには生きも死にもできないが、少しでも世の中のためになってあの世へ旅立ちたいものだ。10月30日。

先頭へ