●「染井吉野」が咲いた。染井吉野は、①野生種のオオシマザクラとエドヒガンの自然交配種、②現在、日本で植栽されている桜の70%を占める、③里桜の代表で、里桜はオオシマザクラを親としてできた園芸品種、④生長が早くて材が軟らかいためか、寿命が50年~80年と短く、接木で苗を育て、後継ぎを残さないと絶えてしまう、⑤登場は明治維新前後で、江戸の染井村(現・東京都豊島区)の植木屋が「吉野」として売り出し、花が美しく、生長が早いのでたちまち各地に広まった、⑥名前が奈良の吉野山のヤマザクラと紛らわしいのでこの名となった、⑦葉より、先に花を付ける桜の代表格、⑧親と同じく、一重で花弁は5枚。東北にも春は必ず来る。それにしても、石巻工主将・阿部翔人選手の選手宣誓はこの上なく立派であった。大震災惨禍と高校生スポーツマンシップ、彼らが未来を拓いてくれる。我々はその環境造りに迫られている。写真有。3月21日。
●お袋の煮〆。今日は彼岸の中日だ。当然至極だが、彼岸の供物のメインの一つは煮〆だ。物心がついた頃からの仕来りだから、いつの頃からなのか知らない。お袋は1937年生まれで、毎年、春と秋の彼岸の中日にはタッパーにぎっしり詰められ送られてくる。味付けは子どもの頃から同じ。あと何年食えるのか、感傷的にもなるこの日だ。※「タッパー」は「タッパ―ウェア」が正式名称で、語源は最初に製造した創始者の名前に由来。3月20日。
●1962年(第34回)~2011年(第83回)の半世紀で宮崎県代表が選抜に選ばれたのは21回。今回で22回目だから、2年に1回も出場していないことになる。最近では2007年に21世紀枠で選ばれた初出場の泉ヶ丘高校が2回戦に進出し、泉ヶ丘に勝った大垣日大はその年、準優勝を果たした。覇者の常葉菊川(静岡、前秋の明治神宮大会でも優勝)に5-6での惜敗であった。大垣日大は今や甲子園の常連校だが、この時が初出場でしかも「希望枠」(現在廃止)であった。勝負はやってみないと分らないという典型例だ。人生も同じで諦めないことが肝腎だ。況してや、高校野球はトーナメント戦だ。3月19日。
●「我が国の周辺環境は不透明感が漂っている」・・・防衛大学校卒業式での泥鰌宰相の訓示。何を言っている野田、不透明感を漂わせているのはあんたらな野田、他人事みたいな社交挨拶はもう止めてくれな野田。岡田副総理が自民党の石原幹事長に「民主・自民大連立」を打診。当の輿石幹事長は「民主党内で議論もしていない」・・・。東北3県の復興に対する政治や行政や東電や日本を代表する大企業の立ち振る舞いには幻滅だ。日本は全てで下降線を辿っている。3月18日。
●最近の書店のカウンター。サービスの栞(しおり・枝折)がめっきり減った。そして、こちらは有料の靴下の話だが、ブランドのロゴマークの刺繍が半分に減った。つまり、片方の靴下の踝(くるぶし)辺りの外側と内側の両方に有る筈の刺繍が最近、一つになった。ハンズマンは、手袋の片方だけでも売る。それは、利き手によって擦り減り方が違うからだ。人間誰しも歩き癖があるから、靴や靴下の摩耗の度合が左右で異なる。刺繍が内外両方に有れば右左の両方の足に履ける訳で、結果的に靴下の寿命を永くできる理屈だ。今まで、何気無しに履いていた靴下だが、今からは左右を確認しなければならなくなった。同時に買い換えが短くなったということだ。昔の人夫(にんぷ)用の軍手式の、あの頑丈過ぎる靴下(人夫用足袋? 小生の親父は山師だったので良く覚えている)ならまだしも、今様の薄い綿では数回はいたら廃棄ものだ。同じ値段でコストダウンをしている一部のブランドメーカー。この類の商魂では先は見えている。銀座の「ぜん屋」の職人が言っていた、「雪駄は左右交互に履いて下さい。そうすれば20年は持ちます。挿げ替えも遠慮なく・・・」。靴下ひとつで、ジャケットもシャツもズボンからも客が離れる。愚かなことだ。3月18日。