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今週の親仁ギャグ・2012年9月16日(日)~9月22日(土)

自民党総裁候補、民主党党首候補への親仁な質問状・その4:TPP参加の是非」。産業別国内総生産(GDP)で農林水産業の占める割合はわずか1.5%。サービス業が23.0%、鉱工業が20.3%、卸売・小売業が14.0%、不動産業が12.5%、運輸・通信業が6.9%、建設業が6.2%、金融・保険業が5.9%、電気・ガス・水道業が1.8%(いずれも平成20年国民経済計算より)。現在のGDP総額を517兆8264億円(2012年)とすれば、その1.5%は7兆7千億円である。一時のトヨタの2011年の国内生産の乗用車が2,473,546台で商用車は286,482台(合計 2,760,028台)であるのに対して、海外生産台数は4,168,785台(世界生産台数は6,928,813)と外国産が圧倒している。外貨をそれだけ稼いでいるということだ。一時のトヨタの年間売り上げは18兆円を超え、三菱グループも三菱商事だけでトヨタを凌いでいるのが現状。大企業の大半は海外で儲けているのが哀しいかな現実だ。つづく。9月21日。

●「ユニクロ」の上海店が「尖閣は中国領土」の張り紙をした(毎日新聞9月21日20面)。暴動をさけるため、中国の警察からの指示とは言うが、金(経済)で魂を売る。尖閣で中国がさまざまな経済的報復を仕掛けている。金の為、原発ゼロを執拗に拒む経団連生命や日本人の魂を金の為に売るようじゃ、まさに売国奴の輩。脱原発、脱民主党、そして脱中国の良い機会だ。9月21日。

●国やマスコミや評論家は、今の中国の「反日運動」に対して、心底平和ボケに浸りきった暢気なことでいいのだろうか。泥鰌(官邸)とお人好し総裁らは、最悪事態を想定しての寝ずの意見交換をしているのだろうか。この楽観ムードは何だ。喧嘩を仕掛けられた方と、仕掛けた方。過去に占領された国と、占領した国の性根の違いニュースのキャスターや評論家が「愛国教育」とか「毛沢東の写真を掲げて、中央共産党当局は矛先が政府に向うのを警戒している・・・」とかそんな悠長な感覚じゃ、尖閣は明日にでも占拠されるぞつづく。9月17日。

4つは、「核拡散防止」問題だが、これは原発ゼロと相反するとも思われがちだ。しかし、アメリカは核(爆弾)開発をしない、原発のような平和的(?)利用を希求する国には軽水炉などの技術供与を惜しまないという姿勢である。その役目を日本にも担ってもらう魂胆がアメリカにはあるから「原発ゼロ」に戸惑う訳だ。そして使用しなくなった核燃料はプルトニウムはじめ核兵器そのものともなる。トイレが無いのに平和利用の発電にも使用しないままの保有となれば、世界的にも説得力が薄れる。そもそもアメリカが原発を日本に技術供与し、建設を容認したのは初期の冷戦時代の対ロシア政策そのものだ。それに中曽根康弘元首相や正力松太郎氏らが乗っかった形なのだ。これも歴史的に根が深い。そこで質問だが、原発ゼロ・脱原発・減原発を公約とするからには、「トイレ問題」(核燃料最終処理法)と「対米説得」の考えを明かしてもらおうではないか。つづく。9月17日。

自民党総裁候補、民主党党首候補への親仁な質問状・その3:原発ゼロのエネルギー政策-過日、前原政調会長が訪米すると、米側が「原発ゼロは核拡散の観点から憂慮」との声明。透かさず枝野経産相が「六ヶ所村は核燃料の最終処分場ではなないし、大間など原発建設が決定している所は計画を継続する」との旨の発言。民主党政権が脱原発を謳った直後の方針転換の重大発言か。ここにはいくつかのの回避不能な重大問題がある。1つは、使用済み核燃料を再利用するために処理されたプルトニウムを含むMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合酸化物)はプルトニウム型原爆数千発分ともいう2つ再処理工場内プールの使用済み核燃料のキャパは3000トンだが既に2919トンでほぼ満杯。フクイチのように原発内に一時保管されているものも多いときている現状。これらは全て冷却し続けなくてはならない極めてな厄介物。原発を停止しても何処であれ燃料棒は冷却するのが基本。そうしなけらば膨大な放射能を撒き散らす原発事故となる3つは、おまけにアメリカもイギリスもフランスも・・・使用済み核燃料の「無毒化」研究に必至だが、お手上げ状態。燃料棒を細断してガラスやセラミックで固定して地下500メートルに保管するか、そのままの形で地下5000mに埋めるというもの。結局は後者のように地底深くに埋めることが最も安全で安くつくという結論だ。「トイレ無きマンション」とはこれほどに根が深いというこったな。「1930年代で原発ゼロ」は口先だけで実行不可能ということだ。何故なら、トイレが無い状態では燃料棒を何処に保管しようが「冷却」し続けなければならない。さらに極に論ずれば、原発で冷却していても、原発が稼働して発電していてもそうはたいして変わらないではないか・・・という結論に達し得る。そこで枝野経産相の「投げやり」的発言が発生するのだつづく。9月17日。

自民党総裁候補、民主党党首候補への親仁な質問状・その2:米国との同盟関係-1972年5月15日の復帰後も、沖縄本土の約70%が米軍に占領されている状況。オスプレイやイージス艦、ジェット戦闘機・・・などの購入費。在日米軍の駐留費負担。日米地位協定・・・そこで質問は「日本はどこまでも現状の日米安全条約を維持するのか。例えば、十年単位で目標を掲げ、脱アメリカ、脱米軍依存を図る努力をしないのか。『自分の国は自分で衛る』とは政治家が頻用するフレーズであるが、具体的に説明してもらおうではないか。」。つづく。9月17日。

自民党総裁候補、民主党党首候補への親仁な質問状・その1:尖閣等領土問題-石原ジュニアは「尖閣には中国は攻めてこ来ない」と発言。漁船だって銃やロケット弾を積み込めば立派な軍船だ。1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の元寇(元のフビライ軍)は2.7~4万人と900艘の軍船(文永の役)、14~15万人と4400艘の軍船(弘安の役)が壱岐対馬を侵し(文永の役)、博多湾まで襲来したことを忘れてはならない。そこで質問は「尖閣や竹島問題で武力衝突はないか、中国人の尖閣再上陸はないか、上陸や武力衝突が発生した時、あなたはどのような対処をするのか」。フィリピンと中国との領土問題だが、中国名は「南沙諸島」でフィリピン名は「スプラトリー諸島」。Wikipediaは前者、後者に変更すべきだ中国、韓国は石原シニアの言動に敏感なので、ジュニア自身の発言は要注意。「第一サティアン」発言含め、総裁選脱落第1号かつづく。9月17日。

アーカイブ・絵画編 2009年11月3日(火)-文化勲章と画家今日は文化の日である。日本の勲章には大勲位菊花章はじめ桐花章、旭日章、瑞宝章、宝冠章、そして文化勲章がある。例えば、大勲位菊花章の中の大勲位菊花章頸飾の受章は皇族や外国元首が多く、一般受章者には山縣有朋(明治39年=1906年)、伊藤博文(同)はじめ最近では吉田茂(昭和42年=1967年、没後受勳)と佐藤栄作(昭和50年=1975年)がおり、われわれ一般人には馴染が薄い。○馴染深いとはいかないまでも、馴染がよいのは文化勲章である。「文化勲章は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。時の首相広田弘毅の発案により、1937年(昭和12年)2月11日の文化勲章令(昭和12年勅令第9号)により制定された」、とある(Wikipedia)。○文化勲章の受勳者は2009年度の桂米朝ら5人を含めて351名である。第一回(1937年=昭和12年)の受賞者は幸田露伴ら9名で、そのうち画家が4名であった。今でも名高い横山大観、藤島武二、竹内栖鳳、岡田三郎助の画伯である。当初は毎年受勳者がいたわけではなく、1937年の後は1940年で西田幾太郎や河合玉堂らが、1943年には湯川秀樹や徳富蘇峰、和田英作らが受勳している。戦後の1946年(昭和21年)からは毎年受勳者が発表されるようになって、現在に至っている。○文化勲章発表のこの時期、小生にとって興味あるのは画家が含まれているのかと、その画家は誰なのかである。1937年から現在までの画家の受勳者を挙げると、大観、武二、栖鳳、三郎助、玉堂、英作の後、上村松園(女流)、安田ユキ彦、小林古径、梅原龍三郎、安井曾太郎、鏑木清方、前田青邨、坂本繁二郎、西山翠ショウ、松林桂月、川端龍子、堂本印象、福田平八郎、奥村土牛、中村岳陵、小絲源太郎、山口蓬春、徳岡神泉、林武、堅山南風、東山魁夷、棟方志功、岡鹿之助、杉山寧、橋本明治、小山敬三、田崎広助、中川一政、小野竹喬、山本丘人、小倉遊亀(女流)、山口華楊、高山辰雄、牛島憲之、小磯良平、上村松篁、奥田元宋、荻須高徳、池田遥邨、片岡球子(女流)、吉井淳二、福沢一郎、佐藤太清、森田茂、岩橋英遠、伊藤清永、平山郁夫、秋野不矩(女流)、守屋多々志、加山又造、福王寺法林、大山忠作である(受勳順)。○最後の大山忠作は2006年の受勳で、最近画家の名が減る傾向にある。昔に比べて科学技術など他分野からの受勳が増え、そのシワ寄せで画家の受勳が少なくなるのも当然かもしれないが、日本画という日本文化の真髄への授与が減るのは忍びない。受勳する側もその資質が落ちているとも考え難いことから、画壇と画家の奮起を期するしかない。昔の画家は売れなくても、飯が食えなくても、自身の想いをひたすら絵に込めた。家財も岩絵具に変わった。自然と大作が多いのも頷ける。最近の画家はちょっとでも売れれば、売れ筋のものを大量生産し、軽井沢に別荘を建てる。東京芸大をトップで卒業した、文化勲章の資質のある青年画家も当面の楽な生活と廻りの誘惑に負けて、傑作・逸作・名作が遠のく。○岡倉天心率いる横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の5名が私財を投じ、茨城県五浦に籠って画業に専念し、切磋琢磨したのは夢のまた夢か。日本画の伝統継承も必要だが、東山魁夷や平山郁夫、加山又造の如き、テーマが荘厳で独自性の高い新風(新たな画風)を生み出せるかが、文化勲章の鍵であろう。ゾクっとするような大作が鑑賞できる、遠くない日を夢見て、若手画家の奮闘を期待しよう。。(「2009年3月11日の親仁ギャグ」より。中島美術館開館に寄せて-中島会長の言葉通り、宮崎は明らかに芸術後進国だ。若い時の刺激が必要だ-。9月16日。

メディキット中島記念館・美術館が今日、開館。「メディキットホール」(県立芸術劇場)でお馴染の、カテーテルを主体とした医療機器開発・製造・販売メーカーの中島弘明氏(77)が建設した。中島氏は東郷町出身の同社創業者で、現会長である。県北ではじめての美術館。会長曰、「作品は訴えるものがある。子供たちが見て理解して心温かい人になってくれれば」(宮崎日日新聞9月16日)。近近、拝館といこう。9月16日。

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