●種田山頭火(1882-1940)が「月」を詠むと、「酒はない月しみじみ観ており」、「蚊帳の中私にまで月の明るく」。小林一茶(1763-1827)が捻ると、「古壁やどの穴からも秋の月」、「むだ人を叱りなさるや秋の月」、そして極みは「あの月をとつてくれろと泣子哉」。人間窮しても精神の底はダジャレ的余裕をもってなくてはな。追:藤沢周平著の「一茶」(文春文庫)はおススメ。10月26日。
●親仁等の祖父母の世代、否、それよりも若い年代、現在80歳前後の御老人(失敬、今から総理大臣を目指す政治家もあるのに、80歳を老人呼ばわりしては無礼千万だ・・・)なんぞは新暦よりも旧暦の方を好む人が少なくない。多分に、小さいころからいろんな祭事や行事が旧暦で運行されてきたためであろう。そして月明りで勉強までしたかは別として、夜毎空の月を眺めては明日や将来の自身を思い量ったことであろう。だから月に愛着をもつのであろう。月はじめが新月(朔)で、月半ばが満月。新月から次の新月までが1ヶ月で、新月と満月の間に上弦と下弦の半月がある。なるほど親仁の石頭でも理解可能だ。移り気な秋の夜空だが、毎夜、天空を仰ぎ見て月を探し愛でるのも気が静まるものだ。「観月」やら「月光浴」とは良く言ったものだ。※太陰暦(たいいんれき、英語:lunar calendar)とは、朔望月(月の満ち欠けの周期)を1か月とする暦法である。「太陰」は「月」の意味。陰暦(いんれき)。「太陽暦」「陽暦」の対義語である。・・・・・狭義の太陰暦(純太陰暦・純粋太陰暦)では原則として、比較的近い12朔望月(約354日)を1年とする。一方、広義の太陰暦に含まれる太陰太陽暦では、適宜閏月を加えた13か月からなる閏年を混ぜることで、平均した1年を1回帰年にほぼ一致させる。(Wikipedia)。つづく。10月26日。
●楽天かと思いきや、蓋を開けたらロッテの第3位指名。光星学院の田村龍弘捕手。ルーツは宮崎県人だ。素直に喜び、活躍を祈ろう。10月25日。
●「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」はダグラス・マッカーサー(1880-1964)の名言。「老政治家は死なず、ただ冷水を呷りたいのみ」は石原慎太郎都知事の迷言?。甘ちゃん長男が先の自民党総裁選で想定以上の無能ぶりを露呈しての事実上の失脚。親という奴はいつまでたっても出来の悪い息子ほど可愛いのであろう。秋の深まりと歩調を合わせるように政治の混迷も泥沼化。彼の吉田茂(1878-1967)も85歳まで粘った。吉田学校の英傑、池田勇人(1899-1965)、佐藤栄作(1901-1975)、保利茂(1901-1979)の説得などで已む無く大磯に隠居。「年寄の冷や水」に頼らなくてはならないような状況なのか、この日本は・・・。週2日のみの登庁で体力を温存するのも流石だ、御立派だ・・・。つづく。10月25日。
●仲秋(中秋)とは「秋の三か月を孟・仲・季と分け、その真中をいう。陰暦八月の異称。」(日本国語大辞典)。旧暦8月15日は十五夜でこの日の月を「中秋の名月」という。今年の中秋の名月は9月30日で満月当日であった。今年の旧暦8月1日は新暦の9月16日で、旧暦の8月29日までで31日はない。同じく旧暦の9月1日は新暦の10月15日で、旧暦の9月30日は新暦の11月13日。旧暦では秋は7~9月で、新暦では9~11月。当然ながら、沖縄と北海道の稚内では雲泥の気候差であるが・・・。今日10月22日は旧暦の9月8日で月齢は6.6、上弦の半月である。日本人はは遠い縄文の時代から「観月」として月を愛で、豊穣と平安とを神に祈ったのであろう。今や、「月光浴」という言葉があるらしい。旧暦では、来月の13日(旧暦9月30日)までが「季」で、今は「晩秋」の真っただ中だ。月を愛でると「古人」の胸中を模擬体験した気分に浸れるから不思議だ。つづく。10月22日。