●大学教育の真髄は「全ての生活上の問題に遭遇した場合、その問題の解決法と最終目的に到達する術を身につけること」を教授することにある。だから、大学側はそれを習得しない学生に単位を与え卒業させてはならない。そうでなければ大学の義務の不履行であり、学生から授業料を受け取ってはならない。学生がミスマッチで受験して入学した場合で勉学の意欲が持てない場合はさっさと退学すべきである。周りに迷惑千万で自身の将来のためにもマイナスだ。大学が生徒を預かるからには彼らに冒頭の真髄を修得させて世に送り出す責務がある。そういう意味で卒論や修論、況やドク(博)論の意義は大きい。つづく。11月9日。
●日本家電メーカーのテレビが軒並み売れない。何故だ。親仁は類稀なテレビ狂。テレビなしの生活は苔の無い名刹。親仁の考察は、①性能が高く壊れ(故障し)ないので買換えを控える、②性能が半分に低下しても値段が半分なら10年の買換えを5年に縮める、③メーカーは高性能に勢力を注ぐ余り、ネットとの接続など附随機能の発展を無視している、④5年も経てば新たなオプション機能が生まれる、⑤ケーブルチャンネルやDVDなど他社との共有が無視されている、⑥ケーブルテレビやWOWOWも台数での値付ではなく世帯で決めるべきで、そうなれば家内のテレビ保有台数も増える・・・など消費者(ユーザー)無視も甚だしい。電力(発電・配電・送電)ではないが、テレビ製造メーカーと配信、受信の協調性が必須だ。大きさ(型)やデザインも5年もすれば飽きる。テレビで親仁の人生の苔は生(む)すが、テレビに苔が蔓延るようではまずい。11月9日。
●遂に泥鰌宰相が年内解散を決意した。数か月の曇天の顔色がこの2、3日で柔和になった。歴史に名を残すため、衆院選挙後の「消費増税反対法案を提出せず」を確約に野党の条件を呑んだ ? ・・・親仁政治評論だが・・・。自民党が勝利し、日本維新の会やみんなの党などと連合した場合の話だが・・・。昔、土井たか子(1928-)日本社会党委員長が第15回参議員選挙で大勝し、直後に「消費増税廃止法案」を提出した経緯があるからだ。1989年のことだった。10%消費増税法案が衆院選後仮に廃案になったなら、泥鰌は歴史上、最悪宰相のレッテルを免れない。証拠に、竹下登(1924-2000)元総理(第74代)ははじめての「消費税導入」で名を遺している。11月9日。
●そもそもの学校法人は、平たく言えば、高校や大学、幼稚園を経営する民間会社。ところがこれには開学後も地方や国から多額の税金が投入される。入学金や授業料だけでは経営を賄えないのだ。国立大学だって、学生1人当り月に少なくとも(文系)数万円の税金が補助される(親仁の記憶では)。私学の場合、高校では特待生の形で授業料免除(家庭が経済的に窮していないのに・・・)の制度が罷り通っており、専門学校や大学でも理事長はじめ親族が(同族)経営している。要は、学校法人が営利追及の隠れ蓑と化できる可能性があるということだ。勿論、全てではなく一部での話だが・・・。つづく。11月9日。
●「真紀子節」の再炸裂。今回の文科相の「新設大学不認可問題」は是か非か。俄然、是だろう。少なくとも最終認可が出てから建築を開始するのが民間の常識だ。地方の大学新設が地域の経済活性化に貢献していることも分らないでもないが、どうせ旬の無い教授人の寄せ集めで、事務方は行政の天下り先だろう。某公立大ではないが、大学のホームページに載せられた教官の業績(論文発表)欄を見ても、大した仕事はしていない。論文を書くことだけが大学人の仕事ではないが、新しい知見を世に示さねばならぬ。程良い緊張感がなければ良い学生は育たない。事の本質は日本の大学の有り様。つづく。11月8日。