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今週の親仁ギャグ・2013年2月17日(日)~2月23日(土)

飛耳長目」(ひじちょうもく)、これは吉田松陰(1830~1859、安政の大獄で刑死)が松下村塾生に繰り返し教えたことだ。読んで字の通りだと「耳を飛ばし目を長くする」だが、本意は勿論、「常にアンテナを張って日本や世界の事情や情報を入手し、分析し、何を為すべきかを考えなさい。」ということだ。さらに具体的には「尊王攘夷を成し遂げるための倒幕を為す方策を考えなさい。当時の中国(清国)は西洋列強の植民地であり、日本国を外国から守るにはどうすべきかを考えなさい。」とうことだ。これを具現化したのが、久坂玄瑞(1840~1864、禁門=蛤御門の変で負傷、自殺)と並ぶ松陰の一番弟子、高杉晋作(1839~1867、肺結核で死)だ。きょう未明の日米首脳会談でTPP交渉参加が事実上、決定した。所詮、「聖域なき交渉参加」が前提とあれば、すべてのものへの関税が撤廃されることであり、それを前提に完全同意して参加を表明する国家間の交渉は、参加表明の時点で終結したことを意味する。ここに至ってもJA(農協)の幹部はきょうの共同表明内容を訝(いぶか)しんでいる。これだけグローバル化した時代で、しかもわが国の食料自給率が40%という御時勢ならぬ御時世に、頑なに何ごとも反対反対は如何なものか。組織の自己保身としか取れない言動である。日本の農業技術は世界最高、最先端と認めよう。戦直後の1947年の農業協同組合法以来、今日の日本繁栄の礎はあなた方の尽力によること多大である。しかし、現体制を維持存続させることが、日本国はおろか農業や農家にとっても、真の是であろうか。農協の中に吉田松陰は居ないのか、晋作のような破天荒で、現組織を飛びだしてでも日本の農業を守り、世界に打って出る狂人はひとりたりとも居ないのか。「おもしろきこともなき日本の農業(農家)をおもしろく」、そのあとは「・・・・・・・・・・・・・・(何とやら)。つづく。2月23日。

レスリングの問題。親仁の筆頭趣味のひとつであるボクシングは、現在主要4団体がそれを席巻している。WBA(World Boxing Association)とWBC(World Boxing Council)、IBF(International Boxing Federation)、そしてWBO(World Boxing Organization)である。WBAが最も古参で1921年の設立、本部はパナマシティ。WBCが2番目に古く、WBAから分立したのが1963年(完全独立は1968年)、メキシコシティが本部。IBFも1983年にWBAから独立、本部はアメリカ・ニュージャージー州。最後のWBOは1988年に同じくWBAから独立、本部はプエルトリコ。独立の背景には会長選挙での敗北や主導権争いなど陰気で胡散臭い泥仕合がある。金が動くところに暗躍人ありだ。それでもそれでも月曜の夜9時には「WOWOW」で「エキサイトマッチ」が見れる。1団体や2団体ではもはや物足りない状況である。世界レスリング協会もこれを機会に是非、自発的な発展的離脱をしては如何なものか。オリンピックに2つの団体があり、色んな種目が加われば、世界のスポーツファンの支持も得られるのではなかろうか。そもそも近代オリンピックが始まった1896年(アテネ開催)の世界人口は定かではないが、1950年が25億人強であるから、今の70億人超に比べてら数分の1であったことは確実であろう。それにスポーツ人口もその比ではあるまい。2月22日。

居酒屋でも街中でも帽子を被っている親爺は気になるものだ。どうしても無意識に頭に視線が向いて、足先まで動いてしまう。フェルト帽で世界を魅了した「ギャングスタイル」がお似合いの副総理兼財務相の麻生太郎氏。親仁はニュースで拝見するや、「なかなかイケてるね」の感。G20でも得意の英語で、故障しているマイクに向かって「日本製ではないから・・・・・・」とギャグを飛ばしたらしい。彼の出立ち姿を見て、彷彿とされるのが「おじいさん」の吉田茂元首相。以下は麻生和子著「父 吉田茂」(新潮文庫)に寄せた麻生太郎氏の「祖父・吉田茂を想う」(254~263pp)の抜粋である。故・宮沢喜一元首相の英語力は有名だが、英語が自由に操れる大臣も頼もしいものだ
祖父に大切にされ過ぎて困った出来事の筆頭は、スタンフォード大学を去るときの顛末です。昭和39年、マッカーサーの葬儀で渡米したおじいさんは、宿泊先のマークホプキンスホテルに私を呼び出しました。私は当時、スタンフォード大学に在籍しており、パロアルトに住んでいたので、久しぶりの再会でした。ホテルの部屋で私とひとしきり話した祖父は、「紅茶が飲みたい」と言い出した。それで私が部屋の電話からルームサービスを呼んで、紅茶を持ってこさせたわけですが、おじいさんはこのとき私が喋ったカリフォルニア弁を聞いて、ぶったまげてしまった。それは、駐英大使を務め、イギリスの英語に慣れ親しんだ者にとって、信じがたい発音の英語だったんです。これでは可愛い太郎が駄目になる。とまで思ったかは定かではありませんが、おじいさんは日本に帰るなり、おふくろに対して「unendurable English!(あんな英語は我慢できない!)」と言ったそうです。太郎がアメリカでカリフォルニア・イングリッシュを喋っていた、と。あれでは駄目だ、と。イギリスに行かせろ、と。それでおふくろから私に電話がかかってきて「帰ってこい」です。私は「あと二学期で卒業できるから」と抵抗したのですが、「学歴は麻生家には関係ない」と言われて、ガチャンと電話を切られて、終わり。お金も止められて、持っていた車も全部売って、なんとかお金を捻出して、でも飛行機には乗れず、船の二等船室で太平洋を渡って帰って来ました。』(260~261pp)。つづく。2月21日。

レスリングがオリンピックから除外される危機の問題。古代オリンピックの競技種目は、距離走、5種競技、円盤投げ、やり投げ、ボクシング・・・そしてレスリングも含まれる。そのレスリングが除外されるとは、「寝耳に水」的で、世界中のレスリング関係者が復活に躍起になるのも分らないでもない。今や、オリンピックも興行化しており、チケットが売れずに会場が観客で埋まらず、スポンサーがつかなければ、「はい、それまでよ」ってことか。古代ギリシャ人が紀元前776年から行ってきたオリンピックの中核種目が消えるのだから、当事者にとっては只事ならぬ、居た堪れないことだろう。が、どうだろう・・・この際、第二のオリンピック組織を立ち上げては・・・。野球にソフトボール・・・いろいろとあるではないか。何も4年に1回でなくとも、2年に1回でもよろしいのではないかつづく今日はMRTラジオ「女UP」の収録日、上手くいくことやら。いざ、スタジオへ。2月20日。

先週の水曜日と木曜日は、本院スタッフを伴って、東京へ行った。東京見物とは聞こえがいいが、1泊2日なので行った処は高が知れている。御上りさんには違いなかろうが・・・所謂慰安旅行ってとこだ。朝1便で出発し、10時には東京タワー、11時にはちい「銀ブラ」、12時には銀座8丁目の「小笹寿し」、14時には浅草の雷門・仲見世・浅草寺へ、16時半に帝国ホテル本館へチェックイン、夕食は帝国・・・・・・。翌朝は帝国のバイキングで始まり、その後は各自自由行動で、17時に羽田集合、20時前に宮崎着。日頃、なにかにと無理を強いているスタッフへの御褒美ってとこか。忙しない小旅行であったが、皆が喜んで楽しんでくれたら、親仁も御満悦だ。2月17日。

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