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今週の親仁ギャグ・2013年4月14日(日)~4月20日(土)

ボストン爆弾テロ事件が容疑者特定で急展開、FBIが優秀なのか。日本のマスコミ報道は内容が断片的過ぎて全容が把握し難い。例によって、ケーブルテレビで「BBC WORLD NEWS」(ch.257)を見ると、やはりボストンから生放送中。東日本大震災の時もBBCの方が事の重大性をいち早く指摘していた。「チャイナシンドローム」ではないが、今回の爆弾テロが果たして対岸の火事、否、地球の真裏側の単なる一事件として見過ごせるか。BBCは英国の言わば公共放送であり、日本ではNHKがそれに相当しよう。今、20日の夜中の2時だがNHK総合は「鶴瓶の家族に乾杯」、NHKBS1はドイツのサッカーを放映しているようだ。Eテレは放送休止、BSプレミアムもなにやら暢気な番組名。NHKはBS2を閉鎖したり、見かけの改編はしているようだが、組織はじめ抜本的改革は手緩い。今や、宮崎などの地方放送局は必要か。地方のニュースはMRTやUMKで十分その役目を担っている。地方局を廃止するだけでアナウンサーはじめ節員による経費削減は膨大であろう。彼らの転勤費用補填だって馬鹿にならない。アベノミクスの矢の射先の一つはグローバル化。海外の重大事件を自前で生放送できないというNHKの慢性努力欠乏症つづく。4月19日。

尖閣問題で航空自衛隊のスクランブル(scramble)などが急増し、この1年間(2012年度)の総出動回数は800回を超えたという。「もっと知りたい三国志(四)」(渡邉義治、pp.449~456)『三国志(四)臣道の巻・新潮社(吉川英治)』によれば、中国人に最も敬愛尊敬されている人物は孔子と関羽という。中国では、現在も2人は神であり、その墓は「文廟」(文林)と「武廟」(武林)として祀られる(中国では聖人墓を「林」と呼び、後にも先にも聖人はこの2名)。民間では、商業の神である財神として広く信仰され、世界各地で暖簾を張る華僑の街には「関帝廟」が鎮座する。横浜など日本の中華街でも例外なく「関帝廟」が設けられている。そもそもの関羽信仰は宋(960~1127)時代、宋が北方民族の侵攻で窮地に立たされたことに始まり、義勇を兼ね備えた関羽の神に寄り縋ったことに因る。また、関羽は劉備玄徳、張飛と出会って義兄弟の契りを交わすま前、塩商人の用心棒であったのではないかということから、塩の交易で巨万の富を得た山西商人の間では「財神」として崇められた(関羽の出身地は山西省西南部の運城市は、古来、解池で取れる塩の流通拠点として有名)。「関帝(関聖帝君)」と「財神」とは、鉄心石腸の義の持ち主である関羽に与えられた最高の称号であり、言わば「忠義の神様」ってとこだろう。三国志を読み進むれば関羽の劉備への忠節の深淵が知れよう。「義」とは「①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。・・・」(広辞苑)。「中国に納品しても金を支払ってもらうのは半年後・・・」など中国との貿易(商売)でも良いことは聴かない。義を慕う巨龍の中国、義の実践や如何に! 中国に忠告や。4月18日。

世界の火薬庫の朝鮮半島もボストン爆弾テロで舌戦休戦か。ニシタチの上野町(かみのまち)に「伽耶(かや)」という焼肉店がある。最近、何気に買った「地図で読む日本の古代史(90分でわかる!『日本と日本人』の始まり)(三笠書房)」でその文字を発見。「・・・好太王(三七四~四一二)は高句麗の第十九代の王。三九一年に倭人が海を渡って、百済・□羅・新羅を破り、これを従えたという。三九九年と四〇四年には、新羅・高句麗に迫る倭軍を好太王が撃退して勝利をおさめたとある。・・・実際、前後するが『百済記』では三六六年に倭と百済が同盟を結んで、翌年に新羅を討ち、その後、倭は伽耶、のちに日本府が置かれたとされる任那(みまな)の中心を平定したことが記されている。・・・」(pp44~45)。必然的に血(DNA)が混じり、その彼らが倭国に渡ったのを「渡来人」と称したようだ。争い事は今に始まったことではないようだが、核ミサイルを撃ち込むとの嚇しは常軌を逸している。遠くの親戚よりは近くの他人、仲良くしようじゃありませんか。今度、屋号「伽耶」の謂れを聞いて見よう。4月17日。 

兵法三十六計逃げるに如かず」。有名な兵法は孫武(紀元前535~?)が著した兵法書「孫子」である。世に「孫子の兵法」として名高く、日本でもよく活用されてきた。「兵法三十六計」は「大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物」(Wikipedia)。金正恩第一書記の兵法は「兵法三十六計核ミサイルに如かず」ってことか。今度こそは全世界が朝鮮半島統一を目指した一致団結の解決策を模索実行すべき絶好の契機であろう。彼の兵法書(辞書)に「逃げる(退く)」という言葉があるのか否か。4月14日。

三国志の魏王(魏の武帝)こと曹操(155~220)の功績の一つは「兵農分離」にある。戦国の世、織田信長(1534~1582)が最も恐れ、徳川家康(1542~1616)を奇襲激襲し馬上で脱糞させた()男、武田信玄(1521~1573)が天下を取れなかった理由は「地の不利」の他に農民が兵を兼ねていたことに因る。武田軍兵は春になれば稲を植え秋が来れば稲刈り(収穫)をせねばならず、豪雪の冬には出兵どころの沙汰でない。戦(いくさ)が可能な期間が限られていたとうことだ。威嚇し続ける金正恩(1983~)第一書記、今兵士は農作物の作付に懸命という。飢えた北朝鮮軍兵は糧食を得るのに必死の状況にあるということだ。内実、戦争どころではないが、暴君の暴走が先走って収拾がつかない。暴君と甲斐国主を比べたら信玄に無礼非尊だが、兵農分離されない時代遅れの軍隊では勝ち目ない1572年の三方ヶ原(みかたがはら)の合戦。4月14日。

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