●今年の靖国神社の春季例大祭の昇殿参拝は4月21日の午前8時~午後2時と 4月22・23日の午前11時30分~午後3時まで。国会議員168名が大挙して行軍したのは如何なものか。大例祭期間中に是非とも参拝したいのだろうが、中学生や高校生の「連れション」じゃあるまいし・・・威圧的で挑戦的と取られ兼ねない行為だ。神社側の都合もあるのだろうが、あの「連れション」光景はいただけない。英霊の前でほくそ笑んでいる議員もチラホラ。親仁が行った知覧の特攻平和会館では、館内で顔面が緩むような人種はいなかったが・・・彼ら国会議員は何か勘違いしていないか。4月27日。
●靖国神社は「東京都千代田区九段北にある元別格官幣社。明治維新およびそれ以後に戦争など国事に殉じた者250余万の霊を合祀。1879年(明治12)招魂社を改称。」(広辞苑)。国会議員が口をそろえて唱えるのは「国のために戦った英霊」。A級戦犯は英霊か否か。国賊とまでは言わないが果たして英霊であろうか。東條英機内閣は昭和19年(1944年)7月18日には総辞職しており、東京大空襲の時点では政界を引退していたが、御前会議(1941年11月5日、同12月1日)を含む開戦(昭和16年12月8日)時の首相(第40代内閣総理大臣)である。自身に反論反抗した将校や新聞記者までを最前線に送り込んで戦死させた。その他の戦犯も終戦を遅延させ(本土決戦を模索)東京はじめ各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎原爆投下と無下に戦禍を拡大させた責任は重い。それだけでも国家国民のために戦った英霊とは言えまい。富田メモで昭和天皇はそれに(合祀)に不満と不快感、懐疑心を顕わにしている。裕仁天皇は1978年10月17日のA級戦犯靖国合祀を知るや靖国参拝を止めた。今上天皇の参拝も無い。つづく。4月27日。
●他所の国へ兵器を携えた軍隊が侵攻して治めたら、それは侵略であろう(※侵略とは「他国に侵入してその領土や財産を奪いとること」広辞苑)。日中戦争(1937年7月7日の盧溝橋事件が発端)を侵略と認めない日本人はいるのか。アジア・太平洋戦争の総死者数は2229.3万人~3229.3万人で、中国人は1000(~2000)万人、朝鮮人が約20万人、台湾人が約3万人・・・・・・(吉岡吉典著「日本の侵略と膨張」・新日本出版社)・・・それに比べて仕掛けた方の日本人の死者数は閉院が約230万人で民間人が約80万人(中学社会「歴史的分野」・大阪書籍編集部 大阪書籍 中学校社会科用 平成13.3.30検定済から)と記載される。侵略された国の死者数が仕掛けた方の比では無く桁違いに多い。だから戦後68年を経過しても怒り心頭に憤怒しているのだ。日本と大陸の諸国が反対の立場なら同じ感情を抱くに決まっている。つづく。4月27日。
●安倍ちゃんの顔容がふっくらしていないか。もしや、潰瘍性大腸炎が悪化して薬(よもやステロイド服用はないよな)の副作用ではないだろうか。「首相と官房長官それに外相は靖国参拝しない」という中国との暗黙の了解を破棄してのナンバー2である「副総理」(元総理で元外相)以下過去最多の大人数での参拝。中国も韓国もA級戦犯を除く英霊の参拝に憤怒抗議しているのではない。高い内閣支持率に調子付いて暴走の域へ突撃しはじめていないか。三本の矢を射るが如く「巨龍猛虎」に外交政治決戦するのは如何なものか。「アベノミクス」が「ヤベノミックス」(政治の暴走で経済までやべ(ば)くなる)へ逆噴射しかねない。情勢を正確に読み、「権変の才」をもって経綸を・・・熱願の極み。経済も外交も政治も呉呉も誤射のないように。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」・・・少しローギア走行したら。つづく。4月26日。
●占領下、重大な出来事に不可思議な「日」の符合がある。現東京都知事の猪瀬直樹氏が指摘している(東條英機処刑の日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」文春文庫 2011年)。①4月29日は昭和天皇の誕生日であるが、1946年(昭和21年)4月29日に極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯28人が起訴された。②その裁判が開廷したのが5月3日で、翌年(1947年)の5月3日に新憲法が施行された(憲法記念日)。③A級戦犯の7人が処刑されたのが1948年(昭和23年)の12月23日で正に現天皇の誕生日であった。そう、4月28日は昭和天皇の誕生日の前日ということだ。マッカーサー率いる進駐軍、否、敗戦国日本を小馬鹿で虚仮にした米国の悪趣味が垣間見れる。4月25日。
●来る4月28日はサンフランシスコ講和(平和)条約が施行(1951年9月8日の調印で1952年4月28日の施行)され日本が正式に独立した日であるから、「日本の独立記念日」にしようではないかと息巻くのが安倍ちゃんだ。ところが沖縄県民は、それ以降も1972年5月15日まで米国の占領下にあった。実に1945年の終戦から27年もの屈辱の幾星霜であった。沖縄の4月28日は本土に裏切られた「屈辱の日」なのである。(裏切りの意味は奄美大島以南と小笠原諸島が本土返還と同時に行われなかったということだ)。その日に天皇陛下が臨席しての独立記念式典が条約施行から還暦を1年も過ぎた61年目に突如行われる。日本は戦後、明治以来の歴史を真正面から見つめ論議することを忌み嫌うが如く回避して来たのもこれまた事実であり、これを機に戦後68年を正視すべき時が到来した。多分に辛辣な苦悩を伴うであろうが、今や他人事ではない、逃げては日本の将来が無いのだから。4月25日。
●若者が電車の優先席に座り、老人が乗り込んできたら席を譲る。公共広告機構の宣伝ではないが、これが究極のイタワリ心だという。優先席をワルが分捕ると譲らないので予めそこに座っておくというものだ。だが、想いに違って時に嫌なオバさんは「プイ」と隣の車両へ渡る。「年寄扱いにしないでよ」って理由(わけ)だ。(此処までは前述の吉村昭の二番煎じ)。過日市内のうどん屋で席に座ると熱いお茶を出された。となりの2人連れの若風な客人のテーブルにはコップのお冷がある。数年前から同じことの起こるようになったが、少なくとも5年前までは然に非ず。そう、店のスタッフは顔貌や背格好で年寄と見ている証である。若者よ、年齢を察する能力を養いなさい。「年寄には冷水」ではありませんぞ・・・正解は「年寄の冷水」・・・50前半は無理して若振りしませぬ。4月23日。
●宇和島湾の西の豊後水道に日振(ひぶり)島が浮かぶ。何十年か前に鼠が異常繁殖し、その数は推定54万匹で、人口2千名の島民1人当り250匹。天敵の蛇や鼬、猫を送り込み、殺鼠剤や駆鼠剤を使用したが、さして効はなかった。途方に暮れていると、潮流の変化で漁獲量が減って餌が不足すると鼠たちは共食いをはじめ、しまいにはある夜、突然彼らは集団で海を離れ、その時から日振島には鼠がいなくなった・・・と、「ポーツマスの旗」の著者である吉村昭(1927~2006)氏のエッセイ集「わたしの普段着」(52~54pp)(新潮文庫)にある。フクイチでまた鼠が原因の停電発生。周囲には人間の残した食い物が豊富にあるのだろうか。薄い記憶だが、今年に入ってマダガスカル島で蝗(イナゴ)が大量発生したという。三国志でも蝗の大量発生で稲を食い尽くして戦況を変えたとの行がある。やっこ(奴)さんらを生け捕るのは良いが侮るなかれ。鼠の生息調査が必須かもしれない。4月23日。
●代を掻いたまま田植のない水田で餌を啄(ついば)む脚と頸と嘴の長い中型の鳥(先週の写真)。白鷺は分るが、この鳥が鷺の類か鴫の類なのか、一晩調べても鳥音痴には解明不能。鷹と鷲は大きさの違いであって同じタカ目タカ科に属する。遺伝子(DNA)的にはほぼ同じということだが、さて鷺と鴫の違いは・・・。鷺はコウノトリ目サギ科で、一方の鴫はチドリ目シギ科というから鷹と鷲の関係でない。「鷺は鴫より大型で、鴫は渡りが多い。」・・・の程度でギブアップ。「早とちり」ならぬ「はや(!)鳥痴」。鷹揚に舞うのが鷹で、大きい丘(京)で目立つ(尤)のが鷲。同じ思考で、路端に居るのが鷺で、田圃に遊ぶのが鴫っていうのはどうだろうか。恥ずかし哉、無知蒙昧。呵呵。4月22日。
●わが病院のホームページを見てからであろうが、今日も遠方(県外)から相談の電話あり。「ある病院で猫のワクチンを打ったが、その後元気がなくなり、証明書を見ると犬のシールが貼ってあった。病院に電話すると『受付がシールを間違えたのであってワクチンは猫で間違いない』と言われたが心配」との内容。今の状態を聞くと回復してきているとのこと、証明書のシールはどの病院も受付が貼ることが多いので、病院がワクチン自体を犬と間違えた可能性は低いでしょう・・・過去にワクチンで副作用が出たことがなくてもその時の体調によって20~30頭に1例は発熱などの異状が出る・・・と応えたら、少しは安心したようで慇懃に何度も礼を述べて電話は切れた。県外の人も「症例の紹介」を好覧してもらえているようで、関東などからも年数件の電話があるのには驚愕の感激である。有難哉。4月21日。