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今週の親仁ギャグ・2013年5月5日(日)~5月11日(土)

太平洋戦争の開戦原因? 日本の中国侵略の拡大を懸念した欧米列強はフランス領インドシナ経由で中国を支援。一方ヨーロッパではナチスがフランスを占領。日本はナチスドイツと組み、インドシナへ進駐。これに伴いアメリカは対日屑鉄輸出を禁止し、インドシナの中立化などの妥協案を提示したほか再南下を警告。されど日本は南部インドシナへ進駐。アメリカの対日石油禁輸。ハル・ノート(日本側としては受け難い交渉内容でアメリカ側からの最後通牒との見方もある。さらに言えばアメリカ側の言い分を全面的にのみ込むか戦争かを強要する交渉文書)。そして「ニイタカヤマノボレ一二0八」で日本の真珠湾攻撃へ日本はアメリカに戦争を仕掛けたのか、それともアメリカが石油を断たせ日本に開戦を仕向けたのかつづく。5月11日。

にわかに忙(せわ)しい憲法改正論議は今しかない。「私は、満州事変や日中戦争は日本の侵略戦争だが、太平洋戦争は、侵略国と侵略国との戦争であったととらえている。世界最大の侵略国はイギリスであり、アメリカ、オランダ、ロシアなどいずれも侵略国である。もちろん、朝鮮半島や台湾、南樺太などを日本の領土としていた日本も侵略国であった。つまり侵略国と侵略国のいずれが世界を支配するかという戦争だったのである。なぜ、日本国は戦争の総括をしなかったのか。もちろん勝つ見込みのない戦争を起こし、多くの犠牲者を出した末に敗れた国家の責任者たちの罪は問われなければならないのだが、なぜ日本人はそれを回避したのか、いや総括から逃げてしまったのか。今からでも総括をすべきである。」(週刊朝日5/17・田原総一郎靖国問題から抜け落ちた日本人自身による『総括』」)。一方で安倍ちゃんの憲法改正の意気込み度は・・・・・・『私は平成19年1月の内閣総理大臣施政方針演説で「戦後レジーム」からの脱却を宣言しました。憲法を頂点とした行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠です。憲法改正が必要と考える理由として、次の3点を指摘します。まず、憲法の成立過程に大きな問題があります。日本が占領下にあった時、GHQ司令部から「憲法草案を作るように」と指示が出て、松本烝治国務大臣のもと、起草委員会が草案作りに取り組んでいました。その憲法原案が昭和21年2月1日に新聞にスクープされ、その記事、内容にマッカーサー司令官が激怒して「日本人には任すことはできない」とホイットニー民生局長にGHQが憲法草案を作るように命令したのです。これは歴史的な事実です。その際、ホイットニーは部下に「2月12日までに憲法草案を作るよう」に命令し、「なぜ12日までか」と尋ねた部下にホイットニーは「2月12日はリンカーンの誕生日だから」と答えています。これも、その後の関係者の証言などで明らかになっています。草案作りには憲法学者も入っておらず、国際法に通じた専門家も加わっていない中で、タイムリミットが設定されました。日本の憲法策定とリンカーンの誕生日は何ら関係ないにもかかわらず、2月13日にGHQから日本側に急ごしらえの草案が提示され、そして、それが日本国憲法草案となったのです。第二は憲法が制定されて60年が経ち、新しい価値観、課題に対応できていないことです。例えば、当時は想定できなかった環境権、個人のプライバシー保護の観点から生まれてきた権利などが盛り込まれていません。もちろん第9条では「自衛軍保持」を明記すべきです。地方分権についても道州制を踏まえて、しっかりと書き込むべきです。第三に憲法は国の基本法であり、日本人自らの手で書き上げていくことこそが、新しい時代を切り拓いていくのです。憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記述されています。世界の国々、人々は平和を愛しているから日本の安全、国民の安全は世界の人々に任せましょうという意味にほかなりません。普通の国家であれば「わたし達は断固として国民の生命、財産、領土を守る」という決意が明記されるのが当然です。安倍内閣は憲法改正のための手続き法である国民投票法を成立させました。保守合同によって昭和30年に自由民主党が結成されましたが、その原点は自主憲法の制定でした。これまで憲法改正問題が放置されてきたのは残念ですが、国民投票法の成立によって大きな一歩を踏み出しました。今後も憲法改正に向けて全力で取り組みます。』(最終変更日時2009年06月12日)「安倍晋三内閣総理大臣の公式ホームページ」より。つづく。5月11日。

デフレの象徴こと「不衛生。○亀製麺の笊に黴が蔓延っていた(親仁も最近はココに行ってない。それもテーブルは拭いてないし、床は落ちた飯粒などがチラホラに起因)。市内にも同店はあるがその他(全部ではない)のセルフサービスの饂飩屋や蕎麦屋の不衛生、不潔さにも目を覆いたくなる。最近、頓(とみ)にその傾向が甚だしくなっている。膳置き場の異臭、テーブルの汚れ放置、レジで金に触れたままの手で調理作業・・・・・・。どれも他店との低価格競争の末路であり人件費削減という悪の領域の極致である。仮にパートのスタッフの時給を750円としよう。1時間に20人の来客(昼飯時はそれよりも多いだろう)があり饂飩や稲荷などに1当り400円を使うとしようか。その400円を430円に値上げしたとしよう。そうすると600円が店の増益となり750円には150円足りないが、それは店主(社長)の取り分を減らしてもらおう。昼の混雑時間帯の2時間でもよろしいではないか。それ以外の比較的空いた時間は厨房のスタッフがちょいと気を利かせば済むことだ。学生時代、新宿西口の通称「小便横丁」に幾度か踏み入ったがあの狭い路地の小便臭は今も鼻に付いていて閉口ものだ。異臭悪臭で折角の空き腹が拒絶反応を呈するようじゃ「麺も苦」なり・・・ってこった。そんな不心得ものの店には行くま。御麺蒙る。日本人の綺麗好きは世界に誇れる文化なのにそれを蔑ろにするデフレの低価格競争。もうここらでこんな愚鈍(具どん?)な戦いに終止符を打とうではありませぬか。5月10日。

●5日、KYT(鹿児島読売)の24時50分からのドキュメント番組「生活保護・・・・釧路モデルとシングルマザー支援」は濃厚で実践的な良い放送であった。釧路市は市民の18人に1人が生活保護受給者という。市の担当者が家を訪問し、話を連ねては彼らのやる気を蘇生させ、延いてはたとえば市営スケート場の清掃活動に従事してもらう。受給者は心身とも内に引きこもり状態となり、これが精神の内向に拍車を掛けるだけでなく体力の減退をも招き、しかも悪循環に没入するらしい。果ては開き直って平気でパチンコや公益ギャンブルに興じる人種が出現する。取り敢えず体を動かし、それが公益に叶えば幾ばくかの良心の呵責の希釈となり、脱生活保護者として社会復活の兆しが見えよう。行政も無味乾燥な相談相手で済ませることなく、生産性の実践を科すべき時であろう。ところで世には「放送法」なるものがある。「地上波テレビ局においては、教育番組と共に教養番組のための放送枠を一定以上確保することが免許交付時の条件とされるのが普通で、現在はいわゆる総合局の場合『教育番組10%以上、教養番組20%以上』という割合が一つの基準となっている。」。横行している馬鹿なバラエティー番組も『教育番組』であることが少なくない。そうでないと30パーセントのノルマは果たせない。5月7日。

●「三尺下がって師の影を踏まず」。意味は「師に随行するときは、三尺離れて歩き、師の影を踏まないようにしなくてはいけない。」。もとは仏教の作法であり、師僧に従って歩くときの心得。本来は「七尺去って師の影を踏まず」という。「三尺」は、約九十一センチメートル。類義に「七尺去って師の影を踏まず/師弟となって七足去る/七足隔つ師弟の礼」。【用例】「三尺下がって師の影を踏まずだ、先生に生意気な口をきくものではない 。(故事ことわざ辞典)。きのうの松井秀喜氏の礼節だ。実際は照明の影響で影が長すぎて踏んでいたが・・・。松井氏の足のサイズは28.5cmだから七足で199.5cm。1尺は30.30cmで三尺は90.9cm。松井氏は3mは隔絶していたが・・・照明の配慮不足で失礼千万である。5月6日。

きょうはドームでのミスターの国民栄誉賞受賞に限るな! 記者会見では始球式について「あのときは気持ちが高ぶり、打ってやるぞという気持ちはあった。球が顔のあたり(インハイ)に来て打てなかったが、久しぶりにスイングしてうれしかった。いい球だったら、打っていたと思う」。久しかった満面の笑みとミスター節が蘇って嬉しかった。5月5日。

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