●一昔というからには今から10年か20年前まで、60を過ぎて仕事をしていたら世間はその漢を「若いころ放蕩のガンタレでまともに仕事もしていなかったのだろう。自業自得だね。・・・」と後指をさした。今は60を過ぎたら「職探し」。60で悠々自適な生活突入なら羨望の的だ。60から「年金で第二の人生の始り」なんちゅうのは夢のまた夢で、これからの実際は浮浪生活への「戸口」になりかねない。60歳から20年間、人生の垢を剥がし凝りをほぐして天寿を全うした世代。今からは年金受給開始の70歳まで若い者に使われ生身を酷使し、やれやれと大息をして気づいたら、足腰も貧弱化し妻との温泉旅行どころの体力は残されていない。夫婦がどちらも公務員で25年も共済年金を受給したら何と御殿のような、そう「蛤御殿」や「帆立御殿」や「鰤御殿」ならぬ「年金御殿」が建つのを知ってますか。つづく。6月8日。
●年金でもう一言。大風呂敷を広げた風に言えば、本来の60歳から年金をもらって現在80歳の矍鑠(かくしゃく)とした漢がいるとしよう。彼は幸運にも大病も患わず意気軒昂と20年間年金生活を送っている。60歳で定年退職したから、その後はそれまでの蓄えと先祖からの貸土地や貸アパート収入があり、同期の仲間の中では富裕なほうだ。年金はいわゆる泡銭なので、近場の一泊温泉旅行や年二回の国内旅行を妻とする。さすがに足腰も弱り、もうそろそろそんな優雅な生活も終焉となるであろうが、若かった頃の苦労はすべて洗い流された。いつ逝っても後悔はない。「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんて人生訓話(諺)もある。親仁も思うに、人間というのは若い時に喰う喰わずの苦労をしてもあの世に出立する前の数年間がバラ色であれば・・・「結構毛だらけ猫灰だらけ」なのだ。どころがどっこい、年金受給年齢が仮に70歳、否75歳までつり上げられたら・・・・。つづく。6月7日。
●彼のロナルド・レーガン(レーガノミクス)と肩を並べ称賛されたしと挑んだ「アベノミクス」。肝心の3本目の矢であるべき成長戦略があまりにも貧相でとんだ頓挫だ。相も変わらぬ「身きり」の皆無(議員定数削減・歳費削減・公務員制度改革など)、支持団体への媚び諂い(医師会・農協など)・・・。そのうち流行らない路地裏お好み焼屋のメニューにでも載ってるかもな。6月7日。
●なぬ、年金受給開始年齢が67、68歳になる。分っていることとは言え、ちょいと無謀過ぎないか。親仁の記憶では、年金制度が決まった1961年の掛け金は月100円。そして半世紀が経過した現在、掛け金の10倍もの給付を受けている人間もいる。これからの若者は貰えないのを承知で汗水の一部を献上しているのだ。今までの掛け金を返してくれ・・・と言いたい気分だ。ニシタチで豪遊だ、呵呵。6月7日。
●不覚にも風邪をひいてしまった。不肖、7~8年か10年に一度の回り病だ。なんたって発熱が苦手。今回の熱はおとなしいほうだったが、そのうちに咳がにょろにょろげじげじと酷くなった。診療で患者に説明するのにどうしても声を出さなくては商売にならない。こういう時に限って新患や(説明を要する)ややこしい病気が多い。そうこうして1週間、Y先生には迷惑を掛けたがどうにか快復。風邪の気配を感じると思いっきりニシタチでハシゴした50歳まで。焼酎でウイルスが侵入する咽喉を消毒し、体を温め、ぐっすりと睡眠を取る。そう、それにカロリーを十分に摂取するのも不可欠だ。少々熱があっても読書は可能なので、どうしても睡眠時間が減るという悪循環から治る風邪も長びくようだ。やはり自分のライフスタイルや自身に合った病魔撃沈法を歳を取っても遂行すべしという結論だろう。「不覚の五十○歳」。熟睡眠薬でもあり肩凝り防止剤でもあり滑舌剤でもあり咽喉頭消毒剤でもあり空想起爆剤でもあり・・・・・・やはり焼酎は「百薬の長」ってことだ。次なる風邪はいつぞや。風邪の妙薬は意外に若気の至りかも。6月5日。