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今週の親仁ギャグ・2013年8月4日(日)~8月10日(土)

夕方の緊急地震速報。震度7というから高校野球中継の画面がどのくらい振動するものか・・・阪神淡路大震災の再現か・・・果ては高校野球は前代未聞の中止かと大危惧していたが・・・幸いにも震度1以下。震源も奈良ではなくて和歌山。海底地震計に入ったノイズというがどこまで本当やら。緊急地震速報の的中率は2007年度(平成19年度)が75%、2008年度(平成20年度)が82%、2009年度(平成21年度)が76%、2010年度(平成22年度)が28%、2011年度(平成23年度)が56%という。2010年度の低率は2011年3月11日の東日本大震災後の群発などの影響によるという。もしも的中率を上げる努力に怠慢があれば、また誤報の原因次第では責任者の処分を問うような仕組みにしないと、税金を溝(どぶ)に捨てるような無駄行政が今後も滅びることなく蔓延り続くであろう。8月8日。

首相はじめトップ4が8月15日の靖国参拝見送りを中国側に非公式伝達したという。もとより首相はじめ主要閣僚はその任期中、靖国に参らないと言う了解事項が両国間に以前からあるという。また、最近は日中関係悪化に対するアメリカの懸念も大きい。日本政府はこの半永久的問題をどこまで引きずるのであろうか。●靖国神社は「東京都千代田区九段北にある元別格官幣社。明治維新およびそれ以後に戦争など国事に殉じた者250余万の霊を合祀。1879年(明治12)招魂社を改称。」(広辞苑)。国会議員が口をそろえて唱えるのは「国のために戦った英霊」。A級戦犯は英霊か否か。国賊とまでは言わないが果たして英霊であろうか。東條英機内閣は昭和19年(1944年)7月18日には総辞職しており、東京大空襲の時点では政界を引退していたが、御前会議(1941年11月5日、同12月1日)を含む開戦(昭和16年12月8日)時の首相(第40代内閣総理大臣)である。自身に反論反抗した将校や新聞記者までを最前線に送り込んで戦死させた。その他の戦犯も終戦を遅延させ(本土決戦を模索)東京はじめ各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎原爆投下と無下に戦禍を拡大させた責任は重い。それだけでも国家国民のために戦った英霊とは言えまい。富田メモで昭和天皇はそれに(合祀)に不満と不快感、懐疑心を顕わにしている。裕仁天皇は1978年10月17日のA級戦犯靖国合祀を知るや靖国参拝を止めた。今上天皇の参拝も無い。つづく。4月27日。●靖国神社は一宗教法人でしかない。ましてや遺骨は無く慰霊が祀ってある。国として誰もが心より英霊に額ずける場所をつくるべきで、以前から自民党案もある。中国や韓国などが猛抗議するのはA級戦犯への拝礼であるから、彼らを外した慰霊施設を新たに造れば良いだけの事だ。何の煩いがあろう哉。東京裁判の判決内容をA級戦犯の罪を含め全面受け入れたのがサンフランシスコ平和条約。それを履行し続ける義務を負わされているのだ。※1.「御前会議」:日中戦争以後の御前会議は1938年1月11日から1945年8月14日(終戦日前日)の計15回。文字通り天皇が出席。※2.「富田メモ」:1988年(昭和63年)当時の宮内庁長官であった富田朝彦が昭和天皇の発言・会話をメモした手帳が2006年(平成18年)7月20日に日本経済新聞の1面に掲載された。※3.「A級戦犯」は14名:東條英機・広田弘毅・土肥原賢二・板垣征四郎・木村兵太郎・松井石根・武藤章(以上の7名は1948年12月23日に絞首刑さる)・平沼騏一郎・白鳥敏夫・小磯国昭・梅津美治郎(この4名は終身刑でいづれも刑期中に病死)東郷茂徳(禁固20年で刑期中に病死)・永野修身・松岡洋右(この2名は戦犯指定を受けたが判決前に病死)。※4.「A級戦犯の7名の遺骸」:東條英機ら7名の遺体は絞首刑後遺族に返還されること無く、当夜のうちに火葬され、遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された。小磯国昭の弁護士と興禅寺の住職が火葬場に忍び込んで残灰置場に捨てれれた7人分の遺灰と遺骨の欠片を回収し、熱海の興亜観音に隠された。そして現在東條英機の墓は雑司ケ谷霊園内にある。※5.「靖国神社」には一般的に、戦死者の遺骨はひとつも納めれれていない。神霊が祀ってある。安倍ちゃん、この靖国参拝問題で政権が失速し、憲法改正も後退したこと間違いなし。憲法改正の前に解決すべき積み残された重大課題が山積ってことだ。「安倍株」は下がったが、日経株も下がらなければよいが・・・・・・。4月28日。これは2013年4月27・28日の親仁ギャグだ。安倍ちゃん、「ナチス発言」の麻生副総理、靖国問題ではしどろもどろの菅官房長官、よくわからない(発信力微弱な)岸田外相、計4名の終戦日靖国参拝見送り。そうするならA級戦犯の靖国合祀を早く止めてしまえ。8月7日。

さて、延岡学園の実力は・・・? レギュラー9人のうち3人が県外出身者。捕手の柳瀬直也選手(3年・大分)、1塁手の田中祐樹選手(3年・京都)、梶原翔斗2塁手(3年・大分)の3選手。他は県内出身者だから、春夏連覇を狙う浦和学園や夏連覇を目する大阪桐蔭よりも純粋純血である。背番号1のユニホームを誰が着るかだが、県予選の活躍からすれば横瀬貴広選手(3年・三股中)。3塁手は薄田凌選手(唯一の2年・大王谷中)、遊撃手は松元聖也選手(3年・旭中)、左翼は濱田晋太朗選手(3年・延岡中)、中堅は坂元亮伍選手(3年・清武中)、右翼は岩重章仁選手(3年・大束中)の面面である。きょうのYAHOO!ニュース「『甲子園』今年の注目は・・・・・・」の最後に「宮崎大会で打率5割2分6厘と打ちまくった延岡学園の岩重は、初の聖地で大暴れできるか。(堀健二)」と書かれた。岩重選手は1年生の春の九州大会(128回)で左右に2打席連続ホーマーをたたき込みその名を知られ、プロが注目。濱田選手の兄・濱田晃成選手(現東京ガス)は3年前の夏に甲子園に出場した。親仁も3年前の夏の大会、延岡学園vs大分工業戦をバックネット裏で観戦した。指揮官・重本浩司監督は(幸運なことに)監督就任1年目で甲子園の栄誉に恵まれた。その御年、なんと28歳(だから今は31歳)。出身は広島県で高陽東校の投手として活躍。日体大卒業後、出身高校のコーチを経てのことだった。延岡学園を率いて3年余。鍵は監督の冷静沈着と果敢即断(決)な戦法。3年前は選手がしくじると顔面鬼相を呈して選手を難詰っていた(二昔前の戦争直後生まれの監督の生き様ならぬ指揮様)。今夏の県予選を見るからにはそういう場面は1回のみ目にしただけ。3年間で監督自身がいちばん成長したかに見える。エースの出来も同様に重要だが、横瀬投手が持前の渾身の思い切りを披露すれば勝機は来る。3つ勝ってベスト4はいけるな。8月7日。

毎日新聞社会面の連載記事に「アジアと向き合う 戦後68年のニッポン」というのがあり、きのうの6日は『ヘイトスピーチと韓国人留学生 良き未来へ 歴史学ぶ』(28ページ)であった。きょう外出先から帰ってポストを見るに、3日前にアマゾンで注文した『ドイツ・フランス共通歴史教科書 現代史 1945年以後のヨーロッパと世界』(明石書店)が届いていた。タテ27cm・ヨコ21cm、ページ数344の堂々たる重量感。両国の高校3年間の教材である。折しも中国と韓国との関係が今最悪のわが国。直近のアンケートではお互いの国を良く思わない国民は日中で9割以上の驚異的数字。片や韓国とは「横断幕」騒動でお互いの言い分を応酬する状況下。親仁がナチスの独裁旗である「ハーケンクロイツ」を例に出したが、やっぱりその数日後、日本の右寄り新聞である日経がハーケンクロイツと旭日旗の相違点を述べて、後者の使用を弁護していたまあ、海を隔てて自論・持論を吐き飛ばすのはもう止めようではないか。対面対峙して口角泡を飛ばして話し合うしか残されていないであろう。最初はお互いの主張を併記するだけでも構わない。10年、いやそれ以上の時間を必要とするかもしれないが、理解への一歩は同じテーブルで口論・抗論することであろう。じっくり読ませてもらおう。8月7日。

5日、甲子園の組合せが決まった。8月8日(木)から22日(木)の15日間開催。雨なく順調に運べば19日(月)が準準決勝の4試合、20日(火)が休養日、21日(水)が準決勝、そして22日(木)に栄えある優勝校が決まる今年は休養日が設けられたこと、19年ぶりに全試合抽選が実施されること(一試合ごと勝つまでは次の対戦相手が分らない)、そして(どうも)入場料金が値上がりするらしい(バックネット裏で1600円が2000円へ)。とまれ、楽しみだ。8月5日。

麻生氏の失言は「国家基本問題研究所」のシンポジウムでのこと。国家基本問題研究所の理事長は日本テレビ『NNNきょうの出来事』でメインキャスターを16年間(1980-1996)務めた櫻井良子(よしこ)氏。67歳になった今、マドンナかどうか疑念のあるところだが、筋金入りの保守派論客である。憲法改正はじめ何でもありで、太平洋戦争もアメリカの罠にはまったと公言して憚らないつわものだ。美形だけに冷淡過ぎる真顔で語られると妙に迫力すら感じる。週刊新潮で連載コラム『日本ルネッサンス』(8月8日号で実に569回を数える)もバリバリの右寄りだ。その会に麻生氏がパネリストとして出席しての失言である。日本のナンバー2がそのような団体のゲストとして出しゃばること自体が軽率無比ということだ。身内の蚊帳の中ほど言動を慎まねば・・・。8月4日。

麻生太郎副総理兼財務相が辞任もしくは解任の危機窮地にある。最近、福岡では麻生グループの看板がやたら目立つ。麻生セメントの他、病院や学校法人など勢力を拡大する一方だ。元は飯塚などを中心とした炭鉱の企業であった。当時は納屋制度といって捕虜や外国人(主に朝鮮人)労働者、場合によっては囚人などに強制労働を強いリ、巨万の富を得た歴史がある。これは麻生炭鉱に限ったことではなく、明治新政府の富国強兵の国策とも関連し、北海道など全国で行われた。麻生太郎氏の祖父の吉田茂はその麻生財閥の恩恵を受け、金に腐心して困ることはなかったと言う。そして「麻生家の財産が半分になった」と太郎氏の母である麻生和子(吉田茂の愛娘)氏が残している。彼の今回の失言の性根はどうもこの生まれ育ちにありそうだ。ポスト安倍を心中密かに熱願していたのも今回の問題で水泡と化した。庶民の苦痛苦悩など理解しない坊ちゃん育ちなのだつづく。8月4日。

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