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今週の親仁ギャグ・2013年9月15日(日)~9月21日(土)

●熊本大学の「検体取り違え」の「誤人手術」。通常、気管支内視鏡で組織採取された検体は、ホルマリン固定されパラフィン包埋され薄切切片が作製されスライドグラスに乗せられて染色され、出来上がった標本を鏡検して病理診断が下される。6月下旬の同じ日に検査を受けた2人の組織は薄切されてスライドに移す際に名前が入れかわったという。手術は8月中旬で片肺の下葉を摘出したという。そこで親仁の疑問。検査から手術まで約2ヶ月もあれば肺野の病変もそれなりに大きくなっていたそうなものを。犬猫の悪性腫瘍(犬猫の肺癌は、原発性は少なく転移性が主)では進行がはやいため、手術まで1週間の待ちがあれば肺野レントゲンの再チェックは必須である。1週間で肺転移が確認されることもあるからだ。一般には、大学病院の手術は同じ部位(疾患)の場合、同じ「科」が担当するので手術前の「カンファレンス」(症例検討)の折に「取り違え」が発覚する可能性も高い筈だが・・・。一人の患者に付く担当が(初診から手術まで)一貫して同一医師なら不自然に気付いたかもしれない。いづれにしても、採取した検体は一度や二度、担当の医師や医局から離れて検査部や病理教室に渡る。「取り違え」がある「かもしれない」というからことを常に肝に銘じておくことが重要だ。今、慶応大医学部の医師である近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」が週刊誌などのマスコミで論議されている。すべて信用しなくとも一読の価値はある。つづく。9月21日。

続「中島記念館」。1階は洋画。ベルナール・ビュッフェ(静物)、モーリス・ユトリロ(風景2点)、キスリング(花)、ルノワール(人物)、モーリス・ド・ブラマンク(風景2点)、梅原龍三郎(バラ)、荻須高徳(パリの風景)、林武(バラ)、中川一政(バラ)、小磯良平(婦人図)、向井潤吉(藁葺きの家)、森本草介(芍薬)、中山忠彦(婦人画)、野田弘志(薔薇)、青木敏郎(風景)、宮本三郎(花)、絹谷幸二(旭日富岳)・・・その他若手の作品が数点(どれも大作で1点は外国人)。2階は日本画(モチーフは省略)と陶器。上村淳之(2点)、中島千波、千住博、下田義寛(2点)、田淵俊夫、松尾敏男、後藤純男、牧進、清水規、大山忠作・・・大山を除いて現存作家。残念ながら展示作品のパンフレットが提供されないので(歳で朝のことも忘れる薄れた)記憶を辿って画面を想い起こして見た。あくまでも記憶を掘り起こしなので間違いがあったら御免すみません。「絵を見ての作者(画家)当てクイズ」には自信満満ありの親仁も「豪華巨匠とその代表的モチーフ」の蒐合体には至極の感服。中島氏の広域な趣味とどれも一級の作品群には敬服の至りです。質量ともに県立美術館をはるかに凌駕する。(以前にも文句を垂れたが、県立美術館は箱物ばかりが立派で、収蔵物は?もの。誰が選定したか、事によっては責任追及の懲罰ものだ)。脱帽でした、本当に感激感動でした。感涙流涙の寸前でした。ワンコインでは安すぎます。森林浴も堪能でき、カフェも雰囲気佳。一見するべし。9月18日。

●それにしても「道の駅つの」の食いものは不味い。「チキン南蛮定食」(時化で「ウニ丼」は早や売切れ)を喰ったが「衣はフンワリ感ゼロ、タルタルは酸味ゼロ、白飯は研ぎ足らずの糠臭」。よって600円も高過ぎ。美味ければ文句もないが、素人(下手)の横好き以下のレベル。宮崎特有の大甘味で、パンチもキレも皆無の「傘張りオバサンの田舎食堂」って感じだ。今のうちは良かろうがそのうち閑散閑古鳥が囀りだしますよ。9月18日。

きょうは急遽、日向市東郷町の「中島記念館」へ。場所はメディキット日向工場に極隣接。日向駅から車で15分。初めての東九州自動車道を都農で降りて、「道の駅つの」で午食。美々津大橋手前を左折して道なりに進み、東郷町の「中の原」交差点を右折して日向市内方面へ方角を変え目的地まで約5分のドライブ。ありましたありました、メディキット創業者、中島弘明氏(昭和10年=1935年生、日向市富高出生で東郷育ち)が昨年開館した「美術館」が。「耳より情報」でも紹介したようにMRTで放送された開館記念番組を見て是非の訪館を切望していた県内第一号の「私設美術館」。1時間半の距離にありながら脚がなかなか向かなかった。というのも「さほどのものではなかろう」と、いわゆる高を括って(侮って)いたのが半分・・・すみません中島さんつづく。9月18日。

●戦争で自分や家族の命を守るにはどうしたらよいか。ここでの「逃げるに如かず」は非国民呼ばわりされるに決まっている。非国民にならない最良の手段は「戦争をしない」こと。戦争をせず、巻き込まれなければ良いのだ。では憲法9条に謳ってあるように「永久にこれを放棄」するに限る。アメリカとの安保条約や集団的自衛権の容認で戦争への距離が縮まるようなら、それらを破棄すればよいことだ。仮に戦争をしないために、その抑止のために核を保持せざるを得ないのなら、苦しいがそれも有りだろう。国連の戦争抑止能力を増強することも必須事項だ。強国の核保有量を制限削減することも必須だ。独裁国家の核保有を認めない事も重要だ。要は戦争を回避する、起こさない方策が最重要ということだ。アメリカを強く意識する(蛇に睨まれた状態の)集団的自衛権の容認は是か非か。例えば20年後には米軍沖縄基地の全面復帰とか、日米安保は発展的解消とか、核兵器を持つか否かとか、さまざまな観点からの長中期的な時限付きの段階的ビジョンを示してもらわないと、場当たり的な法律解釈を捻じ曲げた小手先の策略では納得も合点も何もない。自分の命を守るため真剣に考えようではありませぬか。9月16日。

●兵法に因む故事で「三十六計逃げるに如かず」とある。台風18号の「特別警報」で甚大な被害がでている。地震の津波も「逃げるに如かず」。要は防波堤建設なんぞより、命の欲しい人は「取るものも取らず」迅速早急に「逃げるに如かず」という御上政府の御達しなのだ。最近、巷でにわかに注目危惧されている「秘密保全法制」。「国の存立にとって重要な情報」を行政機関が「特別秘密」に指定する秘密を扱う人、その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する「特別秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する、というのが主旨(3つの柱)である「集団的自衛権」と並んで、憲法改正や憲法96条を無視した首相(官邸)の独断独善独裁で重大な法律が次々に決められていくような気配を感じるつづく。9月16日。

●「集団的自衛権」の論議をどこまで深められるか。そもそも根本の疑念はアメリカは日本の「集団的自衛権」を望んでいるのだろうか。日米安全保障条約でどこまで日本を守らなければならないのか。そのような議論はアメリカ国内にあって然るべしだ。日本はその見返りにどこまでいつまで基地や兵糧を提供しなければならないのだろうか。きのうの辛坊次郎の番組に出演した石波茂幹事長の話を聴いていると、どうもアメリカ限定の「集団自衛権」でなく、フィリピンや韓国などアメリカの同盟国の事変でも適応したいような口ぶり。それに日本の国益が損なわれるような全ての事変を想定しているような雰囲気いずれにしても「集団的自衛権」容認は戦争への距離を格段に縮め、日本人の生命と領土が他国(交戦国)によって著しく脅かされることを覚悟しなければならないということだ。大袈裟ではありませんぞ。尻切れトンボの議論にならぬよう、今度こそ決着をつけるべし。だれのためでもなく、アメリカのためでなく・・・われわれ日本と日本人のためなのだから。褌を締め直して、臍を固うしてだ。日本人として、日本はどの国にも媚びらず諂わず惑わされず、正正堂堂と正義を主張し正道を歩もうではないか。脱平和ボケ・真の独立国家として・・・。9月15日。

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