●4日で1巻を目標にしている「竜馬がゆく」も6巻読破。「竜馬がゆく」は「産経新聞」の夕刊連載で昭和37年6月21日から41年5月19日までの数にして1335回。竜馬は天保6年11月15日(1836年1月3日)に土佐で生まれ、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都の近江屋で暗殺された。司馬遼太郎による「竜馬がゆく」に限らず、歴史小説の年代表記は年号がほとんど。話題沸騰中の某国公共放送でさえ、最近の番組で「本能寺の変」を1582年6月2日と旧暦のみを用いていた。不親切にも天正10年の併記も怠っていた。この本能寺の変を広辞苑で引くと「1582(天正10年)・・・」とあり月日の記載はない。Wikipediaを借りると「本能寺の変(ほんのうじのへん)は、1582年6月21日(天正10年6月2日)・・・・・」と新暦(西暦)と旧暦が併記してある。「竜馬がゆく」は第一巻の「門出の花」から八巻の最終章「近江路」まで何十もの章で構成されているから、当然ながら時代が前後交錯する。これを旧暦年号を連記されたら頭がこんがらがるのは・・・歳の所為か。そこで、寒くて外出の少ない昨今、ネタに乏しい「親仁ギャグ」・・・「年号」とやらで暇を潰しながら愚痴ってみるか。つづく。早や弥生の、3月1日。
●「中華思想」「千年罪人」の国を怒らせた安倍ちゃん。第2次世界大戦の戦前戦中に日本の炭鉱などで強制労働をさせられた中国人の元労働者や遺族らが、三菱マテリアルと日本コークス工業(旧三井鉱山)を相手取り、提訴(従来は中国政府が訴訟を受理しなかったが、今回はどうなるか不明)。中国政府が3月末に予定している習近平国家主席のドイツ訪問で、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)記念施設を視察したいと同国政府に打診していた(ドイツは即、拒否)。どちらも靖国参拝をはじめ安倍ちゃんの歴史認識をめぐる対抗処置であろう。宰相(安倍ちゃん)たるもの、対国の国民気質や民族文化を十分に研究して(心得て)コトに当らねば墓穴を掘る(首相の座を奪う)どころか、日本の命運を左右しかねない事態に発展しかねない。つづく。2月26日。
●凡庸であった某国の某宰相の「あの子、大事なときにすぐ転ぶ」発言。真央から「森さんは少し後悔していると思う」の反撃に、「後悔はしていないが、(浅田ファンの)孫にものすごく怒られている。孫の母親からも怒られている。そんなつもりじゃなかったんだけどな」と幼稚な弁明。世界のトップを目指し自己練磨してきた真央と、ライバルを蹴落とすことばかりに半生を費やした政治屋の弁。真央のほうが大人で重みがある。元総理なんて・・・そんな人間のレベル・・・某国とはその程度の国か。2月26日。
●幕末には九州にも高名な志士思想家がいたというからにわかに心強い。久留米の真木和泉(まきいずみ、1813-1864・蛤御門の変に敗れて天王山で自刃)、彼の吉田松陰(1830-1859)をして師と仰がせた肥後の宮部鼎蔵(みやべていぞう、1820-1864・池田屋事件に闘死)、藩主だが開国論者で実践派の島津斉彬(しまづなりあきら、1809-1858)・・・そして、海舟勝麟太郎(1823-1899)と竜馬(1835-1867)がはじめて長崎へ行った際、ふたりはその帰路、熊本の横井小楠(1809-1869・暗殺)を訪ね、その数年後小楠の熊本を再訪している。「竜馬はこの時期よりも数年あとに、やはり肥後熊本まで行って横井小楠を訪ねている。このとき、竜馬はその生涯での最大の事業のひとつだった『薩長連合』を策しているときで、小楠の意見をききにきたらしい。小楠はつねに酒を置いて竜馬と談じた。たまたま、座に若者がいた。小楠の弟子である。肥後水俣郷の郷士で、徳富といった。名は一敬、のちの号は淇水。この若者はすでに同国益城郡の郷士の娘矢島久子をめとり、一児をあげている。一児の名は猪一郎で、のちの蘇峰となる。あとで次男健次郎がうまれるが、健次郎がのちの蘆花と称する作家になった。要するに、徳富兄弟の父淇水がわかいころ師の小楠の家に遊びに行っていると、坂本竜馬がやってきたというのである。『旅で真黒に陽焼けしたびっくりするほどの大男だった』と、兄弟に語りのこしている。・・・・・」(司馬遼太郎「竜馬がゆく四」pp422-423)。私事だが、親仁が大学生のころ、徳富剛二郎(とくとみ・ごうじろう=宮崎大名誉教授、2006年82歳で死去)先生に獣医公衆衛生学を学んだ。先生はよく「わたしは徳富蘇峰の孫で、蘆花は叔父さんだ。」と話されていた。他の教授にくらべ話口も文学調で武格もあったような・・・・。2コマ約4時間の実習も「キューピー3分クッキング」並の速さで20分ほどで終了・・・なぜはやいかというと、例えば一晩培養したシャーレを見せて・・・という具合でまさに「実演販売」って風であった。われわれ愚生は喜びいさんで遊びに散逸したが・・・先生には歴史の話をしてもらいたかったが・・・後の祭だな。「竜馬がゆく」で30余年前を懐かしんだ。※徳富蘇峰(1863-1957、「国民新聞」発行・日清戦争以降、帝国主義を鼓吹・文化勲章)。※徳富蘆花(1868-1927、小説家)。2月23日。