●そうか、蚊の縄張りは百メートルしかないのか。つきまとわれたら1キロでもへっちゃらでついてきそうのように思うが・・・。どうみても百メートルは嘘っ八だな。いい加減、蚊の話はやめて、災害時の「逃げるに如かず」的には、今回のデング熱では「君子危きに近寄らず」だな。少なくとも家の敷地内には水溜りをつくらないようにして伸びた雑草も刈ることだな。玄関や勝手口には蚊とり線香などを焚くのもよかろう。犬の散歩ではスプレーも重宝しよう。デング熱がエボラだったら・・・ゾッとするが非現実で捉えない方がよさそう。そう言えば、平清盛(1118~1181)だってマラリアで死んだというし、西郷(1827~1877)さんだって(流刑地の奄美での感染だが)バンクロフト糸状虫に罹っていたのだ。平安の頃の日本は随分温暖だったというが「歴史は繰り返す」の証拠。「論より証拠」というではないか、三陸沖地震然り、学者の理屈はどうでもいいが、歴史(事実)を勉強して歴史から学びなさい。(どなたかは忘れたが、最近、大企業の社長さんが「若者は語学も大事だがもっと歴史を勉強しなさい」と語っていた。同感だ。)。デング熱もマラリアもバンクロフト糸条虫も媒介者(中間宿主)は「蚊」ですぞ。9月6日。
●鄙のなかの鄙処の我が拙庭。鉢ものに水をやろうものなら(実際は雑草に水やりしているようなもんだが)数秒で蚊が出現。それも一匹や二匹ではありません。何処にどう潜伏しているのやらの感。ボウフラ防除の術も検討がつきません。子規が書いているように漱石ほど(現代小説文章の祖)の人間が米が稲に実るのを知らなかったのもびっくり仰天驚愕な譚だが、(三島由紀夫は松の葉を実際に見たことがなかったのに小説では見事な描写をしたという)、問題はデング熱も然りだが、政治家(特に世襲政治家)がどれほどに田舎を理解しているかだな。「デング公園」も終にはお手上げの「閉鎖」か。情けなや。9月5日。
●おいおい、東京人の想像力は陳腐で貧弱じゃのお。厚労相経験の舛添知事の智恵才覚もしれたもんだ。いまや「デング公園」と改称したほうが周知度が高い代々木公園だが、「蜻蛉とり」風な都職員(委託員か、もしかしたらバイトかも)や蚊採集の最新兵器を駆使しての所謂「デング熱撲滅作戦」(ウイルス保有蚊の調査のため)。池の水を抜き取るなどの大規模作戦。そんなに簡単容易に蚊の全滅が可能なら「犬のフィラリア予防」には手を焼きません。そんなに金を無駄遣いせんどいてくれ。西洋人が見たら、滑稽で腹を抱えて冷笑するでしょう。ここで都会人について彼の明治の偉人、正岡子規の随筆があるので紹介しよう。眼を見開いて拝見あれ。「・・・・・・これも四十位になる東京の女に余が筍の話をしたら其の女は驚いて、筍が竹になるのですかと不思議そうに云うて居た。(中略)余が漱石と共に高等中学に居た頃漱石の内をおとづれた。漱石の内は牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しかへだたつてゐない処である。漱石は子供の時からそこに成長したのだ。余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃の事であつたらう、そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠に善い心持であつた。此時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米は此苗の実である事を知らなかつたといふ事である。都人士の菽麦を弁ぜざる事は往々此の類である。若し都の人が一匹の人間にならうと云ふのはどうしても一度は鄙住居をせねばならぬ。」(墨汁一滴)。(司馬遼太郎「この国のちから(六)」pp151~152)。あのいい大人の「蚊とり」の風情恰好を連日何度も見せられては都人士の「おつむ」の中の質量を軽侮したくなるような・・・日本の首都人がそういう貧相な想像力で外国士から笑われないやとしょげて沈鬱になりそうな。つづく。9月5日。
●売国奴新聞が必然ながら槍玉に挙がっている、いや挙げなくちゃならん。朝日新聞の「週刊新潮広告一部黒塗り」問題、池上彰氏(64)朝日新聞の慰安婦報道検証記事を批判したコラムの掲載拒否された問題。朝日の社長はどんな国賊ぞ。国営放送のNHK会長問題(右寄り過ぎ思想の資質不足)に匹敵するマスコミ醜聞。従軍慰安婦問題は日韓こじれの根源。そのネタ元は当時朝日新聞記韓国特派員の「植村隆」。朝日新聞に慰安婦問題が最初に掲載されたのが1991年8月11日。丸23年の歳月が経過し、今の日韓最悪関係が存在する。それを誤った記事であったと紙面2ページ程度で釈明されても、ことの重大性からして到底許されるべきものではなかろう。本人はじめ当時の上司、もちろん当時の社長(中江利忠氏)、それに現社長(木村伊量氏)は土下座して国民に謝罪し、韓国にも渡って同じように土下座謝罪すべきである。今年の10大ニュースですぞ。朝日新聞購読の解約が急増しているいう。親仁もファンだった古舘の「報道ステーション」も松尾の「グッドモーニング!」も珠緒の「モーニングバード!」も視るのをやめました。●従軍慰安婦問題がにわかに風雲の気運。朝日新聞が従軍慰安婦証言が虚偽捏造であったことを認めた。記事を書いた所属記者、植村隆氏は今年の3月に早期退職し、現在は北海道の私大で非常勤講師という。もうひとりの売国奴は吉田清治氏(故人)。彼は『私の戦争犯罪』(1983年)などの著書の中で、済州島などで戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にするために軍令で強制連行(「慰安婦狩り」)をしたと証言した人物。結局、後の日本と韓国の追跡調査から創作であることが判明している。ふたりの売国奴の虚言創作シナリオで今の窮状があるといっても過言ではないのだ。8月9日の「親仁ギャグ」。9月5日。
●「30年に一度の異常気象」と気象庁。親仁には毎年が異常で「異常が正常化」していると思うが・・・。「雨と冷夏で消費税増税の反動減の回復が遅れている」とは黒田日銀総裁の弁。ああ言えばこう言う論法。もう聴き飽きたな。地方では給料が上がってない家庭も多い。消費税増税(+3%)に加えて、否それ以上に物価上昇中なのは確実。安倍二次改造内閣の支持率は10%超あがって60%。「実行実現内閣」とやたら高尚な銘を打っているそうだが、何をやるにしても説得力のある納得のいく説明をして下しゃれ。それにしても大臣退任にあたっての流涙。何に感極まったのか・・・冷静冷淡に見るに「留任」されなかったことへの悔恨の念か。笑止千万・・・片腹痛し・・・ちゃんちゃらウフフ・・・。それにしても本県選出議員の輩は候補にも名前が挙がらない。副大臣も解任か(某議員の横柄極まる国民蔑視の国会答弁じゃ留任は無理だろうが)。困ったもんじゃ。※永田町では副大臣も持ち回り制なのか、解任では無く「離任」というらしい。9月4日。
●今読んでいる文庫本は「花神」(司馬遼太郎・新潮文庫)、「絢爛たる醜聞 岸信介伝」(工藤美代子・幻冬舎文庫)、「故郷忘じがたく候」(司馬遼太郎・文春文庫)、それにきょう読破した「この国のかたち」(司馬遼太郎・文春文庫)。随分時間をくってしまったが、「この国のかたち」全6巻からは多くのことを教わった。内容はおもに文芸春秋の巻頭言のエッセイ調であるから、あっち読みこっち読みで、最後は6巻の「旅の効用」(pp57~64)。その一部を紹介しよう。「『古事記』『日本書紀』の時代でも、本当の名は生前には秘し、通称がつかわれた。死後ようやく本名でよばれた。諱(いみな)というのは、忌名のことである。西郷隆盛の場合、吉之助が通称で、本名(諱)は友人にも知られていなかった。明治後、西洋にならって本名が戸籍名にされるようになったとき、西郷の幼少のころからの友人が代って届け出た「隆盛」とはじつはかれの親父の忌名だった。」。親仁の父方の祖母は明治43年生まれで、七十過ぎて昇天したが、戒名をみてはじめて戸籍上の名前が「美和」であったことを知った・・・・・・のを思い出した。いつも「オリエ」と呼ばれていたから、当時は「リエ」が戸籍上の本名と思っていた。曹祖母も同じことだった。どうでもいいかもしれないが、先祖を懐かしんでもうちょっと。曹祖母は「おぶん」と呼ばれていた。黒田官兵衛あとの大河ドラマの主人公は「杉文(すぎ ふみ)」。杉寅次郎(吉田松陰)の妹で、久坂玄瑞の嫁さんだ。禁門ノ変(蛤御門ノ変・1864年8月20日)で久坂が自害した後は、実姉「寿」(43歳で死去)の夫・楫取素彦(小田村伊之助)と再婚し「楫取美和子」と名乗る。もちろん全く関係ないが「文」と「美和」、なんとなく郷愁の湧く響きだ。それにしても吉田松陰(「松陰」は号で諱は「矩方」=のりかた)が「柴又のフ―テンの寅こと車○○○」と同じ名前(通称)で呼ばれていたなんて、大笑(おおわら)だ。そうそう、西郷隆盛(号は「南州」)の本当の諱を調べなくちゃ。※西郷隆盛:「薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。名(諱)は元服時には隆永(たかなが)、のちに武雄、隆盛(たかもり)と改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名を届けたため、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。」(Wikipediaより抜粋)。9月3日。
●(国家試験の勉強じゃないが)フラビウイルスの関係する病気には一体どんなものがあるのやら。①ダニ媒介性脳炎ウイルス(フラビウイルス科フラビウイルス属ダニ媒介性ウイルス群)②デングウイルス(フラビウイルス科フラビウイルス属蚊媒介性ウイルス群)③日本脳炎ウイルス(フラビウイルス科フラビウイルス属蚊媒介性ウイルス群)④ウエストナイルウイルス(フラビウイルス科フラビウイルス属蚊媒介性ウイルス群)⑤黄熱ウイルス(フラビウイルス科フラビウイルス属蚊媒介性ウイルス群 )⑥豚コレラウイルス(フラビウイルス科ペスチウイルス属)⑦ウシウイルス性下痢ウイルス1,2(フラビウイルス科ペスチウイルス属)⑧ C型肝炎ウイルス(フラビウイルス科へパシウイルス属)。日本脳炎やC型肝炎もこのフラビウイルスに属する。豚コレラも有名だ。厚生省によれば、日本での発生は今年にはじまったことじゃなさそうな言い方。では今まで、お医者は何と診断していたのだろうか。「よう分らんが風邪じゃないの??? 念のため抗生剤と解熱剤を出しとくから飲んどいて・・・・・・」・・・なんてことだったのか。保存血清の抗体価で感染状況をレトロスペククティブに疫学調査してもらわないと・・・ってとこか。今後、海外で流行し国内で発生のない疾病に関して、渡航歴のある邦人を中心に抗体価などの追跡チェックするシステムが必要だ。今回のように感染拡大してからでは金のかかり過ぎ。。9月2日。
●人間同士の好き嫌いは、感情の世界であって論理では説明しづらい。政治の世界では火花を散らすからなのか、嫌いなことを「反りが合わない」という??? そう、話は石破氏の焦り。幹事長を解かれ、安保相で持論の「多国籍軍参加」などをぶちまければ安倍ちゃん以上に「戦争大好き」のレッテルを貼られる羽目になる・・・・・・かつ、幹事長交代で地方選が勝利好転すれば、石破氏は面目丸つぶれで・・・来年の永田町では「過去の人」になるやも。つづく。9月1日。
●軍事と鉄道オタクという石破氏。焦りの原因を親仁が穿ってみるか。キーマンは麻生太郎副総理兼財務相。安倍ちゃんと太郎氏は親戚関係だ。ポスト安倍を虎視眈々と狙っている。御両人の祖父はどちらも歴史に名を残した総理大臣だ。リバイバルを果たした安倍ちゃん同様、太郎氏もリベンジの色気ムンムンだ。どういう関係の血筋かというと、岸家の岸要蔵の息子・秀助が佐藤家の佐藤信彦の娘・茂世(もよ)と養子縁組し、その子供が佐藤(のち岸家の養子)信介と佐藤栄作。国際連盟脱退時の名(迷)演説で今にも名を馳せている松岡洋右の姉・藤枝が佐藤秀助の弟・松介と結婚。秀助、松介の妹・さわと(戸籍上か養子か)の弟・吉田祥朔の息子・吉田寛と吉田茂の娘・桜子が結婚して(戸籍上の)岸家・佐藤家・吉田家のサラブレッド系譜がこの世に登場したのである。太郎氏は桜子の妹・和子の長男である。詳しくは工藤美代子著「絢爛たる醜聞 岸信介伝」(幻冬舎文庫)を参照。今日は防災の日。1923年(大正12年)9月1日は関東大震災発生。つづく。9月1日。
●「阿呆は寝て待てん」、否、「果報は寝て待て」だった。阿保な幹事長がフライングを犯した。冷静沈着で梃子でも動かぬ人が総理大臣という日本の最高御座位に目が眩んだか、猛暑でちと脳の微小血管に閉塞をきたしたのか。政治家で最も優先される先見性がひとり相撲でにわかに狂った。真相はどうもこのようだ。集団的自衛権を巡る公明党との調整役の中心は、本来幹事長がやるべきところだが、高村正彦副総理が完遂。滋賀県知事選など地方選での自民党の敗北。党のナンバー2としては如何せん根暗過ぎる。今後の国会審議では安保相は野党の矢槍の的で総攻撃を受ける。答弁で槍玉に挙げられシドロモドロなれば・・・次期総裁選の対抗相手馬から蹴落とされる・・・そうなれば安倍ちゃんの思うが壷である。今回の人事で留任が危いのは林芳正農相や石原伸晃復興相。前回総裁選を戦った5人(プラス町村信孝氏)で残るは最強政敵の石破茂氏。政治は一寸先は闇。野党の不甲斐無き無力で、国民の外野人もどうも白けムード。少しは個人や派閥での小競り合いがないと政治らしくない。人事は総理の専権事項。焦っては政治生命すら危うい。「加藤の乱」然り。その参謀役だった谷垣禎一氏も総理レースから遠の昔に脱落馬。加藤紘一氏だって石破氏だって下手をすれば次世代への世襲さえ継げないかもしれない世情である。当の本人にもまして取巻(側近・派閥人)にとっては「末は大臣か」が唯一の生きる糧。少なくとも謀叛を起こす時期ではない。アベノミクスも危いし、沖縄と福島の知事選も不透明。「棚から牡丹餅」的というか回転寿司のように総理の椅子がまわってきた幸福者も少なくない。「勝負は時の運」・「果報は寝て待て」というじゃありませんか。「飛車に桂馬を乗せた」ような男儀なら兎も角、石破さん、あなたはまだまだ「飛車角落ち」でも安倍ちゃん有利の状況ですぞ・・・男なら少なくとも「王手飛車(取り)」の場面まで待つべきでしょう。相手は何と言っても百戦錬磨の機略家の子孫・・・長州の益荒男ですぞ。「虎の尾を踏」んだとはいえ、「一寸先は闇」の政界・・・絶対絶命ではありません。つづく。8月31日。
- ちゃんも、「あんぽー反対!」なんて岸邸周囲で騒いでいたデモ隊の真似を、邸内部屋でシュプレヒコ―ルしていたそうな・・・。只今、読中・・・。
- なのには驚きました。具体例では、モネの「ジヴェルニ―の積みわら」は和田英作、シニャックは岡鹿之助、マティスは安井曾太郎、デュフィは長谷川利行、ルドンは福沢一郎・・・・・な
- 外れにちかい印象・・・。どの美術館も夏休みは「書入れ時」だろうから、箱根からピン・ピカ一級を鄙まで持ってこよう筈もなかろうが・・・。それでも「睡蓮」など数点には感動したし
- 最終の31日、「ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで」を鑑賞に県立美術館へ行ってまいりました。私設美術館ではブリジヂストン、大原、足立、日動画廊・・・の中