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今週の親仁ギャグ・2015年2月1(日)~2月7日(土)

先のふたつの大戦が侵略・植民地・資源獲得戦争なら、今回のテロ戦争は宗教戦争の気配だ。仏教の祖であるインドの釈迦牟尼はBC556~486年(BC463~383など諸説あり)に生き、35歳で悟りを開いたとされる。イエス・キリストが生きたのがBC4年頃~AC28年頃。これに対してイスラム教の開祖であるムハマンドはAC571頃~632年に生存し、40歳のころアッラーの啓示を受けたとされる。イスラム教は比較的新しく、日本では飛鳥時代(592~710)。日本への仏教伝来は諸説あるが538年が有力。ところで問題は英仏による中東の分割であり、これは第一次世界大戦後のこと。第一次世界大戦(1914~1918)の中東戦域はイギリス・ロシア帝国・フランスvsオスマン帝国・ドイツという構図である。実は「マッサン」のリタ(本名:ジェシー・ロベールタ・カウン)のフィアンセもこの大戦で戦死している。「わたしは婚約者がおりました。その人は大戦が始まるとまもなく出征し、中東戦線に出て、ダマスカスで戦死しました。だいぶ前のことですが」・・・(川又一英著「ヒゲのウヰスキー誕生す」・新潮文庫・p123)。つづく。2月5日。

最高裁での「裁判員裁判の死刑判決破棄」確定。如何に卑劣残虐でも「一人の殺人では死刑なし」の原則を守った形か。それじゃ、「多人数の場合は死刑」で「ひとりでは死刑無し」となれば、裁判員裁判は被害者が2~3人の場合に限ればいいんじゃないの、呵呵!!! 死刑制度の是非は国により宗教により個人によりさまざまだが、死刑が凶悪犯罪の重石(抑制効果)となっているのも、ある面事実。しかしだな、判例をもちだして裁判員が決めた死刑を覆すのは如何なものか・・・そもそも「裁判員裁判」は日本に向いているのか・・・再考すべし。2月5日。

●「I am KENJI」。今となってはオレンジ服を被わされた彼の写真を映すテレビ画面を凝視できないばかりか・・・彼の心境を察するに忍びなくチャンネルをかえる。彼の行動の経緯をまとめると、①2014年8月に「イスラーム国に拘束された知人(A)を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した。②10月24日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された。③10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った。④帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった。⑤2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡が入った。⑥この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた。⑦2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにAと共に人質として登場し、ジハードのジョンとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた。 ⑧1月23日、母親が記者会見を行ったが、夫曰く精神的に混乱状態だったため、原子力エネルギーに関する意見など、配布された声明文とは直接関係のない発言をする面も見られた。⑨1月24日午後11時に殺害されたAの写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)でAを殺害したという声明が出された。⑩また、同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた。⑪2月1日午前5時03分(日本時間)にイスラーム国によって後藤が殺害されたとみられる動画がインターネット上に公開された。(Wikipediaより)。Aは湯川遥菜氏。彼の志と生命をもって現在開催中の国会審議がより深まっている・・・いくのは疑いようがない。2月2日。

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