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今週の親仁ギャグ・2015年3月29日(日)~4月4日(土)

永田町1丁目1番地はもはや恋愛の宮城か、税金でネオン街を河豚を喰っては呑み歩き、二日酔をウイルス性腸炎と偽って国会を欠席しての温泉旅行。ネオン街のはしごはなんとニューハーフバーという。産婦人科で自民党代議士に婦人科のことで相談にのってもらいながらのオカマバー??? 仮にこれらの飲食・旅行代金が交際費などで落とされていたら・・・多分、そうであろうが・・・まあ、あくまでも下種の勘繰りだが・・・呵呵! これらが真実なら議員辞職だが、自民党の雪崩的不祥事でもそうはなっていないから・・・議員は税金で飯を喰わせてもらっているという自覚がはなはだ欠損しているな。この状況が今後も許されるなら・・・この国の代表は恥も外聞も羞恥心皆無の・・・ただ税金喰虫だな・・・彼らがこうして国を侵食して終いには滅ぼしてしまうのだろうな。いったいどのくらい面の皮が厚いのじゃ。4月3日。

●3月20日の参院予算委員会での安倍ちゃんの「わが軍」発言。どこやらの国家主席の戯言かと勘違いするところだ。大元帥は天皇陛下のことで、元帥は陸海軍の大将の中でも特に功績のあった人物への称号である。よく聞く閣下とは将官、すなわち大将・中将・少将(今の自衛隊の階級での将官は「将」と「将補」)に対する敬称。自衛隊では閣下は今も使われていると聞くが・・・どうでしょうか。安倍ちゃんも子供のころの戦争ごっこを思い起こしたのでしょうか・・・大好きな信介爺さまと一緒に遊んだころのですね。昭和28年の坂口安吾と半藤一利との会話・・・「・・・さて、これからこの国はどうなると思う?」「そりゃ、もうぐんぐん発展するでしょう」「バッカダネー」「この『バッカダネ―』が安吾さんの口癖で、何度、頓珍漢な受け答えをして、この言葉を浴びせられたことか。「そうはうまく問屋が卸さんと思うよ。戦争に負けてさんざんな目にあったからって、人間はそう簡単に変わるもんじゃない。人間は元来そういうものなんだ。悲惨も残酷も非情もすぐに忘れて、元の木阿弥。またぞろわれら日本人は世界に冠たる優秀民族だなんて、獅子吼する人間がいっぱいでてくるにきまっている。そしてまた亡びるなんてことになる、そう俺は予言してもいいね」(『昭和史』を歩きながら考える・半藤一利著・PHP文庫・2015年3月・pp12~13)。あたなはどう考えます? つづく。4月2日。

●「昭和二十年三月二十六日、アメリカ軍は慶良間列島を攻略し、四月一日、多数の上陸用舟艇を放って沖縄中央部の嘉手納海岸に上陸作戦をおこなった。海上には、おびただしいアメリカ艦船が充満し、それは海に艦船が浮んでいるのではなく、艦船の間に海水の輝きがあるように見えたという。戦後のアメリカ側資料によると、沖縄作戦に参加した艦船は一四五七隻(内輸送船四三〇隻)という厖大な数にのぼっている。また上陸したアメリカ陸海軍部隊の総兵力は一八万三千名で、日本守備隊の二倍以上に達し、しかも艦砲射撃と航空機による銃爆撃の強力な支援をうけていた。」(吉村昭「剃刀」より)。「1945年4月1日午前5時半。夜明け前の沖縄本島中部西海岸に押し寄せた米軍の艦船から猛烈な艦砲射撃が始まった。米軍上陸地の読谷村(よみたんそん)は村史に、20分ほどの間に撃ち込まれた砲弾数を約11万発と記す」(4月1日・毎日新聞)。世界一危険な基地「普天間」から「辺野古」への基地移転問題で国と沖縄県の対立。沖縄県は県外移設での負担軽減を主張する。われわれ本土の者は、基地負担への補助金なしには沖縄の財政がかなり困窮するのではないかと考えがちだが、今やそうではない。米軍から返還された以前の基地は今やUSJやヒルトンホテルなどの外資系がリゾート開発に乗りだし、巨大イオンモールも完成間近である。観光客は本土に限らず、台湾や東南アジアからも殺到しているという。基地がある故の歳入よりもリゾート地としての稼ぎの方が格段に大きいのだ。そもそも国からの補助交付金は全国で6番目に過ぎない。われわれの沖縄への思いすごしを改めるべきだ。今日は沖縄戦開戦の日ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪市)を運営するユー・エス・ジェイのグレン・ガンペル社長は18日、沖縄県に新たなテーマパークをつくる方針を表明した。これに先立ちUSJでは約100億円を投じ、恐竜を題材にしたジェットコースターを2016年春に新設する。積極投資を推し進め、さらなる客数拡大を目指す(3月18日付日本経済新聞)。4月1日。

戦前までの日本人の寿命は「人生2万日」・・・55歳弱が寿命であったが、今や80歳を超えた。それには食糧事情や医療の進歩の要因が大きいと考えられる。桜も土質の改善や樹医療の発展が寄与しているのであろうか。われわれが対象の犬猫もこのわずか30年でその寿命も楽に2倍は延びた。桜の寿命だって60年どころか、その倍の120年も夢ではないということだろう。そのための管理や植替えには当然ながら金がかかる。その経費を(たとえ10円であっても数十万人の客で数百万円の収入)観覧料としてもらおうではないかというのが小林秀雄の発想だ。古今東西、娯楽には金が必要だ。往往にしてこういう類のものには補助金と称して税金が使われていがちだが・・・とまれ「受益者負担」の範疇として花見客から「少しく広く」負担を頂くのが筋ではなかろうか弘前公園(弘前城)ではりんごの剪定技術を取り入れて桜を剪定しているため、一般のソメイヨシノが、ひとつの房に4~5輪の花をつけるのに比べ、5~6個、多いものは7個と花の多さが特徴・・・だそうだ一見は百聞に如かず・・・黄泉(こうせん・冥土)の土産に「行くべし処百選」ってとこか。3月30日。

花見をするのに金(観覧料)が必要だという話を聞いた例(ためし)がないから殆どの花見場所は無料だ。上野や弘前公園に限らず桜の名所で年年老木が朽ちてゆくなかで、禿と満開の桜とが並列しているのは想像しただけで忍びない光景だ。寿命を迎えつつある桜の老木をどう守り、また植替えを遂行するかだ。植替えには10年物か20年物のある程度の樹齢のものでなくては花見の名所も面目ない。「小林秀雄さんともその講演旅行で二三度御一緒したことがあった。・・・忘れられないと言えば、あの時、弘前の津軽城の公園で観た桜の見事だったことも、今だに忘れられない。・・・この桜は明治のはじめに植えたものだというが、土質によく合って豊かに生立ったものであろう。・・・小林さんが、この桜のことで、市の誰かに、『お花見に入園料を例え十円でも取るようにしたらどうか。桜は弱い樹で大切にしてやらないと寿命が保てない』と注意していられたことを今も思出すのだけれども、あれから五年ぐらい経っているが、弘前の桜はその後どんな風になっているか。・・・・・・」(「津軽のお花見」・円地文子・新潮文庫の「この人を見よ 小林秀雄全集月報集成」のpp388~389)(初出は「第三次」昭和四十三年四月、第十一回配本第七巻月報)。これは昭和38年頃の話というから、1963年で今から52年前のことだ。この時すでに60年という樹齢は越していた可能性が高い。とまれ、小林秀雄の心遣いが嬉しいではないかつづく。3月30日。

心配事のひとつ。それはソメイヨシノ(染井吉野)の寿命。一般には60年説だが、実際には「東京都内の砧公園のソメイヨシノは1935年に植えられすでに70年以上が経過しており、神奈川県秦野市の小学校には1892年に植樹された樹齢110年を超える2本の老木が存在する。弘前城(弘前公園)には樹齢120年を超えるソメイヨシノがあり、これは本種の現存する最も古い株であろうといわれている。」(Wikipedia抜粋)。そう、日本全国の花見名所の桜の寿命がもうそろそろではないかということだ。上野公園の桜並木は推定樹齢60年という。もうそろそろなのだ。「桜守の会」があって、100年まではとは老樹管理に余念がないとのこと。今の時分、約30年前に上野の丘で場所取りをしたことを懐かしんでいるが・・・来年は行ってみるかつづく。3月30日。

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