コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2015年6月28日(日)~7月4日(土)

●ペリー(米の海軍軍人・1794~1858)の浦賀来航の1853年(嘉永6)以降の尊王攘夷派運動を大老、井伊直弼(1815~1860)が安政の大獄1858~1859年(安政5~6年)で弾圧。吉田松陰・梅田雲浜・橋本佐内らの志士が処刑される。その後の戦中までの当時の政府による主な言論行動の弾圧策はいかなるものぞ。①新聞紙発行条令:1873年(明治6)に発布された新聞の反政府言論の抑圧令。②讒謗律(ざんぼうりつ):1875年(明治8)に公布された言論規制法令。讒謗とは誹謗。③憲兵:1881年(明治14)設置された思想弾圧を目的。国民生活全体をも監視。④治安警察法:1900年に公布された集会・結社・大衆運動の取り締まりを目的。⑤特高(特別高等警察):1911年(明治44年)、それまで高等警察事務の一部であった危険思想取締りのため、内務省が枢要地に特に専任警部を配置することを勅令で決定。⑥治安維持法:1925年(大正14)に公布された、主として共産主義運動の抑圧策。どれも封建制度や大久保利通による独裁、軍国(国家国粋)主義の統治下に拠る法令である。さて安倍首相やその親衛隊の真髄の思想はなんぞや、反政府的言論弾圧の手法はなんぞや。7月4日。

文藝春秋7月号立花隆が「安吾の戦争観」と題して、今の安保法制に臨む首相に苦言を呈している。最近、俄かに坂口安吾の文章が若者に読まれ始めたという。立花隆が引用した件(くだり)を紹介しよう。人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。四等国が超Aクラスの軍備をととのえて目の玉だけギョロつかせて威張り返って睨めまわしているのも滑稽だが、四等国が四等国なみの軍備をととのえそれで一人前の体裁がととのったつもりでいるのも同じように滑稽である」(『もう軍備はいらない』1952年十月号文学界)・自分が国防のない国へ攻めこんだあげくに負けて無腰にされながら、今や国防と軍隊の必要を説き、どこかに攻めこんでくる兇悪犯人が居るような云い方はヨタモンのチンピラどもの言いぐさに似てるな。ブタ箱から出てきた足でさッそくドスをのむ奴の云いぐさだ」・戦争にも正義があるし、大義名分があるというようなことは大ウソである。戦争とは人を殺すだけのことでしかないのである」・原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。私も買った。ひどいと思った/しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマやナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。/東京だってヒドかったね。ショーバイ柄もあったが、空襲のたび、まだ燃えている焼跡を歩きまわるのがあのころの私の日課のようなものであった。公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なった私宇の目の前でまだいぶっ(燻)ていたね」・オレの手に原子バクダンがあれば、むろん敵の頭の上でそれをいきなりバクハツさせてやったろう。何千という一かたまりの焼死体や、コンクリのカケラと一しょにねじきれた血まみれのクビが路にころがっているのを見ても、あのころは全然不感症だった。美も醜もない。死臭すら存在しない。屍体のかたわらで平然とベントーも食えたであろう」。親仁も一度か二度、坂口安吾を「親仁ギャグ」に載せた。早速、ネットでは右の人が立花氏や文藝春秋を批難しているが・・・。この論評で立花氏は安倍首相の祖父である岸信介元総理のヒストリアについても言及している。この安保法案で一部の学生がデモ行進をはじめた・・・この法案が成立するようでは日本ははてしなく戦争へ突き進む・・・それも戦争未体験の軽薄政治屋によったてだ。つづく。6月28日。

首相親衛隊」の勉強会メンバーの言論弾圧発言。相当な右寄りタカ派だ。首相の息をそのまま反映しているとしたら眉を顰めたくなる恐ろしき集団だ。「杞憂」とはこのこと哉。彼らの主義主張を徹底して白日の下に晒さないといよいよ好戦の輩を蔓延らせる。彼らこそ密室でひそひそと密議をこらすのではなく、自らの主張を堂堂とマスコミに訴えて国民を説得すべきであろう。そうでなかぎり、国民の代表である責務を軽侮した国運を危くする「秘密結社」と謗られても抗弁できないであろう。卑怯者だ。6月28日。

先頭へ