コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2015年10月11日(日)~10月17日(土)

大虐殺の筆頭はアウシュビッツ(ポーランド南部の都市オシフィエンチムのドイツ名)だ。ナチス-ドイツにより強制収容所がつくられ、多数のユダヤ人や捕虜が(毒ガス)で虐殺された。一説にはその数200万人とも(戦直後のソ連は400万人とも。イスラム教の反ユダヤ組織は15万人とも)。今回の「旧日本軍による南京大虐殺に関する資料」登録でユネスコへの拠出見直しまで宣言した日本政府。アウシュビッツ収容所は「二度とこのような人種差別と虐殺が起こらない、起さないとの理由」で1979年に世界遺産リストに登録されている。36年前のことだ。日中戦争の南京陥落に従軍した祖父は、われわれ孫が小さかった小中学生のとき、どのような事をしたかを年に2、3回だが語ってくれた。残虐極まるこれこそ虐殺であると思い、こどもながら反戦を強く意識したし、長い間祖父を侮蔑した。北郷村の元23連隊兵士が残した日記の真贋を再検証し、あるいは従軍した兵士が存命であれば、苦痛であろうが口を開いて真実を語ってもらいたいものだ。後世の日本人の為に生き証人として勇気を出して語ってもらいたい。墓場までもって逝った多くの同志も悪くは思わないだろう。南京で虐殺をしたのは真実。お互いの言い分を批判しあっても新たな信頼関係は生まれない。シベリアも沖縄も東京大空襲も・・・南京事件と真正面から向かい合わなければ、それらで我が国が被った惨禍を世界に向け発信し、アメリカやロシアに対して抗議できまい。10月17日。

●朝日新聞の韓国における日本軍従軍慰安婦捏造報道は記憶に新しい筈だ。この大論争の騒動を巻き起こし元朝日新聞捏造記者の責任はまだ決していない。これに関連して同様な問題が30年以上も前にこの宮崎の地で起こっていたのを御存知ですか。当時の文藝春秋は「朝日新聞との闘い・われらの場合 都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ」と題してのその冒頭は、「昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊に5段抜きの大見出しが躍った。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題されたこの記事は、翌5日朝刊の全国版にも掲載され、一大センセーションを巻き起こす。思えばこれが、朝日新聞との2年5ヶ月におよぶ闘いの幕開けだった。 その記事によれば、宮崎県東臼杵郡北郷村の農家から、南京に入城した都城23連隊の元上等兵が所持していた、「虐殺に直接携わり、苦しむ真情をつづった日記と、惨殺された中国人と見られる男性や女性の生首が転がっているなどの写真3枚が見つかった」というのである。惨殺写真もさることながら、日記の内容は衝撃的だった。」「吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)『文藝春秋』昭和62(1987)年5月号より転載」・・・とある。朝日が新聞に掲載した写真3葉は贋物であることが証明されたが、日記内容の信憑性は裁判をしたにもかかわらず白黒つけがたいものであった。親仁の父方の祖父も都城23連隊に属し、南京陥落時に従軍していた。明治45年生まれだから存命なら104歳だな。その祖父は昭和8年1月20日都城歩兵23連隊第9中隊に現役兵として入営。昭和9年11月30日満期除隊、帰郷。昭和12年7月7日勃発の盧溝橋事件に始った日中戦争に、同年同月27日召集され、都城歩兵23連隊第6中隊軽機関銃隊に入隊、直ちに中支に派遣された。保定、正定、石家荘の作戦参加し、同年11月塘沽に集結、杭州湾敵前上陸を敢行、同年12月13日南京を占領した後、当地の警備任務に従事、武漢三鎮、南昌、第一次、第二次通城、岳作戦に参加の最中、頭部穿透部貫通銃創を負って、第三陸軍野戦病院に入院、武昌、南京、小倉を経て、熊本健軍病院、東京第一病院にて治療加療し、昭和15年2月治癒退院した経緯がある。つづく。10月13日。

この2、3日の今更のテレビ番組・・・なんだが、気にかかる。それは「NNNドキュメント2015・南京事件/兵士たちの遺言」と「NHKBS1スペシャル『私は何を運んだのか~元LST乗組員が見つめるベトナム戦争~』」。前者は、「支那事変日記帳」を残した陸軍歩兵第65連隊と行動を共にした山砲兵代19連隊所属のある上等兵。1937年9月から南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれている日記である。後者はベトナム戦争で日本人が米海軍揚陸輸送船LSTに乗りこみ米軍に協力したというストリー。あれほどの国民的騒動を起しながら安保改正法案が国会を通過した後での報道かよ・・・と思いませんか。この手の話は昔から事欠きませぬが・・・有名なのが朝鮮戦争での太平洋戦争生還日本人パイロットの米軍への協力・・・「七三一・細菌兵器部隊」のボスであった石井四郎陸軍中将のGHQ協力による戦犯不問・・・などなど。10日の国連教育科学文化機関(ユネスコ)が発表した中国申請の「旧日本軍による南京大虐殺に関する資料」と日本申請の「第2次大戦後のシベリア抑留資料」の世界記憶遺産登録。自分の国の登録には「万歳」の喜びようで「南京大虐殺」には遺憾を表明した日本政府。蒋介石率いる中国党軍が民間人に化けたとの説も有力だが、日本軍が少なくとも不法に残虐をもって民間人を殺戮したのは間違いない。問題はその人数・・・3万人なのか5万人なのか10万人なのか20万人なのか、中国政府が主張する30万人なのか。シベリア抑留についてロシア政府は日本にどのような謝罪をしたのか。東京大空襲や沖縄の民間人殺戮に対してアメリカ政府は日本にどのような説明と謝罪をしたのか・・・不明も甚だしい。どの国も自分に都合の悪いことは言葉を濁して避け、受けた惨禍に対しては相手の反論を聞く耳を持たないつづく。10月12日。

先頭へ