●イスタンブール滞在の安倍首相談話は「強い衝撃と怒りを覚える。いかなる理由があろうともテロは許されない。断固非難する」「私たちと価値を共有するフランスが困難に直面している。日本人はフランスの人々と常にともにある。強い連帯を表明する」「より一層緊張感を持って、海外邦人の安全確保に万全を期していく」。ロシア民間旅客機の爆破テロ(疑い)に今回のパリテロ。第三次世界大戦に発展しないとも断言できない危うさがある。「目には目を歯には歯を」の悪循環ではどちらも奈落へ底へ沈んでしまいます。イスラム教はそもそも敵愾心や侵略欲が強くありません。どちらかといえばその反対なんですが教義に「やられたらやり返す」というムハンマドの教えがあるのでしょう。第一次世界大戦後の西欧列強による国境分断(民族や宗派に関係なく国境線を引いた)や米主導のイラク戦争など彼らにとっては「耐えがたい仕打」であったのです。この場に及んで日本が振舞うべき行動は欧米に完全追従でなく、和平の柔和策を先んじて講じることでしょう。ISとアルカイダ、それにシリア、またまたイスラエルにパレスチナにイラン・・・こじれにこじれた問題ですが・・・さしあたりのIS問題・・・とりあえずの停休戦への「カリフ」的仲介を策略できぬものか。つづく。11月14日。
●今朝は5時52分、携帯の「緊急地震速報」で起された。確認のためすぐにテレビをつけた。しばらくするとパリでテロ発生との速報が伝えられた。しかし、一瞬で内容が不詳。見ていたのはTBSであったので、他局を漁ったがテロ関連のニュースや速報は皆無。(止む無く)それならばとケーブルch257の「BBCワールドニュース」を押す。期待を裏切らず「BREAKING NEWS」をやってました。内政の重要課題が山積しているにもかかわらずトルコ外遊中の安倍首相は「もっともらしい」談話を発表していますが・・・この問題、思慮に欠けた下手な談話は禁物ですぞ。対岸の火事ではありませぬ。慎重な言葉選びが必要です。今、22時20分を回りましたが、BBCワールドニュースはこのテロを「LIVE」で伝えています。以下は今年1月に同じくフランスで起った『シャルリエブド』襲撃テロでの「親仁ギャグ」であります。テロは警備の甘い週末に決まって起ります。地球の裏側とは言え、NHKは「LIVE」で伝えるべきです。それができぬなら、国際放送能力に欠けるのであれば民放になり下るべきです。●「年明け早々の世界を震撼させた『シャルリエブド』襲撃テロ。事件の経緯と反テロのデモ行進を連続の生放送で伝えたのは『BBCワールドニュース』などの海外メディアであった。残念ながらNHKはじめ本邦各局のほとんどは特番を組まず、通常のニュース枠内での断片的な報道にとどまった。BBC本体はNHKと同様に受信料で運営する英国の放送協会であるが、『BBCワールドニュース』は日本企業も参画する商業(有料)サービスの株式会社である。全世界200以上の国や地域で視聴される。重大事件は時と所を選ばないばかりか休日や週末の発生が少なくない。今回のテロは表現の自由と宗教の冒涜との許容限界を世界に問うている。グローバルの時代、他の国や民族の文化と宗教の正確な理解は欠かせないが、果して我が国の放送局はその役割を充足しているだろうか。NHKはじめ日本の放送局は外国ニュースの報道、特に生放送の拡充に本腰を入れてもらいたい。」(2015年1月25日付の宮日「窓」に掲載された)。1月26日。つづく。11月14日。
●司馬遼太郎「翔ぶが如く(一〇)」の「書きおえて」で司馬さんは「日本の統治機構は、政府というべきものか、それとも『官』といったほうが語感として本質に近いものなのか、ここ十五、六年来、すこしずつ考えてきて、その濃度がやや濃くなったときに『翔ぶが如く』を書く気になった。」としている。また、小説とは関係のない話題で、ある中央官庁の官吏とあった時、その官吏が『私ども役人は、明治政府が残した物と考え方を守ってゆく立場です』と語ったという。「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った。太政官からすこしも変わっていません、というのは、おどろくに値しないほど平凡な事実なのである。」。明治維新で全国の諸藩の藩士が(江戸に)上京し朝臣として途方もない高俸を得、自ら(勝手に)位階とつけて明治国家を牛耳るようになった。下級藩士が殿様を凌ぎ、天皇を担いで官を名乗り、国家運営を推進したのだ。その核たる人物が薩摩の大久保利通であり、日本の警察制度を確立した川路良利(よしなが・よしとし)、長州の木戸孝允であった。西郷さんはこれを嫌って西下したが、大久保と川路の陰謀によって西南戦争へと運命を変えられた・・・という見方がある。要は、官(官僚)という公僕(公務員)が何故に存在しているのかという素朴な疑問に対して彼らが自問して自戒してもらうしかないのだ。そうすれば死亡者数を机上で過小に書き換える必要もなく、その実は汗水を垂らして交通事故そのものの減少に尽力するということだ。司馬さんは最後に「私は、維新から明治十年までに昏(くら)かった。かつては西南戦争以後に明治国家の基礎が成立すると思っていたが、まったくの思いちがいであった。『官』そのものも、またその思想も、あるいはそれに対する在野意識も、さらには『官』にあらざる者たちの側の持つすべても、それらの基礎が明治十年までにできあがってしまっているような気がしている。」と結ぶ。となりのお国に比べたらとんでもなく増しだろうと思ったらこの国は潰れますぞ。潰されますぞ。警察の偽装を県警本部長が知らなかったではすみません。企業なら解雇にかつ損害賠償、あるいは株主からの訴訟を起こされます。そのくらいの大問題を大税金を食い、かつ正義の公明正大である部署の清浄機能が全くないのは仰天ものです。司馬さんが書いているように、これがこの国の権力を左右している官僚の実像であり証拠でもありますぞ。そういう眼で世の事象を眺める国民が増えなければこの国は変えられません・・・ということですよ。4年数か月を費やして「翔ぶが如く」が完結し、この「書きおえて」は昭和51年(1976)9月のこと。つづく。11月8日。
●日本の年間一般会計予算額は今や100兆円だが、会計検査院の2014年度の決算検査報告によると、その無駄遣いなどは570件の1568億円余という。本当かいな、1兆円でも1%、1568億円だから0.1568%。1億円の企業なら1%で100万円、0.15%なら15万円ですよ。数回の社内懇親会のレベルじゃないですか。おまけに理研の小保方女史の無駄が1億4500万円(2011~14年の研究費と調査費)ですよ。なんとも怪しい数字ですね。無駄が0.15%の1500億円なら日本はもっと棲み易くなっているでしょうに。会計検査院だって役人ですからね、重ねて怪しい組織ですナ。つづく。11月8日。
●最近の偽装問題の連発報道。杭打ちに始るが、警察の交通事故死亡者数偽装過小計上問題に診療報酬や療養費の架空請求事件。そもそも交通事故者数を意図(故意)的に減らす必要がどこにあるのか。減らす手段として最初に考えられたのが事故発生からの時間。24時間以内の死亡としたから、人工呼吸などの懸命な処置でも不要な税金が費消される。それでも減らないなら数字を操る偽装。窃盗などの検挙率が偽装されているのは周知の事実。数字が減らないと県警の怠慢となるらしい。県警本部長は総務省からの出向で2、3年で挿げ変えられる。責任の持続性は全く無視され、現場の指揮なんてのは浸透のしようもない。自転車なんてのは車道を走っている方が歩道よりもよっぽど危険をはらみ、事実自転車が絡んだ死亡事故が急増中だ。最近、道路の整備なんて見るのが「珍」となった。うわべの捜査と吹聴だけで不断の努力を見せかけているだけ。診療報酬も漏れずに然り。他人の保険証の回し使いなんてのはいつの昔から行われていることやら。正々堂々とその手口を語る輩だって(酒場の酔いが回り過ぎたのだろう)いますよ。パスポートや運転免許証のごとく保険証にも顔写真を入れるべきでしょう。つづく。11月8日。