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今週の親仁ギャグ・2016年1月3日(日)~1月9日(土)

●サウジアラビアはスンナ派。その国教はスンナ派のなかの「ワッハーブ派」であり、イスラーム(原理)主義や過激派の誕生に深くかかわる。18世紀に、イスラーム法学者であるアブドルワッハーブが唱えた思想であり、イスラーム法の厳格な施行を唱えると共に、聖者崇拝を徹底的に批判聖者崇拝などはアッラーという唯一神を否定するものであるからだ。当時のサウジアラビアは厳格なイスラームを実践する素地があったが、油田が発見され、西欧からオイルマネーが入ると、イスラーム国家としては堕落していく。そのなかでイスラーム・イラン革命に刺激を受けたワッハーブ派は前年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻(1978~1989)において(イスラームの)アフガニスタンを共産国から守るため、イスラーム諸国からスンナ派イスラーム主義者たちが義勇兵として参加。そのアフガニスタンへサウジアラビアから乗り込んだのが後にアルカーイダと呼び慣わされるオサマ・ビン・ラディンである。このビン・ラディンらの義勇兵に対して武器などを提供したのがアメリカだ。アルカーイダなどの組織・ネットワークはアメリカの支援でつくられたが今や敵対関係にあり大きな脅威である。では、ビンラディンはなぜアメリカに叛旗を翻したのか。それは湾岸戦争後、50万人の多国籍軍が駐留したことだ。当時のサウジアラビアの人口は1700万人。アメリカ軍サウジ駐留をイスラームの蹂躙とみなし、異教徒による聖地の冒涜と考え、アメリカに対するジハードを呼び掛けたのである。1月8日。

●サウジアラビアとイランの対立。イランはシーア派。イランは1979年のイラン・イスラーム革命(ほぼ無血革命)によって、自ら攻撃を仕掛けるジハードの宣戦布告の大権以外のイマームが有する巨大な実権を握った。1501年にイランに成立したサファヴィー朝は深い思慮も無くシーア派の国教化を決めた。シーア派の教義を民衆に教えるため招聘されたのがシーア派のウラマー(イスラーム学者)であり、このイマームの代理人であるウラマーが権限を拡大し、ホメイニ氏の力の礎となった。ホメイニ氏主導の1979年のイラン・イスラーム革命によって親米のパーレビ―国王が亡命。そうして「イマームが再臨するまでは、学者が政治的な指導もしなければならない」という理論を打ち立てた。これによってそれまで共存できていたスンナ派とシーア派の対立と抗争が高まった。一方のサウジアラビアはスンナ派が多数を占める国だが、政治はというと西欧の近代思想の影響を受け、政治にイスラームを持ち込まない政教分離をした世俗主義的な国家である。サウジアラビア政府は、イラン・イスラーム革命の余波が来るのではと恐れていたが、案の定、1979年11月、スンナ派イスラーム主義者たちがマッカ(メッカ)のモスク「マスジド・ハラ―ム」占拠事件が発生した。この占拠グループの流れから出てきた人物の一人がオサマ・ビン・ラディンである。1月8日。                              

●サウジアラビアにつづいてバーレーンがイランとの国交を断絶。これには「派」(仏教なら宗派)が関連している。「派」間の争いである。イランは9割5分がシーア派からなる。イラクは6割がシーア派。バーレーンが8割のシーア派。レバノンはキリスト教とスンナ派、それにシーア派が拮抗している。一方のスンナ派の割合が多いのがサウジアラビアとヨルダン全体としてはスンナ派がシーア派を圧倒しておりイスラム全体の8割を占める。ではどうして「派」が分裂したのであろうか。それはムハンマドが7世紀の亡くなった後、主導権争いが生じたから。簡単には、シーア派はムハンマドの従兄弟で娘婿のアリー(第4代カリフ・在位656~661)を正統とするのに対して、スンナ派はアリーの前までのカリフとその後にムアーウィアが開いたウマイヤ朝以降のカリフを認めるこの2つの「派」は外見上の見分けは困難であり、違いといえば、モスクのデザインが違うとか、モスクから流れる礼拝の呼びかけの言葉(アザーン)の文句が少し違うくらいだという。神の啓示を受け、神から授かった言葉をムハンマドが忠実に発した教えであるため、教義の上で大差のある訳がないのは当然なことであろう。もうひとつの違いは、シーア派は5分の1税といって、経費を引いた収入の5分の1をウラマー(イスラーム学者)に納めなけらばならない。一方のスンナ派の課せられる義務は、資産の2.5%になる浄財(ザカー)のみ。最近ではまとまりのないスンナ派に対してシーア派が勢力を延ばしている。1月4日。

●あまりにも知らなさ過ぎるイスラム教。イランのサウジアラビア大使館が襲撃されたニュース。サウジアラビアでシーア派の指導者のひとりが処刑された報復という。4年後は東京オリンピック、それに難民受入問題、日本の人口減少と労働者不足問題。イスラム教とイスラム世界について「イロハ」は勉強しておかなくちゃ。現在のイスラム教徒は16億人で15年前より4億人増加。国別ではインドネシアが2.1億人でトップ、次いでインドの1.7億人、パキスタンの1.6億人、バングラデシュの1.3億人、ナイジェリアの7700万人、エジプトの7600万人、イランの7300万人、トルコの7100万人、中国の2400万人、ロシアの1400万人、ドイツの478万人、フランスの470万人、イギリスの279万人、アメリカの273万人と続く(2012年)。日本人のイスラム教徒は多くても1万人程度で、外国人イスラム教徒を含めても11万人であり、人口比では0.1%に過ぎない。韓国は16万人のイスラム教徒が移民しており、アジア全体では4人に1人がイスラム教徒と多い。いま読んでいる「世界はこのままイスラーム化するのか」(島田裕巳・中田考、幻冬舎新書、2015)を参考に、長く休憩していた「院長コラム」にイスラム教の基本知識について書いてみようと思います。1月3日。

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