●「新・情報7daysニュースキャスター」の冒頭で、安住アナが「長嶋(終身名誉)監督に番長の件を聞いたそうですが、監督はノーコメントだったそうです」と振ると、ビートたけしは「長嶋さんにそんなこと聞くなよ、ふざけんじゃねえよ」と答えた。ミスターはかつて「長嶋茂雄をやるのは大変なんですよ」と語っている。ミスター=野球に憧れ夢を膨らませてきた昭和の日本人。その夢を壊してはならないと自分を律し努力を怠れないのが英雄なのだ。今もミスターはそのために尋常ならぬ奮闘と自己葛藤をしているのだ。そのミスターに面の皮の厚過ぎる何たる愚問。人間調査が足らん。2月13日。
●唇が薄いと歯が寒い=唇薄歯寒。中国と国境を接する朝鮮民主主義人民共和国こと、北朝鮮。実際の政治は金一族を最高指導者とする個人崇拝と絶対服従による権威主義体制であり、朝鮮労働党を支配政党とする一党独裁体制である。民主主義とは名ばかりの国家だ。中朝国境は鴨緑江で隔てられ、そこに架かる橋が中朝友誼橋(ちゅうちょうゆうぎきょう)である。地名では中華人民共和国遼寧省丹東市と朝鮮民主主義人民共和国平安北道新義州市を結ぶ橋で全長946.2m、橋脚12の橋であり、下流側を鉄道、上流側を道路が通る鉄道道路併用橋である。とくに中国北東の省にとって北朝鮮はお得意さんの貿易相手であり、北朝鮮にとっては死活問題の燃料や食料の運び入れ口である。それに増して天安門にとっては西側(韓国・アメリカ)との直接的国境を避ける緩衝地帯である。これを「唇薄歯寒」という由縁である。北朝鮮は1948年の建国以来、金王朝の永続と繁栄、それに韓国(南朝鮮)の併合を最大の国家目標としている。むろん「金王国」としてだ。今回のミサイル発射もアメリカへの挑発であり、「金王国」の継続承認と経済制裁の緩和・解除・支援を目論む証である。13億超の人口を抱える中国は、韓国が朝鮮半島を統一し、民主主義国家と国境を接することはオモシロクナイ。中国国民も天下がひっくり返るような革命が起ったとしても現状よりも良い政治体制が誕生するかについて不安らしい。妙な政権ができるよりは現状維持を好んでいるらしい。そこで日本の外交手腕が問われるが・・・どうも手蔓はほとんどないようだ。そこへきてきょうの高市総務相の「マスコミへの言論制圧(統制)発言」・・・どこの国のいつの時代の何様のつもりあっての発言じゃ。つづく。2月9日。
●北朝鮮のミサイル発射問題。大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)は一度、大気圏外に出てから再度大気圏に突入する必要がある。大気圏内に突入する際に発生する高熱に耐えうる金属素材であるかが重要であるから、今回の発射が即、成功ではない。思い起こせば1957年(昭和32)10月4日、旧ソ連は人工衛星スプートニクの打ち上げに成功させた。モスクワからの指令と、それを実行させるための日本社会党と日本共産党への大量の資金が流入した。それまで両党とも日米安保に前向きだったのをこれを機に「反日米安保」へ転換させるための資金であった。当時の浅沼稲次郎社会党委員長は、それまでは「安保条約の不合理是正のために米国と折衝せよ」と主張していたのだが、これを180度転換し「(ソ連の人工衛星成功をもって)日米二国間の安全保障条約のような軍事ブロックは無意味になった。わが国はいずれの軍事ブロックにも入らず、自主独立の外交をつらぬくべし」なんて言いはじめたんですね。ところが、アメリカも同年12月にICBMの実験に成功し、翌年(1958年)の1月31日には人工衛星打ち上げもやってのけたんですね。そうです、ソ連の人工衛星打ち上げ成功以前の社会党は「日米安保条約改正」に賛成だったということです。当時の首相は「60年安保改正」をした岸信介。それだけ人工衛星打ち上げや大陸間弾道弾の成功は軍事的脅威であるということなんですね。当然ながら大陸間弾道弾はアメリカ本土(東海岸)まで到達する必要がありますから、1万3千キロ飛行しなければならず、そのためには一度大気圏へ出て再突入しなくてはならないということになっています。そうです、改めて確認しますが、ソウルはもちろん東京へも、場合によっては北京を攻撃するのにICBMは不要です。今回の実験(?)発射はアメリカへの威嚇なのですね。つづく。2月8日。
●司馬さんも風邪の熱にはめっきりダメらしい。三十六度七、八分で交通信号がやっとわかる程度の注意力しかなくなり、本も読めず、原稿も書けない・・・三十七度になると寝込み、三十八度以上では(ちょっと照れくさいが)遺書を考える・・・と書いている。総じて男性は熱発にいくじない。きのうの日経「何でもランキング」では①緑茶でうがいをする。②早く寝る。③ショウガをとる。④ビタミンCをとる。⑤普段から運動する。⑥首・手首・足首を温める。⑦乾布摩擦。⑧ネギを食べる。⑨マスクをして寝る。⑩鼻うがいする・・・のがもっぱらの風邪の予防策らしい。意外なのが「卵酒」とか「栄養をとる」なんてのがないようだ。われわれの小さい時は余程のことがないかぎり風邪をひいても病院には行かせてもらえなかった。田舎では子供なのに決まって焼酎に卵を溶いて温めたのを飲まされたり、日本タオルに焼酎を湿らせて咽喉に巻いた。さきの「風塵抄」ではないがランキングに「薄着をしない」がないのは時代が豊か過ぎるということか。「伊達の薄着」の時季だが「年寄の冷や水」なんて指差されぬようにしなくちゃな。それにしても「目病み女に風邪引き男」なんていいますが、目病みの女性もそうは見かけないし、病んでいたとしてもメイクで上手く隠してしまいそうで・・・そうはいっても時にはお目に掛かりたいものですね。そうです、今風邪気味なのです。2月7日。
●幕末、日本に海軍を教授するためファン・カッテンディーケという海軍士官を団長とする派遣団がオランダから来た。彼の滞日記録によると、日本の気候は風邪をひきやすいという。彼は軍医でかの有名なポンペにきいたところ、ポンペは「彼らは馴れているのだ」「いちばん留意せねばならないのは、日本では薄着は禁物だということだ」と答えた。つまりは防ぐしかない。司馬さんも四十を過ぎてこのことがわかったという。冷房の効いた場所に長居すらな。せねばならぬ時のために上着を持つ。夏場に新幹線に乗る時はレインコートを用意する。家でも衣類で調節する・・・というものだ。咽喉が痛いと感じたらバンダナを巻いて寝る。これは司馬さんの「風塵抄」にある「風邪ひき論」というエッセイです。なにぶん昔の譚ですが風邪の予防策を「薄着は禁物」という普遍的なところが好いですね・・・司馬さん風には「あとは、これは効果のあるなしはべつとして、小学校でおそわったように毎日うがいをする。おかげで、ここ十数年、かぜをひかないという奇跡の独走がつづいている。つづまるところ、天の下に新しいということもなく、奇手ということもないということではあるまいか。他のことについても、おなじにちがいない。」(1987年<昭和62>7月6日)(「風塵抄」・中公文庫・pp83~88)。つづく。2月7日。