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今週の親仁ギャグ・2016年4月24日(日)~4月30日(土)

安土城(1579年築城)を試験台に大坂城築城を目論んでいた織田信長(1534~1582)。その安土城は誰がつくったのか・・・という問い。安土城のような巨大建築物は平安や鎌倉、室町時代には建造されていないらしいのですが、飛鳥の聖徳太子(574~622)時代や奈良の聖武天皇(701~756)時代には法隆寺や東大寺の巨大建造物があります。その巨大建造物のメンテナンスを時代を超えてやっていた集団がいたのですが、その有名なものが「金剛組」であります。そういう集団のなかに岡部又兵衛という大工の棟梁が織田信長に請われて安土城築城を助けました。もちろん、城の石築は穴太衆の石工職人たちを集めました。信長は西洋からやってきたイエズス会の宣教師たちにスペインやポルトガルの城や砦の情報を得て設計図を作成し、むろん施工はそれぞれの職人達が行ったということです。ポルトガル人のルイス・フロイス(1532~1597)はその最たる人物でしょう。信長はもちろん清正も高虎も設計士であり建築家であったということです。ゆえに熊本城は加藤清正が築城したという所以であります。そうそう安土城の襖絵を担当して描いたのが狩野永徳(1543~1590)であります。つづく。4月30日。

●そもそも熊本城は誰が建てたものなのか。今回の熊本城石垣崩壊で有名になったのが現在もその末裔で「穴太衆(あのうしゅう)」の諸家で粟田建設を経営する15代目粟田純司氏である。穴太衆の先祖は織豊時代に遡り、安土城彦根城などの石垣築を担当した。粟田建設は1年半前の「天空の城」武田城石垣修復も行ったという。穴太衆は近江の比叡山山麓の穴太が出身地。熊本城を担った石工集団は穴太衆ではなく城主加藤清正(1562~1611)の直々の指導によるものであろう。加藤清正は後藤又兵衛(1560~1615)こと後藤基次にその技法を伝授したとの記録があるから、清正自体が石垣築の職人であったであろうことが想像される。又兵衛は黒田官兵衛孝高(法号は如水)(1546~1604)・長政(1568~1623)父子に仕えたが、長政と合わずに牢人となり大坂の陣で活躍した人物である。清正は安土城などの築城現場を見学したことが容易に想像されることから、これら穴太衆からその技術を習得したに違いない。築城の名手・藤堂高虎(1556~1630)も同様であろう。つづく。4月30日。

●残念ながら熊本城は見る影もない無残な姿となっている。九州の、否日本の名城の再建には多額の費用と人力と月日が必要なようだ。Wikipediaを引用すれば「加藤清正は、1591年(天正19年)から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめた。1600年(慶長5年)頃には天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で清正は肥後一国52万石の領主となる。1606年(慶長11年)には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。1610年(慶長15年)から、通路によって南北に分断されていた本丸に通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われた。これにより天守に上がるには、本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになった。」とある。1591年から完成の1610年まで丸20年を要したことになる。ところで今回の地震で崩壊した「武者返し」をはじめとして城の石垣が話題となっている。そこで築城や石垣について調べてみよう・・・。つづく。4月30日。

●業界によってそれなりの救い手があるということか。それでも資源枯渇は他人事でない。鰻を喰わなくても死ぬわけでもなんでもないのだからそうめくじらを立てることもなかろうが、旨そうに喰っている人間が一人でもいればやはり漂ってくる蒲焼の煙と風味に魅かれるのが人情。ヨーロッパウナギも絶滅危惧種であり、欧州から中国への輸入が遮断か激減し、その結果中国から日本への輸出が無くなるようである。そこで登場したのが餌の改良を加えた鯰ということだ。ところで昔、居酒屋談議でシラス猟師からシラスウナギは1グラムで6匹ということを聞いた。1万5千キロの稚魚は成鰻に換算すると9千万尾ということか。一人当たり一匹もわたらないということになる。一片々々舌鼓をチュッチュルと打ちながら頬張るしかないな。熊本地震の余震は幸いにも落ち着いてきたようだ。4月27日。

●週末、ひさしぶりのうな重を所望し、市内の鰻屋へ。「シラスが不漁で大変ですね」と尋ねると「???」・・・若大将の虚を衝かれたようなひょんな顔・・・商売あがったりで「失礼なやつ(客)、おまえ貧乏神か、こっちは店閉めなくちゃならんかと思ってんのにそんなこと聞くなよ」とでも言いたかったのかと反省したものの・・・・・・。今日の日経社会面(34ページ)に「ウナギの稚魚 大量輸入 資源管理の規制 香港が『抜け穴』」とあり、「貿易統計によると、昨年11、12月に計1657キロ、今年1、2月に4364キロの日ニホンウナギの稚魚が香港から輸入された。水産庁によると、この間に日本の養殖池に入れられた稚魚は1万5千キロで、約40%が香港からの輸入だったことになる。(略)実際の産地は台湾や中国の可能性が高いとみられる。」。ヨーロッパウナギも中国の養殖池を経てほとんどが日本に輸出されている・・・とも報じている。であるから、あの若大将の「ひょんな困惑顔」は密輸入ではないにしろ「抜け穴」を通ってくるシラスがいるから大丈夫ですが、公然とは言えないんです・・・の表現だったのです。丑の日にはまだ日日がありますが、それまでも滋養栄養を補充しないと低下一方の体力は保持できません。※日本・中国・韓国・台湾は協力して絶滅が危惧されているニホンウナギの資源管理に取り組んでいるが「抜け穴」というか違反と密輸に存在しているということか・・・気を使ってウナギを喰うなんて残念なことだつづく。4月24日。

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