コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2016年5月15日(日)~5月21日(日)

●鼠男の東大卒プライドが辞任に奔らせる会見でした。「四の五の言う」・・・この成句は「いろいろと文句を言う」の意ですが、きょうの会見で舛添知事45回も「第三者」を使用しました。彼の「第三者」には庶民やマスコミは含まれないようです。「火だるま」(片山さつき参議員)と「みじめな話だね」(石原慎太郎氏)は前回の会見後のコメントですが・・・きょうの会見で辞任は避けられないね。プライドが裏目にでる、人生を棒に振る典型例でしょう。5月20日。

●「末は博士か大臣か」という古びた過去の文句があります。総理大臣や東京都知事はやはり名誉職でしょう。アメリカ大統領は職責に合わずの”薄給”らしいですね。ところが任期を全うすれば、その後の講演やテレビ出演などでかなりのギャラが稼げると・・・聞いたことがります。最近、「天才」の石原慎太郎元都知事は「太陽の季節」が再来しているようです。反面、猪瀬前知事のマスコミ露出はパッとしません。やはり任期中の仕事ぶりがその後に及んでいるということですね。家賃問題に自動車問題、心太(ところてん)式に出るは出るは・・・です。舛添都知事をみるに、やはり田中角栄の大物ぶりが光ますね。底抜けのセコイ人間には首都の政治財政は任されないですね。辞任秒読みで、参院との同時選挙では??? しかし各党とも準備不足は否めませんが・・・都知事不用論も公然とささやかられるほどですから・・・次回はないとしても・・・都民は泣き寝入りでしょうか。否否、東京は都民だけの問題じゃありません。地方は東京への人材派遣基地化しています。学生に就職にと地方の都への貢献は莫大であります。親仁の都内での宿泊代に鮨代に天麩羅代、その他諸諸の消費のこともお忘れなく・・・呵呵!!! 5月20日。

●三菱自動車についでスズキもやってましたね、燃費不正。むかしから合点のいかぬのがこの種の問題に対する国や自治体の関わり方ですね。どうして国交省なりが直接検査しないのでしょうか。ほかにもありますね、たとえば(国立競技場などの巨大建造物は別格として)田舎の小さな橋や体育館などのインフラは地方自治体自ら設計してもよいのではないだろうか。検査だけでなく設計・監督により関わるべきだということです。コスト削減につながる可能性もあり、なによりも優秀な役人の宝の持ち腐れにならなくて済みます。建築確認だけじゃもの足りないでしょうに。役所というのは肝心なところを企業や民間の検査機関に丸投げして、何か問題が生じたら自らに責任の及ばないようにしているみたいですね。なにごともそんな感じであります。ところで軽自動車業界も競争が熾烈なんですね。ダイハツに次ぐ業界2位のスズキですが、2015年の販売台数は55万9704台ながら、前年比21.1%もダウン、シェアは29.5%ということです。どのメーカーも新車販売台数が軒並み大幅減のようです。肝心要なところはもう少し国や自治体の直接的関与を考慮すべきじゃないかということです。5月18日。

●連休にふと日向市に立ち寄ったんですが、気になるのが(なんでも気になる気象=気性なんですが・・・「気象」と書けば気まぐれ感があっていいですね)駅構内の若山牧水像ですね。若山牧水といえば小村寿太郎に並ぶ第一級の郷土偉人ですよ。日向市駅改札前の暗げな隅の陳腐な台座に旅姿で立っておられます。上野の西郷さんとお供のツンも雨に打たれ雪にも晒され、夏には灼熱の陽と熱風に煽られさぞかし苛酷な日々を過ごしているでしょう。なにぶん巨像ですから、村の地蔵さんや「えびのの田の神さぁ」のように合羽(蓑)や日傘を差してあげることもできません。像であっても像本人の身内の心情はいかなるものなのでしょうか。屋内の牧水像は四季の寒暖や日々の気象には悩むことはないでしょうが、人目を憚るように改札の隅に置かれては・・・彼の生涯が浮浪の旅であったことからしても、外に設置してあげてはどうなんですかね。気象に悩まされたからこそ名歌が生まれたんじゃないでしょうか。渋谷のハチ公だって”外”です。呵呵!!! 5月17日。

●(承前)「専守防衛」なんてのは講釈抜きの当り前のことです。自国はわれわれひとりひとりが自力で守るのが国の基本であります。日本国民は西南戦争を代表とするような国内での内乱に際して百姓や町人が手ずから刀槍を持つことはありませんでした。多くは武士のやることでした。もっとも土佐の「一領具足」という農兵制度や防長(周防長門のこと=毛利藩)の「奇兵隊」などのように農民(足軽・郷士)以外の農民や町人が戦闘に参加して例はあります。がしかし、「一領具足」の戦国時代は兵農が未分離であり、武田信玄にしても農繁期(田植や稲刈り)の戦は避けねばならなかった。兵農を分離したのは戦国の覇者である織田信長がはじめてである。幕末、高杉晋作の興した「奇兵隊」は農民など武士以外の下級階層が参加したが、その元は関ヶ原以前の毛利藩士に拠るであろう。関ヶ原後、毛利藩は中国十一州から防長二州に著しく減封されたが、その他の九州の藩士(武士)の多くが毛利の殿様を慕って隅の二州に移動し、武士では食っていけないので農民になったひとびとの末裔である。これらは内乱のはなしであり、トランプ氏の発言にまつわる国防は日本国の問題である。国民ひとり一人が心身をけずって考えなければならない最重要課題である。5月15日は「沖縄返還」の日である。1972年のことである。5月15日。

先頭へ