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今週の親仁ギャグ・2016年6月5日(日)~6月11日(土)

舛添都知事問題でにわかにというか当然の如く湧き上がってくるのが都庁幹部の責任問題。小生も先週に「先の欧州視察は都職員との慰安旅行か」と書いたが、都知事と都庁幹部との馴れ合いが気になりますね。渡欧経費の見積りはだれがどのようにしたのでしょうか。肝心の舛添都知事は職員に任せきりのような発言をしていましたが・・・。青島幸男や石原慎太郎元知事の登庁なんてのは週2回というから驚き。猪瀬さんも似たりよったりだったんでしょう。舛添都知事も毎週金曜2時半に退庁しての湯河原通いに、頻繁な美術館訪問・・・。楽な商売であります。問題山積の都政への認識不足というか、幹部側からすればうるさい知事に四六時いてもらうと困ることでもあるのでしょう・・・としか思えません。他の地方自治体についても思いを巡らす必要があるかもしれません。副知事はじめ多数の幹部を従えての業務のようですが・・・検証すべきところがあるのかもしれません。特にキャピタル東京は今の状況を改善しなければなりますまい。6月9日。

舛添都知事を血祭に上げないと公私混同がそれこそ公然の”合法”ということですよね。選挙に40億円かかるとか、東京オリンピック直前の都知事選とか・・・不都合な点もあるようですが、そんなことは小さいことであります。呵呵!!! ”マムシの善三”が雨蛙にのまれた感あり。どうも彼も金に目がくらんで、名声を落としたひとりか。 6月7日。

●「アントニオ猪木対モハメド・アリは1976年(昭和51)6月26日『格闘技世界一決定戦』。場所は武道館。日本レスリング協会会長に向かって『100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?』とジョークを言った。アリは『拳でも口でも戦う男』として有名で、当然この発言もアリ独自のリップサービスであることは世間も承知だった。猪木は『100万ドルに900万ドルを足して1,000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合い。』と語り、対するアリは『猪木なんてレスラーは名前すら知らなかったが相手になる。レスリングで勝負してやる』と発言。猪木側がアリ側へ支払った実際の額は180万ドル」(Wikipediaより。一部改変)。アリ対猪木戦は異種格闘技の初っ端だったですね。ルールの詳細は忘れましたが、猪木が寝っぱなしであったのには失望しましたね。アリの訃報を受けての猪木氏の会見で、トレードマークの赤いマフラーが黒に変わっていたのが印象的です。6月6日。

●「蝶のように舞い、蜂のように刺す」・・・凄いですね! 芸術ですね! 軽やかなフットワークに力みのないストレート。桐野利秋が西郷さん宅に呼び出され、頼まれて居合を見せたのですが、その早技を見た大久保一蔵は一目ぼれし、国父・島津久光が東上の際、千人余の供奉のひとりに桐野を採用した・・・と池波正太郎「人斬り半次郎・幕末編」(118~122)にある。「竹の水筒が下へ落ちるまでに、半次郎の刃は四度び鞘を走り出て、四度び鞘におさまったというのである」・・・。西郷さん他にも3度にしか見えなかったという・・・水筒が地面に行き着くまでに、只でさえ四度も空を切るなんて神業でしょうが、その都度、鞘に出し入れしているなんてゴッドハンドを超越しています。モハメド(ムハメド)・アリはリングネームで本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアです。モハメド・アリは1964年にネーション・オブ・イスラム(アフリカ系アメリカ人のイスラム組織)に入ってからで、その前のリングネームが「カシアス・クレイ」でした。桐野利秋は戊辰戦争前の幕末維新でなんと100人以上の人斬りをしたと言われています。鹿児島城下の伊集院鴨居の道場へ通ったとありますが、どうやらその強さは裏山にある樟への斬りつけ稽古にあるようです。流儀は「示現流」、愛刀は和泉守兼定に綾小路定利。岡田以蔵もそうでしたが、道場(剣道)と本番(真剣勝負の斬り合い)との強さは比例しないということだそうです。我流が強いらしい。多分にアリの戦ってきた試合の特番があるでしょう。あの軽そうで強烈な連打・・・ぱっちりと目ん玉をひん剥いてみましょう。つづく。6月5日。

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