●われわれ零細企業に関わる「103万円の壁」・・・・・・見送りが決定したようだが、一方で最低賃金を引き上げて置いて何をやっているのか。1億総活躍で、特に女性躍動を推進するための一環施策じゃなかったのか。逆に労働時間の減少を招くだけの結末に至ったに過ぎない。せめて103万円を113万円とか、最低ラインを引き上げるくらいの暫定処置は考えてくれないとね。この配偶者控除はよく考えなくても奥深い問題だ。子育てお母さんにとって、子育て共働き家庭にとって、如何なる政策がいいのか・・・・・・最も決定権のある安倍ちゃんがブレナイで確固たる信念でまとめてもらわないとね。家庭、とくにお母さんと子供が一番ですからね。子育てお母さん達を、旦那が高所得で子育て引退の奥さん達とを一緒くたにする発想自体に・・・・・・この国の未来に光明はあるのやと思いますね。つづく。10月7日。
●宮本武蔵の譚。宮本武蔵は1600年(慶長5)9月15日の関ヶ原の戦いに参加しているのですが、東西どちらに属したのかは不明だそうです。戦後の浪人生活からして西軍と思い込んでいたのですが・・・・・・。西軍説は、武蔵の主家が美作国新免家であり、その新免家は宇喜多秀家に仕えていたから。と云うのに対して東軍説は、『丹治峯均筆記(たんじほうきんひつき)』の史料には東軍の黒田如水(孝高)のもとで父の平田無二(新免無二斎)とともに石垣原合戦(大分県別府市・1600年9月13日・西軍に属す大友吉統との戦い)に出陣したというもの。慶長7年と同9年の『黒田藩分限帳』では無二斎が黒田家に仕えていたのは確かであると云う。それゆえ、それまで武蔵と無二斎が不仲だったとは云え、武蔵が無二斎と如水に誘われて東軍に加勢した可能性は否定できないのか(吉川英治「宮本武蔵・巻三」・関ヶ原合戦における武蔵・pp512~514)。当時の如水は九州の西軍を制圧して傘下とし、東征して家康をも討って天下を取る構想を抱いていたという・・・・・・が、たったの1日、それも数時間で関ヶ原は決戦した。あと数ケ月、あるいは1~2年、天下分け目が長引いていたら、如水は武蔵と共に家康を討ち破って征夷大将軍に座っていたかもしれないということ。武蔵は家康の柳生宗厳(やぎゅうむねよし・石舟斎・柳生新陰流の始祖)の如く、如水政府(天下)の指南役(二天一流)になっていたのだ。10月5日。
●「豊洲地下空間」の造作問題で、埋立からの変更を行った(主導した)人物と時期を特定できなかった・・・・・・アメリカなら設計建設業者を混ぜた公聴会を実施して結論を出すだろうに。今後、このような国家的損失なる事案に対して、公聴会なる機関を新設して「糾弾」していかないと税金を湯水のように費消する「国賊」が絶えることはないでしょうに。「ガバナンスの欠如」ですか・・・・・・わたしたち「バカナンス」じゃないんですか。10月2日。