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今週の親仁ギャグ・2017年2月26日(日)~3月4日(土)

●「森友学園」の「瑞穂の国記念小学院」の用地取得問題で、もしも近畿財務局や大阪航空局など行政だけの判断で8億円もの金が値引きされたとしたら、これは逆に政治家は不要ということだな。フィクサーがいないわけがないそれに絡んで昭恵夫人が公人か否かについては、夫人がファーストレディーとの認識があれば、当然に「公人」でしょう。あのはしゃぎようと目立ちたがりようじゃ、誰が見ても「公人」でしょうに。ところで正男氏暗殺問題からの「暗殺」シリーズ、やはり竜馬に精力を使い果たしたようですが、加藤清正公も島津斉彬公もまだ残してあります。乞うご期待。つづく。3月2日。

竜馬の新政府役人表。関白:三条実美(副関白として徳川慶喜)、議奏:島津久光(薩)・毛利敬親(長)・松平春嶽(越前)・鍋島閑叟(肥前)・蜂須賀茂韶(阿波)・伊達宗城(伊予宇和島)・岩倉具視(公卿)・正親町三条実愛(公卿)・東久世通禧(公卿)、参議:西郷吉之助(薩)・小松帯刀(薩)・大久保一蔵(薩)・木戸準一郎(桂小五郎・長)・後藤象二郎(土)・横井平四郎(小楠・肥後)・長岡良之助(越前)・三岡八郎(越前)。「西郷は一覧し、それを小松、大久保にまわし、ぜんぶが一読したあと、ふたたびそれを手にとり、熟視した。」(竜馬がゆく・八 p339)。これを見ても明白ですね、竜馬が内戦を望んでいなかったということが。それやこれやで、薩摩(西郷どん)の竜馬暗殺黒幕説が存在する訳でしょう。つづく。3月2日。

●龍馬が暗殺されなかったら。龍馬は新政府に参加しないことを西郷どんに直接話して皆を驚かせた。これも龍馬の懐の大きさを物語る逸話で残っている。「世界の海援隊でもやりましょうかな」(司馬遼太郎「竜馬がゆく・八」・p342・文春文庫)・・・・・・好きな船で世界を駈回っての商売(貿易)が本望だったのでしょう。されば、龍馬は大政奉還後の内戦、鳥羽伏見の戦いに始まり函館五稜郭までの、いわゆる戊辰戦争を予期していたのか、否、そもそも内戦を望んでいたのか。内戦は、徳川から疎遠にされ、関ヶ原以後、冷や飯を食わされた薩長両藩の仇討的な復讐劇であったから、佐幕派(賊軍)を徹底的に壊滅させたのである。西郷どんや長州勢はそうであったろうが、薩長同盟や大政奉還を成就させ、さらには維新後の新政府の要職である副関白に慶喜を当てようと考えていた龍馬としては、微塵も内戦を望んではいなかったではあるまいか。反対に西郷どんら薩長はそれを不可欠としたから維新の人事なんて何も考えていなかったのであろう。一部の歴史家に、明治維新は薩長を中心とした国内テロであり、果たしてそれが正当な手段であったのか・・・・・・ましてや今日までもてはやされるような英雄的革命であったのか、訝る節もあるようです。小生は、正直に高杉晋作が好きでありますが・・・・・・。もちろん、龍馬もですね。つづく。嬉しいですね、今日から弥生の、3月1日。

坂本龍馬が越前の福井藩士、光岡八郎(維新後は由利公正・1829~1909・五箇条の御誓文の創案者)に面会し新政府への参加、今で云うところの財務大臣就任依頼を終えて京に戻ってきたのが11月5日。最近(2017年1月13日)、竜馬が暗殺の5日前に送った中江雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状発見を、高知県が発表。これは光岡の一日も早い出仕を依頼したものだが、それだけに龍馬は光岡の財政手腕を買っていたのだ。この書状で龍馬は「新国家」を使用したことからも注目されている。竜馬没後150年。この書状は3月4日から公開されるという。「新国家」の日付は11月10日。10月14日の徳川慶喜による朝廷への大政奉還から1ヵ月。慶喜は暗殺当夜、新撰組など佐幕派に対して龍馬の命を狙うことを止めるよう指示したとされ、その指示は夜が明けて発せられる段取りであったようだ。近江屋の目と鼻の先にある土佐藩邸も後藤象二郎らが龍馬の身の安全を護るため、藩邸で匿うのを決めた矢先だったという。龍馬は脱藩した身であるから、それを拒んでいたらしいが・・・・・・龍馬が三岡と面談して京に帰ったのが11月5日であり、翌6日に岩倉具視に謁し、三岡を新政府参与にすべき辞令を越前藩に発するよう依頼。つづく。3月1日。

●今の時代、幼稚園児へ教育勅語に吉田松陰に高杉晋作か。昼食のお茶なしは帝国海軍の規律に従っているとか。運動会の選手宣誓は大人への注文か。理事長か園長か知らんが、自分たちの主張を子供の声を介して世間に宣誓流布している。今時何を勘違いしてるのやら。乃木希典学習院院長の場合はどうだったか。朝の洗顔は真冬でも冷水そのまま・・・・・・その程度じゃなかったか。(要調査だな)。ファーストレディー・昭恵さんも軽率なもんだ。学園の教育方針も十分に知っていただろうに・・・・・・一般人から見たら確信犯だよな。仮に本当に知らずの行動(講演会出席・名誉校長承諾)だったとしたら、余程の〇○○○○さんか、お嬢さま育ちか(森永だからこれは中りだ)、おだてられ屋の自惚れか、それとも旦那の薫陶宜しきかだな。彼女は、安倍ちゃんの「原子力政策・環太平洋連携協定・消費増税」など政府の重要案件を堂々とメディアや講演などで慷慨批判をしてきた割には、私の好きなゾッコン旦那様・・・・・・ってことか。首相就任以来の真面目顔の国会答弁・・・・・・家庭内野党の反逆や否や・・・・・・まさか松陰に晋作だけに細君テロではあるまいな。それにしても安倍ちゃんの「憲法改正」まっしぐらが見え見えだ。ところで宮崎県議会や県内市議会は、日本会議の意向(煽動)に沿った「憲法改正決議案」を採択・宣言済みだったか。勉強不足だな。もうひとつの怪問、平沼赳夫議員の役回りはなんなのか。この疑惑で民進党の追及が中折れの頓挫じゃ、将来ないな。それにしても、この違和感はどこから発生するのか。愛国主義、否、愛国主義よりも愛国精神、否、愛国心だな、愛国心と民族主義とは全くことなるんだな。隣国とは仲よくしたほうが良いに決まっている。差別や侮蔑はもっての外だ。つづく。2月27日。

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