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今週の親仁ギャグ・2017年4月2日(日)~4月8日(土)

●今週はフレンチブルのお産から川端康成の随筆になってしまいました。ブルドッグは100%が帝王切開で、フレンチは80%と言われています。それは胎児のサイズに対して母犬の骨盤が狭いことに関連します。そうでなくても短頭種の麻酔は気を使います。昭和10年頃の帝王切開はどのような風景であったのか非常に興味があり、現役を引退したら全国を行脚して調べてみたいと本気で思っています。川端康成の随筆で獣医師が随分低く見られたのにはショックですが、多分に当時はその程度の力量でしかなかったのでしょう。今も励まされる文章でした。最後に随筆の後半をどうぞ。「さて今度のお産は、ワイヤアの二度目である。・・・・・・・・・四番目のやはり牡は五時二十分に産れた。女房はまだいると言ったが、六時に私は母犬を立たせて調べると、もう胎は空だった。あっけないほど安産だった。母犬は卵黄とオオトミルをがつがつ食った。清水を飲んだ。子犬の小さい掌や口は、純潔な血の色に幼く健かだ。もう鼻の頭の薄黒いのもある。役目を果した私は、手の粘りを拭いて、朝刊を読み、旅を思っていたが、女房はいつまでも、「よかったね、ああよかったね。赤ちゃんてよく眠るものね。」と、母犬の横腹をさすりながら、・・・・・・・・・」(同pp472~475)。余談ながら、この文章のなかの「旅を思っていた」の箇所が気になりませんか。この随筆執筆時には彼の「雪国」を書き始めたころです。川端自身は「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、ただ駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか。」(昭和四十三年十二月「『雪国』について」)(川端康成「雪国」新潮文庫・百二十八刷・p149・注解三)・・・・・・と放言してますが、なかなかどうしてノーベル文学賞受賞作家の言い訳も世界一流ですな。幽霊みたいな作家人生だったのでしょうね。呵呵!!! 4月8日。

川端康成(1899~1972)は筋金入りの愛犬家でした。当時希少の洋犬を繁殖させる、今で云うならセミブリーダーでもあったのです。「べちゃりとした腸詰かゴム風船みたいな袋児である。私はなれている。鋏で胞衣を破り取ってやる。無論母犬もしきりに舐めて、噛み破ろうとする。子供は濡鼠ながら、間もなくあぶっと口をあいて動き出す。鋏で臍の緒を切る。糸で結んでから切るつもりだったが面倒なので、そのまま切った。ただ胞衣を先に破り、後で臍の緒を切る。この順序を間違えてはならぬ。そして、胎盤を脱脂綿にくるんで、取り除ける。母犬が食う筈のものだ。食わせたら胃腸を害するという説と乳がよく出るという説とがある。胎盤は幾頭かの子供に一個ずつあるから、そのうち一つ二つを食わせるがいいだろう。舐め廻す母犬の舌から、産児は神秘的な生命力を流し込まれるかのように、見る見る元気となって、もう這い出す。乳房を捜す。母犬は汚物も舐めるので忙しい。私も脱脂綿で子犬の体や母犬の汚れを拭いてやる。」(同p473)。獣医ばり、否、獣医以上の心得た処置であります。繁殖学や外科学の教科書よりも分かりやすかも。しかし失敬ながら少し補足しますと、外陰部から胎児の手足や頭尾が少しでも見えたら用手でガーゼを使用し、回転させるように介助して娩出させるのがよいでしょう。とくに胎児が尾位の場合は臍帯が頭位よりも延びるため介助が必要です。生まれたら臍帯を胎盤から切り離し(鉗子で胎児側をかんでから)、頭部をしっかり固定し、ゆっくり床に向けて振り、鼻や口の中の羊水を飛ばします。口を含め顔全体をガーゼで拭います。それから糸で臍帯を心落ち着いて結紮します。その後は呼吸を刺激するため体を優しくマッサージし、ドライヤーもかけて体表を乾かします。産湯もお勧めですが、鼻口に水を入れないよう細心の注意がいります。勿論乾かします。母犬の乳房を軽く押して乳汁を少し滲ませ、胎児の口を開けて乳頭をくわえさせます。首や体を保持して飲みやすいようにします。排便排尿は基本的に母犬に任せますが、過度に母性本能の強い母犬がおり、異常に舐めたり胎児そのものを口に入れようとしますので、目を離してはいけません。少なくとも3日間は寝ずの番で看病、監視をしてやりましょう。つづく。4月7日。

川端康成が桜木町(東京市下谷区上野桜木町四四・馬込町から転居)に住み始めたのは1929年(昭和4)で、齢30歳だそうです。その後1930年に同四九へ、1931年に同三九へ、1934年に谷中坂町七九へ、1935年には鎌倉へ、慌ただしくそれぞれに居を移しています。と云うことは、このお産にまつわる母犬と子犬の不幸な死は1934もしくは1935年頃と推測されます。犬猫で超音波検査ができるようになったのは私が大学3年か4年の頃だったので、今から38年くらい前のことになります。恐ろしく昔な譚であります。それまではレントゲン撮影と胎児の心拍を聴取し、前述の徴候を丹念に観察してお産の時間を予測していました。1935年は昭和10年で、エコーなんてある筈もありませんから、川端家へ往診した「犬医者」は余程緊張したでしょうか。雪国を書き始めた年でもあります。まだそれ程有名になっていない頃かもしれませんが・・・・・・。つづく。4月6日。

●きのうの早朝、フレンチブルドッグのお産があった。いよいよ前日から体温が下がり、乳汁も出て、巣作りも始め、外陰部も腫れ、食欲も無くなったので、一日以内の分娩は確実。朝の7時過ぎに電話があり、直ぐに連れて来てもらった。前日のレントゲン撮影では胎児の大きさと母犬の骨盤のサイズには余裕あり。2頭のうち一頭はすでに死産で、2頭目は陣痛促進剤の効力で無事に生まれた。そこでですが、最近読んだ川端康成の随筆を紹介しましょう。「ワイヤア・フェア・フォックス・テリアもコリイも、初産だった。ワイヤアの方は、三頭目の子供が産道で窒息し、四頭目を獣医が鉗子で挽き出した。でもとにかく、はじめの子供二頭と母犬は助かった。難物はコリイだった。予定日を一週間、十日過ぎても産れない。犬には稀有のことだ。今夜か今夜かと、私は眠れない。獣医師を二人呼び、私の友人の産婦人科医(これは人間の)まで来てもらって、胎児が生きてるか死んでるか、手術したがよいか悪いかと、議論を重ね、ついに帝王切開したところ、母犬は経過がよさそうに見えたが、その夜のうちに死んだ。七頭の胎児は半ば腐敗していた。難産二つの損害、金に計算すれば、ざっと千円である。それは別としても、このコリイの牝は、しぐさまで頗る甘ったれの女の子じみて、徹夜で執筆している傍を離れず、私の膝に顔を擦り寄せ、厠へ立つにも一々ついて来るという風だったから、死なれると寂しく、私は桜木町の家を引越してしまった。それにつけても、人間の産科の著しい発達に思い比べて、犬医者の産科の心もとなさを知った。大切な犬の難産には、人間の産科医にも立会ってもらうがいい。」。(川端康成「掌の小説」のなかの「愛犬安産」・新潮文庫78刷・2014年・471~475を一部抜粋)。つづく。4月6日。

●「道徳」教科書の「町のパン屋さん」が「町の和菓子屋さん」に替えられた(修正されたのか審議会からのアドバイスなのか、国家権力による統制なのか)問題。パン屋さんが憤慨しているとか。鎖国(鎖国も今回の学習指導要領の標的で、替りの「幕府の対外政策」も「聖徳太子」同様に旧態に落ち着く)の江戸時代はオランダの出島と中国の唐人町が唯2の異人が出はいりできる場所(長崎)であった。司馬さんの「胡蝶の夢」(松本良順1832~1907・島倉伊之助=司馬凌海1840~1879が主人公)を読んでみなさい。幕末から明治初年の医学者がどれほどの苦労をして西欧医学(蘭学)を学ぼうとしたか。東京オリンピックで選手の胃袋を賄ったのが帝国ホテルの村上信夫(1921~2005)氏でした。村上シェフも当然ながら渡欧して洋食(フレンチ)を学んだひとりであります。これらはほんの一例に過ぎませんが、多くの先人が壮絶な自己格闘をしながら新しい文明と文化を日本へ移入したのであります。学ぶにはそれなりの努力と協調が必要です。「和菓子屋さん」よりも「パン屋さん」のほうが、これまでの日本の近代化とこれからなすべき世界貢献に対しての教育的インパクトは断然強烈なんじゃないですか。政府の「教育勅語」の一部を容認するような姿勢といい、このところ安倍政府の右傾化発動が目立ちますが、「和菓子屋さん」までを具にして政府の考える「愛国心」とやらを日本国の子供教育に強制するのは如何なものでしょうか。それとは反対に西洋文明を懸命に学んだ偉大な先人を讃えるべきじゃないですか。4月5日。

李→許→尹→朴→崔→朴→金→盧→金→盧→李→朴。はてな(?)、これは一体なんでしょう。そうです、初代李承晩(1875~1965)から朴槿恵(1952~)前大統領までの歴代大統領の名字であります。今度の選挙では文とか安さんの文字が見えます。日本の首相では鳩山一郎と孫の鳩山由紀夫くらいですかね、同姓は。韓国(朝鮮半島)では10親等までが親戚扱いらしく、男女が付き合うにもまずは相手の姓(名字)と出身地を聞くそうです。親族が大統領にでもなるならどうして、同じ姓で親戚を語る人間が湧出するそうです・・・・・・いわゆる権力のおこぼれを頂戴するために・・・どこまで本当やらですが、本物の儒教国家ならあり得る話なのでしょうか。歴代大統領の亡命に弾劾、(親族や側近を含む)逮捕に自殺・・・そろそろ打ち止めになりませんかね。4月5日。

●安倍ちゃんも自民党も国民の声を分かっちゃいませんね。忖度にしろなんにしろ国権が一部の業界や一個人に使われて、国益が損なわれたり、一般の平凡な国民が不利益を被っているんじゃないですか・・・・・・それはどのようなメカニズムなのですか・・・・・・と疑念を抱いているんでありますそれも今回の森友問題に限ったことじゃないんでしょ? 世論調査でもその声はおさまってません。4月3日。

●宮崎の開花は例年より9日遅れの2日。東京は全国最初の満開宣言。天皇皇后両陛下は皇居外周をお忍びで散策し、ジョギングランナーにお声を掛けたとか。上野の恩賜公園では恒例の泥酔男に、みっともないの骨頂のひとつである酩酊の若い女性も。今朝の天気はまさに天晴れ。この時季の和歌はやはりこれしかないでしょう。そうです、西行(1118~1190)ですね。「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集) 」、同じく「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)」ですが、偉い人は違いますね・・・・・・願望通り、陰暦2月16日(文治6年)、釈尊涅槃の日に入寂したといわれているそうな。「はな」はもちろんです。旧暦の2月16日は太陽暦では3月31日だそうな。4月3日。

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