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今週の親仁ギャグ・2019年2月17日(日)~2月23日(土)

●われわれは北海道の歴史をどれほど学んで、知識としてどれほど持ち合わせているのだろうか。ちょうど先日(2月17日付)、日経新聞の「春秋」に新鮮な思考回路のコラム記事が書かれていた。以下にどうぞ。

中学校で使われている、ある歴史教科書を手に取って驚いた。巻末の日本史年表の時代区分が、「北海道など」「本州など」「沖縄など」の3つに区別してあるのだ。「日本」という国民国家が最初から存在していたわけではない。当たり前のことに気づかせてくれる。
▼沖縄では、中世から近世を「グスク(城)時代」「琉球王国」に区分。戦後、「米国による統治」を経て「昭和」に至る。一方、北海道は「オホーツク文化の時代」などの次に長く「アイヌ文化の時代」が続く。それが途切れるのが明治政府が北海道に開拓使を置く1869年。外国から技術顧問を招き、農地をひらいた。
▼政府はおととい、北海道などに居住するアイヌ民族を、初めて「先住民族」と明記した新法案を閣議決定した。アイヌの人々の伝統文化の継承や、観光振興を後押しするための交付金を創設。伝統儀式に必要な水産物や林産物を調達しやすくするため、規制緩和などの施策も講じるという。今国会での成立を目指している。
▼神々を迎えるヌサ(祭壇)に、サケやシカ肉などの供物がささげられた。祈りの言葉が厳粛に響く。北海道に赴任していたときのことだ。日本海側の上ノ国町で、アイヌの人々が遠い祖先の霊を慰めるカムイノミ(神事)に参加したことがある。彼らの精神文化を象徴する伝統の儀式だ。理解を深める機会が増えればいい。
」。

 ついでながら、私の北海道(に限りませんが)の歴史の知識吸収は、やはり司馬遼太郎ですな。「街道をゆく15・北海道の諸道」、「街道をゆく38・オホーツク街道」、「街道をゆく41・北のまほろば」それに高田屋嘉兵衛が主人公の小説「菜の花の沖」です。それにしても北海道から沖縄まで縄文の時代から交流があったとは言え、その文化や歴史にはあまりもの隔たりがあります。北海道、沖縄におさまらず、宮崎でもその遠き昔をどれほど教育しているのか・・・・・・残念ながら今の私にはわかりません。つづく。2月19日。

●南国人にとって憧れの北海道。今やアジア全域に亘って雪の北海道は大人気である。かつては全国の殿方にとって一度は行ってみたい日本有数の歓楽街であった。西から雄琴に加納(岐阜市・金津園)に吉原に、そして薄野だったのか。今も一つのビル内に飲食店とソープランド(昔のトルコ風呂)が同居するなんてのは全国的にも存在するのやら・・・・・・最近はリサーチが乏しく私には不明。少なくとも薄野形式は宮崎にはない・・・・・・と思えますが。まず、薄野(すすきの)という名称は二説あり、ひとつは開拓使によって遊郭が設置される際に工事監事であった薄井龍之の姓に因むもの、もうひとつは当時の薄野一体が茅野(ススキの別称)であったことから。つづく。2月18日。

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