●暗号は大バレ、戦艦や敵機の位置はレーダーでマル見え・・・・・・など電信電波(電磁波)戦に負けた日本の太平洋戦争。それでも中国人をはじめ多くの外国人を死に至らしめた日本。第二次世界大戦による死者は中国だけで1千万人とも言われている。その責任はわれわれ日本人個々にもある。山本五十六元帥の脳裏にも、敗戦色が濃くなったこと以外に、この事実が去来したであろうか。「(開戦後)1年間は大暴れしてみましょう。(その間にアメリカとの和平交渉をお願いしますよ)。」・・・・・・ミッドウェー海戦(1942年6月5日)に大負けしてから10カ月。山本五十六元帥は散った・・・・・・というよりは自決した。断っておくが、山本元帥は開戦に反対であった。元帥以外にも多くの指揮官が自決した。真珠湾攻撃の総大将だった南雲忠一中将はサイパン玉砕により自決(割腹と同時にそれぞれの専属副官に後頭部を撃たせた)。元帥に真珠湾攻撃の作戦を依頼された大西瀧治郎中将は、終戦の翌日(1945年8月16日)、「腹を十字に切り頸と胸を刺したが生きていた。(中略)大西は軍医に『生きるようにはしてくれるな』と言い、児玉に貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。』と話した。児玉も自決しようとすると大西は『馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ。』といさめた。介錯と延命処置を拒み続けたまま同日夕刻死去。」(Wikipedia)とある。大西瀧治郎中将は、神風特別攻撃隊の創設者のひとりでもある。つづく。9月6日。