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今週の親仁ギャグ・2019年11月17日(日)~11月23日(土)

間宮林蔵は2度、樺太へ渡った。当時の樺太は日本でもなければロシアの領土でもなかった。そこで日本とロシアの領土(国境)問題について復習が必要だ。
1854年の日露和親条約(下田条約)により、「千島は択捉・得撫間を国境」と決め、「樺太は両国雑居地」とした。この条約では、このほかにロシア船の下田と函館寄港も認めた。
1875年には樺太・千島交換条約が締結され、「樺太はロシア領」、「千島列島(クリル列島=占守島から得撫島まで)は日本領」となった。(むろん北方領土4島は日本領・・・・・・現在も)。
日露戦争終戦の1905年、アメリカのポーツマスで結ばれた「ポーツマス条約」により、「南樺太(北緯50度以南)は日本領」となった。この時の全権大使が宮崎の偉人、周知の小村寿太郎翁である。
太平洋戦争に日本が敗戦した1945年、日ソ中立条約(1941年4月に結ばれた相互不可侵条約)を破り、ソ連は終戦間際の8月、満州、樺太(8月8日侵攻→樺太の戦)、そして千島に侵攻して占拠。南樺太と千島列島に関しては今も占領状態(ロシアの主張は北方4島も千島列島に含むだが、日本人のなかにはその反対どころか、千島も南樺太も日本領との意見も根強い。わたしもそうだ。)・・・・・・だが、日本はサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日署名、1952年4月28日発効)で「南樺太・千島列島を放棄」したため、ロシアは現在も南樺太と千島列島を帰属領土として実効支配している。どさくさの戦後、国際条約といえども不備が少なくない。この「千島列島」に「北方領土」(国後・択捉・歯舞・色丹の4島)が含まれるか否か・・・・・・で日本、ロシア両国の主張が食い違い現在に至っている。

:「日ソ中立条約」の3条には、「効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるもの。」とある。すなわちソ連は条約の条文を不法に破り、どさくさの日本へ侵攻してきた。国際法に違反したのであるから、千島列島どころか南樺太も違法占拠なのである。
:そもそも当時のソ連はサンフランシスコ講和条約に調印・批准していない。

つづく。11月23日。

間宮林蔵(1775~1844)の経歴とは・・・・・・
常陸国筑波郡上平柳村農民の子として誕生。
幕臣・村上島之丞に地理や算術の才能を見込まれ、幕府の下役人となった。
寛政11年(1799年)、国後島、択捉島、得撫島に派遣され同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び享和3年(1803年)、西蝦夷地(日本海岸およびオホーツク海岸)を測量し、ウルップ島までの地図を作製した。
文化5年(1808年)、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索。多来加湾岸のシャクコタン(散江郡散江村)まで北上するが、そこまでで断念。
林蔵は1809年、現地でアイヌの従者を雇い(林蔵はアイヌ語もかなり解した)、再度樺太西岸を北上し、第一回の探索で到達した地よりも更に北に進んで黒竜江河口の対岸に位置する北樺太西岸ナニオーまで到達し、樺太が半島ではなく島である事を確認した。更に林蔵は、清国の役所の黒竜江(アムール川)下流の町「デレン」など、(鎖国政策に違反し、死罪となることも承知しながら)アムール川下流のロシアの支配情況を調査。
樺太北部の探索を終えた林蔵は文化6年旧暦9月末(1809年11月)、宗谷に戻る。間宮林蔵は樺太が島であることを確認した世界最初の人物シーボルトの日本地図では樺太・大陸間の海峡最狭部を「マミアノセト」と命名。:間宮林蔵は、シーボルト事件の告発者といわれる(スーパー大辞林)。:シーボルトは1828年、日本地図の海外持ち出し発覚で、国外追放となった(スーパー大辞林)。「異国船打払令」は1825年。
その後、林蔵は伊能忠敬の邸に出入りして測量技能の向上に努めた。
文化8年(1811年)4月、松前奉行支配調役下役格に昇進し、ゴローニン事件の調査のため松前に派遣。文政11年(1828年)には勘定奉行・村垣定行の部下になり、幕府の隠密として全国各地を調査し、石州浜田藩の密貿易を暴く(竹島事件)。
天保15年2月26日(1844年4月13日)、江戸において没した。

以上、Wikidediaを参照・改変・短縮とした。

つづく。11月20日。

間宮林蔵の譚・・・・・・「今月の旅」の10月版の目的地は、モヨロ遺跡に宗谷海峡でした。宗谷海峡といえば、間宮林蔵でしょう。その間宮林蔵ですが、旅行の後で読んだ池波正太郎の「北海の男」(角川文庫)・・・・・・この「男」が間宮林蔵なのであります。これで初めて知ったのが、間宮林蔵は幕府の密偵であったということ。そしてもしかしたら、あの「シーボルト事件」に関与していたかもしれないとのこと。今週は間宮林蔵を追ってみるか。つづく。11月20日。

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