●秀吉には子種がなかったというのがもっぱらの説であります。秀吉の正室は無論、寧々です。そして側室は数多であり、その後宮には名門出身の婦人だけでも①三ノ丸殿(信長の第5女)、②姫路殿(信長の弟信包の娘)、③二ノ丸殿(淀殿・浅井長政とお市の方=信長の妹の次女・すなわち茶々)、④加賀の局(前田利家の三女)、⑤松ノ丸殿(近江京極氏の出)、⑥三条ノ局(蒲生氏郷の妹)・・・・・・などなど、司馬さんに言わせると※「いちいちあげきれぬ」ほどであった。にも拘わらず秀吉の子とされる”捨”(鶴松)と”拾(丸)”(秀頼)のふたりのみ。それも淀殿にかぎっているのです。※司馬遼太郎「豊臣家の人々」・中公文庫・p126。つづく。2月22日。