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今週の親仁ギャグ・2020年3月29日(日)~4月4日(土)

大和朝廷は文字通り、大和である奈良にあったのは確実ですが、ではそのまえの邪馬台国は何処に存在したのか??? このカギとなるのが「狗奴国」(くぬのくに・くなのくに)であります。「狗奴国は、中国の三国時代の歴史書『三国志』(西晋の陳寿の作)のうちの『魏書』の中の「魏書東夷伝」に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国。」(Wikipedia)であります。「狗奴国」は、卑弥弓呼(ひみここ、ひみくこ)という名の男王がおり、邪馬台国の女王卑弥呼と戦闘状態にあったとされます。その「狗奴国」は、いわゆる「熊襲」=「隼人」に拠点があったというのがひとつの有力な説です。その熊襲は、「良田が無く、好んで海に入り魚や蛤を採っており、顔に『鯨面』という入れ墨をしていた」と「魏志倭人伝」にあり、鯨面という習性は大和(奈良)にはなく、況や海もありません。また「魏志倭人伝」には、邪馬台国に属していた小国のひとつとして「伊都國」の表記があり、これは今の糸島のことです。この糸島には卑弥呼が眠るとされる「平原王墓」があります。当時の伊都国には牛馬がいなかったことも書かれてあり、交通の便からして、九州(糸島)から遠く離れた地域に邪馬台国があったとは考え難い・・・・・・という考察が存在するのであります。要するに邪馬台国は大和(奈良)にあったのではなく、九州にあったとする説です。嬉しいじゃありませんか、大宰府か吉野ケ里か、はたまた西都原か・・・・・・そして卑弥呼は「狗奴国」との戦闘中に死んだのではなく、その後大和に東遷して、最期は桜井市の纏向で政治を司り、前方後円墳である箸墓古墳に埋葬されたのであります。これで決まりでしょう。4月4日。

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