●「余談ながらの”命日”」
▲”余談ながら”のセリフは司馬さんの専売特許みたいなものです。その司馬遼太郎(1923年8月7日~1996年2月12日)先生の命日は2月12日の「菜の花忌」です。司馬さんと親交の深かった「二十四の瞳」の大女優、高峰秀子は、司馬さんの好きだった菜の花を司馬さんの誕生日には毎年贈っていたそうです。私が司馬遼太郎記念館を訪問した時にも敷地の内外に菜の花が植わっていました。
▲それから太宰治(1909年6月19日~1948年6月13日)の「桜桃忌」でありますが、太宰は玉川上水で山崎富栄と入水心中し、遺体が発見されたのが奇しくも38回目の誕生日の6月19日だったのです。よって「桜桃忌」は6月19日に行われます。司馬さんも太宰も大正と明治の生まれですから新暦での命日です。
▲そこでもう一つ。坂本龍馬の誕生日と命日は同じです。歴史通なら、あるいは龍馬ファンなら誰でも知っていることでしょうが、旧暦で11月15日です。龍馬は天保6年11月15日に高知城下で生まれ、慶應3年の11月15日に京都の近江屋において京都見回り組に暗殺されました。新暦では生まれが1836年1月3日、命日が19867年12月10日なのです。明治以降の命日は新暦です。しかし龍馬の命日に行われる「龍馬祭」はやはり今に至っても新暦の11月15日なのです。しっくりこないのが理解できません? 一度始めたらその日が命日であって、そう簡単には変更できないのが常ですが・・・・・・これも立派な悩みであります。
1月26日。
●「ライバルが手を結ぶ日」
▲わたしは昭和34年生ですから、戦後14年目に誕生したことになります。昭和34年は西暦で1959年です。では今年の令和3年は昭和の何年で、そして平成の何年なのか?
▲西暦2021年の今年は、明治154年(明治元年は1868)、大正110年(大正元年は1912)、昭和96年(昭和元年は1926)、平成33年(平成元年は1989)、令和3年(令和元年は2019)と云うことになります。私の記憶術は、昭和20年が終戦の年だから西暦で1945年、関東大震災が1923年で大正12年、明治維新が1868年で明治元年、1900年が明治33年・・・・・・と云う具合に大事件と関連づけております。
▲ところで、1月21日は何の日かということですが、それは「薩長同盟」が結ばれた日なのであります。年号は慶応2年の1月21日なのですが、西暦では1866年の3月7日です。本当は再来月の3月7日が「薩長同盟」の締結日ですから、3月7日を「ライバルが手を結ぶ日」とすべきなのです・・・・・・と思いませんか?
▲このようなことは多くありますというか、(確証はもてませんが)、江戸時代までの出来事に関しては旧暦で表すことが多いようですというか、ほとんどがそのようです。それにしても新暦と旧暦とでは季節のズレが1か月以上もありますから、季節感からするとちょっと実感と外れています。1月の大寒と3月初めの啓蟄では気候に相当の差があります。龍馬が寺田屋や近江屋の2階で中岡慎太郎と軍鶏鍋を囲むとしたら、そりゃ大寒の方が似つかわしいでしょうし、お龍さんと注ぎつ注がれつでハマグリの潮汁でも啜っているなら、そりゃ今の雛祭りの頃でしょう。
▲旧暦と西暦の違いで最もしっくりこないのが忠臣蔵での赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日です。「忠臣蔵」は年末(の放送)と長い歴史がそうしています。三波春夫の「俵星玄蕃」で有名な「時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え、『おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ』・・・・・・」のセリフでありますが、この元禄15年12月14日とは、新暦では何時ぞやと云うと、1703年1月30日です。当日は晴れだったそうですが、前日までの残雪があったらしいとのことです。雪の残る中の警備の手薄を狙ったとも言えます。やはり忠臣蔵の吉良邸討ち入りは雪があった方が絵になりますが、この場合は真冬と云うことで、12月でも1月でもどちらでもよいことになります。忠臣蔵はやっぱりクリスマス前後の放送というのが定番です。舞台セットが絵になるかどうかは大事なことです。
▲取留めのないことを書いてきましたが、やっぱり色んな記念日は旧暦ではしっくり来ないものもあるのではないかというのが、わたくしの悩みであります。
※薩長同盟は、江戸時代後期(幕末)の慶応2年1月21日(1866年[1]3月7日)に小松帯刀邸(京都市上京区)で締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟である。薩長盟約、薩長連合ともいう。
※龍馬は、この薩長同盟締結の2日後の深夜、寺田屋にて伏見奉行所捕吏に襲撃されて左右の指を負傷し、薩摩藩伏見藩邸に匿われる。
※その約10日後、龍馬はお龍とともに大坂から薩摩藩の三邦丸に乗り、薩摩へ。これが日本最初の新婚旅行とされ、高千穂峯の山頂で天の逆鉾を引き抜いた話は有名。そのことを大好きな乙女姉さんに自筆の絵を添えて手紙を書き送る。
1月25日。