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今週の親仁ギャグ・2021年2月28日(日)~3月6日(土)

●「官ハ賄賂ヲ以テ成リ獄ハ愛憎ニヨツテ決ス②
▲若いとき役所の門に、「官ハ賄賂ヲ以テ成リ獄ハ愛憎ニヨツテ決ス」と落書きして牢に放りこまれた岩崎弥太郎ですが、これを非としたのではなく、是として身をもって実行したのです。
▲「新政府は、この三菱にいれ上げるようにして、大金を貸し、船を払下げ、その結果、三菱は三井系などの船会社を倒し、海運を独占する形となった。このため、西南戦争の軍事輸送については、新政府は三菱のいいなりになる他はなく、『西郷が門前の虎なら、三菱は後門の狼』といわれたほどで、莫大な戦費をむしりとられる形となった。」のです。(城山三郎著「雄気堂々」下・p352・新潮文庫)。その西南戦争では、「『(略)三井・三菱が大もうけをしています。とりわけ、岩崎の三菱は、軍事輸送を一手に引受けて、戦費の三分の一は三菱のふところに入ると、にらんでいます。なにしろ、政府が買入れた外国船をそのままただで使わせてもらっているのですから』(同p309)と云う具合だったのです。
▲「西南戦争の征討費の総額は五千万近い莫大なものとなり」(同p319)とありますから、その五千万の三分の一が弥太郎の懐に転がり込んだとなります。民の岩崎弥太郎の取り込んだ政界(官)の超大物は大久保利通と大隈重信だったのです。弥太郎のみの籠絡とは言い過ぎかもしれませんが、時代が時代だけあって両者の思惑が一致しなのでしょう・・・・・・
▲ではなく、渋沢栄一(1840~1931)は岩崎弥太郎(1834~1885)とは主義を正反対とし正義を貫き、真向から日本の維新を創造したのです・・・・・・と城山三郎の「雄気堂々」は語っております。「子爵」と「男爵」の差の故なのです。一万円紙幣の価値なのです。
3月4日。

●「官ハ賄賂ヲ以テ成リ獄ハ愛憎ニヨツテ決ス①
▲「ある日、父の弥次郎が牢に入れられるという事件がありました。江戸から急遽帰国した弥太郎は奉行所に掛け合いましたが取り合ってもらえず、怒って奉行所の壁に『官ハ賄賂ヲ以ッテ成リ、獄ハ愛憎ニ因ッテ決ス』と大書します。このため役人侮辱の罪となり入獄しますが、この入獄がその後の弥太郎の人生を決定付けていくことになりました。弥太郎は入獄中に知り合った男から算術や商売のおもしろさを教わり、出獄後は吉田東洋の少林塾で治国経世の理論を学びます。東洋の門下生となったことから、安政6年(1859)に郷廻という藩職に就き、慶応3年(1867)には藩営商社開成館の長崎出張所(土佐商会)に派遣され、艦船や武器の買い付けおよび土佐物産の輸出について欧州各商社と渡り合い、事業家としての腕を磨きます。また、この時期に坂本龍馬と出会い、海援隊の資金繰りや借金返済などに協力していますが、龍馬亡きあと海援隊との関係は一切絶ちました。」(明顕山 祐天寺のホームページそのまま引用)。
▲「総務省・農林水産省の接待漬け」。今度はNTTと山田氏らの超豪華飲食。岩崎弥太郎でなくとも、「官ハ賄賂ヲ以テ成リ獄ハ愛憎ニヨツテ決ス」と叫びたくなります。「官ハ賄賂ヲ以テ成リ獄ハ愛憎ニヨツテ決ス」の「」を「政治」と置き換えてみてください。安政2年(1855)と現在とでは、なんら進歩がないようで。
つづく。3月3日。

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